OPINION

戦い方を心得たイランの女性たち、革命以来の歩みを振り返る

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マフサ・アミニさんの死亡を受け、昨年10月にテヘランで行われた抗議行動の様子/Middle East Images/AFP/Getty/FILE

マフサ・アミニさんの死亡を受け、昨年10月にテヘランで行われた抗議行動の様子/Middle East Images/AFP/Getty/FILE

(CNN) 2022年9月16日、ヒジャブを正しく着用していないという「罪」でクルド系イラン人女性のマフサ・アミニさんがイランの道徳警察に拘束され、勾留中に死亡した。この出来事をきっかけに市民蜂起が起きると、市民活動家から各国のリーダーに至るまで、たちまち世界中から関心と支援が寄せられた。

マナズ・アフカミ氏/Courtesy Women's Learning Partnership
マナズ・アフカミ氏/Courtesy Women's Learning Partnership

予想していた通り、蜂起に対するイラン政府の反応は恐ろしいほど残虐だった。だが最終的に、女性たちは街に出て、もっとも重大かつ受け入れやすいスローガン「女性、命、自由」を叫び、長期的な変化を残した。この3つの言葉は男女問わず世界中で繰り返され、世界各地の建物、看板、旗に様々な言葉で記された。

今回もまたイラン政府が暴力で抑圧するのではないかと疑問を持つ人もいるだろう。私はそうは思わない。数日前、テヘランで話をした女性活動家はこう指摘した。「女性が勝利した。街の様相も変わった。女性は好きなように――ヒジャブをつけずに――外を歩き、コーヒーショップで男友だちや家族と会話を楽しんでいる」

政府は服装規程に従わない女性の弾圧に今も余念がないが、イランの社会規範は変わりつつある。

アミニさんの死から1年の節目にあたり、イラン・イスラム共和国における女性の立場の変化に目を向け、現在進行形で続く自立と権利を求める勇敢な戦いをたどることは有益だろう。

1979年、「イスラム社会では女性が自由に自らの運命と活動を選択できるようになる」というアヤトラ・ルホラ・ホメイニ師の口車に乗せられて、女性たちはイラン革命に引き込まれた。ホメイニ師は聖職者の街クムに戻り、政府には関与しないとも主張していた。結局それも嘘(うそ)だったと判明した――同年2月に帰国したホメイニ師は、政権も憲法も確立しないうちから、ヒジャブ着用の義務化を宣言した。

国際女性デーにあたる79年3月8日、命令に反対する数万人の女性が抗議デモを行い、親革命勢力から攻撃された。

それからというもの、イラン人女性はことあるごとに自らの権利を求めてイラン政府に圧力をかけている。だが、法律が絡む戦いでは敗北を喫してきた。78年当時は中東における女性の権利運動の旗頭的存在だったイランも、今や性平等では世界最悪の国のひとつに名を連ねるようになってしまった。

それでも女性活動家たちは79年の革命以降何十年にもわたって意識改革と団結を図り、蜂起やムーブメントを繰り返す中で重要な教訓を学んだ。

中でも成功を収めた活動のひとつが、2006年の「差別的な家族保護法の改革を求める100万人署名運動」だ。この運動では女性たちがコミュティーを結成して近所を一軒一軒訪問し、自分たちが求める変革を男女問わず説明して署名を求めた。権利、教育、雇用の平等などに賛同を得られた地域では、保守派の敬虔(けいけん)な女性も協力した。集めた署名の30%は男性からの署名だった。

1997~2005年にはモハマド・ハタミ大統領がより寛容な社会を約束し、女性を「二級市民」のように扱うべきではないと発言したことから、女性活動家の間では制度改革も夢ではないという主張が聞かれた。だがハタミ政権下でも本質的な法改革には至らず、マフムード・アフマディネジャド氏が大統領に就任するころには、改革の可能性も薄れていた。

アラブの春の2年前には、不正投票があったとされる09年の選挙に対する反動から「緑の運動」が勃発した。緑の運動に加わった人々は、最終的に違法選挙疑惑をテコにして、1979年革命から叫ばれていた民主的権利をいっそう強く要求した。男性も女性も大挙してデモに参加し、「自分たちの票はどこへ行った?」と叫んだ。

それ以来、技術の拡大と祖国を離れた教養あるイラン人の存在が重要な要因となっている。これらの人々は科学技術、芸術、政治における女性リーダーたちとつながりを持ち、今も国内に留(とど)まる女性への励まし、支援の面で大きな役割を果たす。

イラン人女性は当然の権利を奪われ、それを取り戻すべく活動してきた。それは旧態依然の政府を相手にする戦いだったが、ここへ来て大勝利を挙げた。「女性、命、自由」を掲げたムーブメントは、世界中のイラン人女性の声や主張を発信・拡散する意味で成功だった。史上初の女性主導型の反革命運動と言ってもいいかもしれない――そこでは男性も女性も協力しあっている。女性同士はもちろん、男性も対話に巻き込み、支援の手を差し伸べ、多種多様な意見を尊重している好例でもある。

政府の関与を必要としない場では、イラン人女性はつねに成功を収めてきた。会社を興し、教鞭(きょうべん)を執り、互いにつながり合い、海外支援者とも関係を築いている。そして恐れることなく、政府に引き下がるよう迫っている。

女性たちは自分たちの勇気や英知にふさわしい政府を求めている。だが同時に現実的な女性たちは、世界各国の政府がイラン・イスラム共和国との関係を継続し、反対の立場を取らない以上、武器を持たない民間人には政府を転覆できないことも十分わかっている。勝てると思って臨んだ戦いでは勝利した。自分たちの望む政府を求める戦いでは、別の手段が必要になるだろう。

今は男性も女性も巻き込みながら、民主主義統治の基本を学びつつ、民主主義のための市民社会を準備している段階にある――やがて本格的かつ継続的な支援を得るに至った時こそ、次の戦いに向けた女性たちの態勢が整うことになる。

1979年のイラン革命前に女性問題担当相だったマナズ・アフカミ氏は、その後国際非政府組織(NGO)「ウィメンズ・ラーニング・パートナーシップ」を設立し、現在は同団体の会長、および非営利組織(NPO)「イラン研究財団」の理事を務める。最新著作は「The Other Side of Silence: A Memoir of Exile, Iran, and the Glоbal Wоmen’s Movement」(ノースカロライナ大学出版)。記事の内容は同氏個人の見解です。

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