フランスは、オーストリアの画家グスタフ・クリムトの絵画1点をあるユダヤ人家族の子孫に返還する見通しだ。この家族は第2次世界大戦中に同作の売却を強いられる状況にあった。
作品はその後、1980年にフランスが国として購入。パリの主要な美術館の一つ、オルセー美術館に収蔵されていた。
本来の所有者はノラ・スティアスニーさんといい、オーストリア・ウィーン近郊のプルカースドルフに住んでいた。
オーストリアは1938年にナチス・ドイツに併合された。スティアスニーさんの資産は徐々に没収され、その年の8月には絵画を知人に売らなくてはならなくなった。「樹下の薔薇(ばら)」と題されたその作品は割り引いた価格で売られたが、スティアスニーさんは生きるためにそうせざるを得なかったと、バシュロ仏文化相は説明する。
1942年4月、スティアスニーさんと母親のアマリーさんはナチス占領下のポーランドに送還後、殺害された。バシュロ氏によると、同国のイズビツァにあるゲットーか、近くのベウジェツ絶滅収容所で亡くなったという。スティアスニーさんの夫のパウルと息子のオットーは、チェコ・プラハ近郊のテレジーン収容所を経て、アウシュビッツに送られた。
絵画の返還はフランスにとって「重要な義務」だと述べたバシュロ文化相/Alain Jocard/Pool/AFP/Getty Images
2019年、仏文化省は国のコレクションの中から盗まれた作品を特定する作業に着手した。
バシュロ氏は、長い時間をかけて作品の元の所有者を突き止めたと説明。作品はスティアスニーさんの子孫に返還されると述べた。
そのうえで、没収されたユダヤ人の資産を正当に返還することはフランスにとって「重要な義務」だと強調した。
「もちろん苦渋の決断だった。国のコレクションから傑作を持ち出してしまうという話なのだから。しかもフランスが所有する唯一のクリムト作品を」(バシュロ氏)
同氏は続けて「ただ私の心は痛まなかった。むしろその逆だ」と述べた。
「周知の通り、ユダヤ人の迫害は多くの形態をとる。往々にして、組織的な排除や絶滅政策の前にはユダヤ人の所持品が盗まれた。何もかも手放すよう命じられたのだ」(バシュロ氏)
1862年にオーストリアに生まれたクリムトは、ウィーン分離派と呼ばれた絵画の流派を結成したメンバーの一人だった。同派は世紀の変わり目に現れた、前衛的な芸術家集団として知られる。
おそらく最も有名なクリムトの作品と言えば「接吻(せっぷん)」だろう。世界でも有数の知名度を誇る絵画の一つだ。