インドの洋品店店長がロシアのために戦いウクライナで死亡するまで

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ロシア軍の軍服に身を包んだアスファン・モハメドさん/Mohammed Imran

ロシア軍の軍服に身を包んだアスファン・モハメドさん/Mohammed Imran

ニューデリー(CNN) 3月下旬の日曜日、人々が箱を開けた。インドを発ってロシアに向かったアスファン・モハメドさん(31)との4カ月ぶりの再会だった。

アスファンさんは出国時よりも身なりが整っていた。家族と友人に見送られた時のカジュアルな服装ではなく、黒いスーツに白いシャツ、ネクタイと靴を着ていた。

だがイスラム教の教えにしたがって埋葬しなければならない。遺体を整えるため、こぎれいな衣類が脱がされた。

その時、イムラン・モハマドさん(41)の目に飛び込んできたのは、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領によるウクライナでの戦争で、ロシア軍の部隊で戦っていた弟の身に起きた惨状だった。

「背中の肩から脇腹、腰のほうにかけて、穴が見えた」とイムランさんはCNNに語った。

「ドローン(無人機)の攻撃によってできた穴が6~7個あった。弟の体はずたずただった。内臓も損傷を受けていた。歯が2本折れていた」

インド南部のハイデラバードで仲むつまじく暮らしていた家族もずたずたにされた。夫を、父親を、一家の大黒柱を失ったのだ。

イムランさんの店も荒れ果て、ぼろぼろだった。第2次世界大戦以来もっとも凄惨(せいさん)な欧州の戦場にいる弟の消息を捜索するのに全精力を注ぎこんでいたため、店はほったらかしにされていた。

イムランさんは時刻に言及した。

「日曜の午前11時に棺(ひつぎ)を開けた。初めて遺体を目にした時、弟はもうこの世にいないのだと実感した」

「弟探しに費やしてきた努力、弟のために戦ってきた2カ月は、痛ましい結果に終わった。遺体を見ている間、反応したくてもできなかった。完全に放心状態だった」

失われた夢

アスファンさんは想定外の運命を迎えた。2022年2月にプーチン氏がロシア軍にウクライナ侵攻を命じた際、こうなるとは家族にも想像がつかなかっただろう。

2児の父親のアスファンさんは当時、国内に約300店を構えるインドのアパレルチェーン「Allen Solly」の一つで店長を務めていた。子ども服から結婚式のタキシードまで、あらゆる服を扱っていた。

イムランさんによれば、アスファンさんはそこで8年間働いていた。

悪い仕事ではなかったが、アスファンさんは妻と2歳と生後8カ月の子どもにいい暮らしをさせたいと思っていた。家族を連れてハイデラバードを出るのが夢だった。

イムランさんによれば、アスファンさんは妻の姉妹と家族が暮らす「オーストラリアで働きたがっていた」という。「義理の家族からも呼び寄せられていた」

だがそのためには、アスファンさんは外国人の英語能力を判定する英語民間試験「IELTS」で好成績を残さなくてはならない。

「弟はIELTSを受けたが、点数は良くなかった」とイムランさん。「弟はやる気をなくしたが、再度挑戦した」

イムランさんによると、2回目も上手くいかなかった。

アスファンさんの遺体は3月にインドに戻ってきた/Mohammed Imran
アスファンさんの遺体は3月にインドに戻ってきた/Mohammed Imran

だがアスファンさんはロシアでの働き口を紹介するユーチューブの映像で新たな望みを抱き、雇用仲介業者に連絡をしたという。

「ロシアでタクシーの運転手か配送係で働く予定だった。そういう心づもりだった」とイムランさんは言う。

「すると数日後、仲介業者からロシア軍の雑用兼警備の仕事に空きが出たと言われた。願ってもない仕事だと業者は念を押した。1年以内にロシアのパスポートと国民識別カードをもらえる、そうすれば隣国にも行けると言われた」(イムランさん)

イムランさんの話では、オーストラリアで家族の夢をかなえる最初の一歩になるかもしれないとアスファンさんは考えた。

その代わり、この時の選択によって、アスファンさんは戦闘で荒廃した凍てつくウクライナに送られた。

洗脳

イムランさんによると、アスファンさんは後に引けなくなるぎりぎりまで渡航計画を家族や友人に黙っていたという。イムランさんがアスファンさんの出発を知ったのは昨年11月9日で、ロシアへ発つ3日前だった。

その時すでにアスファンさんは1800ドル(現在のレートで約28万円)以上を仲介業者に支払っていた。業者からは、渡航のことは家族にも言わないよう言われていた。

「弟はすっかり洗脳されていた。ロシアの空港から強制送還されるかもしれないと警告されていた」とイムランさん。「私は全力で弟を止めようとした」

インド国内の都市をいくつか経由し、アラブ首長国連邦を経て、アスファンさんは11月12日にモスクワに到着した。

イムランさんによれば、アスファンさんはその翌日に就業契約書に署名した。ロシア語で書かれていたため、アスファンさんには読めるはずもなかった。

「弟は業者を少し信用し過ぎた」(イムランさん)

砲撃の準備を行うウクライナウ軍の兵士=3月、ウクライナ・クレミンナ近郊/Inna Varenytsia/Reuters
砲撃の準備を行うウクライナウ軍の兵士=3月、ウクライナ・クレミンナ近郊/Inna Varenytsia/Reuters

