大物プロデューサー、「イスラエルのスパイだった」
イスラエルの情報機関はミルチャン氏が開設した銀行口座を通じてヘリコプターやミサイルなどの兵器を調達していたとされる。
「20代そこらの青年が、ジェームズ・ボンドになれると自分の国から言われるのがどれほどのことか。あれはエキサイティングだった」と同氏は振り返る。
ただしスパイ活動への協力で利益を得たことはなかったと強調した。
後に米連邦捜査局(FBI)の捜査で同氏の経営する企業の1社を通じて起爆装置がイスラエルに無免許で輸出されていたことが発覚し、85年に幹部1人が起訴された。ミルチャン氏はレーガン政権によって訴追を免れた。「イスラエルが起爆装置を注文したことは知らなかった。起爆装置が何かすら知らなかった」と同氏は主張している。
同氏はまた、アパルトヘイト政策を巡って各国から非難されていた当時の南アフリカ政府にも手を貸し、引き換えに南アフリカからイスラエルへウランを供給させていたという。
映画「愛と哀しみの果て」などを手がけた故シドニー・ポラック監督は、「航空関連や航空機などの輸出におけるパートナー」だったとも打ち明けた。