「それでも私は踊る」 ボストン爆破テロで足を失ったダンス教師
次の朝になって目が覚めた時、ベッドのわきには両親がいた。「お母さん、手を貸してくれる?足がしびれる感じがする」と言うエイドリアンさんに、母親が「片足がないのよ」と告げる。ないはずの手足が痛む「幻肢痛」だと悟り、がく然とした。手術で左ひざの12~13センチ下から先を切断されていたのだ。「それを聞くのは本当につらかった」と振り返る。
あの日から1週間。病室は、ダンス教室の生徒たちから贈られたたくさんの花でいっぱいだ。エイドリアンさんは「ダンスを教えることは私の人生の一部」と言い切り、教室へ復帰する計画を口にした。リハビリには何カ月もかかるだろう。だがすでに、最初のダンスは「ウインナワルツ」と決めている。
エイドリアンさんにとって、ダンスはまさに天職だ。踊っていると「ほかの何物でもなく、これこそが私の道」と思える。社交ダンスには、長年の練習で培ったバランス感覚や高度な技が要求される。「それを義足で再現することはできない。でも、もしかしたら技術の力で――」と言いかけて言葉を止め、「成り行きを見ましょう」と結んだ。
穏やかな笑顔を見せるエイドリアンさんだが、常に前向きの気持ちでいられるわけではない。「怒りにまかせて水のボトルを投げ付け、歩行器を放り出すこともある。私にこんなことをした誰かに対して、前のように踊れなくなってしまったことに対して、怒りが込み上げる」「着替えに時間がかかるといっていら立ち、シャワーにも時間がかかるとまたいら立ってしまう」と明かす。