プーチン大統領の戦争で戦う外国人兵

一部の推計によると、プーチン氏がウクライナ侵攻を命じて以降、ロシアは数千人の外国人兵を戦場に送り込んでいる。

外国人兵の大半は、ロシアで安定した雇用と高い給料にありつけるとそそのかされた東南アジアの若者だ。ネパールでは先月、元外相で野党の有力議員ビマラ・ライ・ポーディアル氏がウクライナから帰還した男性の証言を引き合いに出し、1万4000~5000人のネパール人が前線で戦っていると議会で発言した。

ロシア政府は昨年、外国人兵士の徴集目的で、2000ドル以上の月給やロシア国籍の優先取得などを盛り込んだ魅力的な計画を発表した。だがこの計画ででこれまで何人の外国人が徴集されたかについて、ロシア政府は明らかにしていない。

インド政府は冷戦時代からロシア政府と緊密な関係にあり、ロシアのウクライナ侵攻に対してもあからさまな糾弾はおおむね避けている。インドにとって、ロシアは依然として最大の武器供与国だ。

インドはロシア産原油の大口顧客でもある。昨年だけで過去最多となる370億ドル相当の原油を購入してロシア政府の懐を潤し、制裁を科されたロシア経済の重要な収入源となっている。

一方でインドには国民が外国軍に従軍することを禁じる法律がなく、インド政府も大勢のインド国民がロシア軍の下でウクライナの戦闘に加わっていることを認識している。

インド外務省は2月に声明を発表し、ロシア軍に従軍するインド人の早期除隊は「最優先課題だ」と述べた。先月のCNNとの取材でも、実現に向けてロシア当局と引き続き連絡を取り合っていると述べた。

だが一部の人々にとっては、こうした努力も手遅れだ。外務省報道官は、少なくとも2人のインド人が戦死したとCNNに語った。

インド中央調査局(CBI)は3月上旬、インド人をだましてロシア軍に従軍させていた大規模な人身売買ネットワークを摘発し、35人の被害者を特定したと発表した。

「人身売買されたインド国籍者は戦闘訓練を受け、本人の意思に反してロシアとウクライナが戦う前線に送られた」とCBIは声明で発表した。

いざ前線へ

イムランさんによると、アスファンさんからはウクライナに配備される時期は聞かされなかった。だが12月1日、戦場に向かおうとしていた時に連絡が取れたという。

イムランさんの話では、アスファンさんは逃れる方法を探していたそうだ。

「弟からは仲介業者と話すよう頼まれた」とイムランさん。「私はできる限りのことをすると約束した」

2人が言葉を交わしたのはそれが最後だった。

イムランさんによると、「軍の人間は業者と連絡を取っていなかった」という。

イムランさんはアスファンさんのように戦争に送られた多数のインド人に触れ、「仲介業者は若い男性をだまし、命を危険にさらした」と語った。

不安に暮れる数週間とまさかの事態

1月23日、イムランさんはアスファンさんとともに前線に送られたインド人の1人から留守番メッセージを受け取った。

戦闘中に負傷したというその男性は、前の日にウクライナの住居でアスファンさんを見つけたと語った。アスファンさんも同じく負傷していた。

その男性が言うには、「ドローンに周りを囲まれていたため」アスファンさんを運び出すことはできなかったが、ロシア軍の医療班にアスファンさんの状態を伝えたという。

ウクライナ軍は改造した民生ドローンを使ってロシア兵を攻撃し、上空から手榴弾(しゅりゅうだん)を投下、あるいは遠隔操作可能な爆弾として活用して、前線で甚大な戦果をあげている。

メッセージを受け取ってから2日後、イムランさんは国会議員と面会し、負傷したアスファンさんを助けるようインド政府当局に働きかけた。だが政府への懇願は徒労に終わった。

最終的にモスクワのインド大使館からの返答は、現在調査中だという内容だった。

3月6日、再び議員の事務所を訪れたイムランさんは恐れていた知らせを受け取った。

ロシアに出発する前に撮影したアスファンさん(右)とイムランさんの写真/Mohammed Imran
ロシアに出発する前に撮影したアスファンさん(右)とイムランさんの写真/Mohammed Imran

「インド大使館の緊急連絡先に電話した。電話口でアスファンの名前を告げるやいなや、弟は死んだと言われた。言葉を返す気力もなかった」とイムランさんは言った。

「大使館の言葉を信じたくなかった」

アスファンさんの死を確認できる証拠はなかったが、イムランさんは残された家族に知らせを伝えねばならなかった。

イムランさんによれば、アスファンさんの妻は「3時間意識を失った」という。「夜通しずっと泣きっぱなしだった」

アスファンさんの遺体は家族により埋葬されたが、家族は遠く離れた戦争で心に傷を負った。

父親を知らずに育つことになる幼い子どもたちを見ると、イムランさんも胸が痛むと語る。自分自身の将来も見通しが立たない。

「4カ月間、毎日ずっとこんな調子だ」とイムランさん。「今までこんな最悪な時期を経験したことはない。もはや自分の時間はなくなった。友人との交流も消えた。とにかく家族を支えるしかなかった」

家族の1人、弟は永遠にこの世を去ってしまった。

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