アフリカ人のサムライ――弥助が残した不朽の遺産

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奴隷から侍となった弥助。アフリカから来て16世紀の日本で生きた/Photo Illustration/ Kobe City Museum, shutterstock

奴隷から侍となった弥助。アフリカから来て16世紀の日本で生きた/Photo Illustration/ Kobe City Museum, shutterstock

香港(CNN) 封建時代の日本で権勢をふるった大名、織田信長が1581年、黒人奴隷から家臣となる弥助に会ったとき、信長はこの男性を神だと思った。

信長はそれまでアフリカ出身者を目にしたことがなかった。「African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan」の著者、ロックリー・トーマス氏によると、当時の都だった京都の住民と同様、信長は弥助の背丈や体格、肌の色に畏怖の念を抱いたという。

「弥助が(イエズス会の宣教師とともに)京都に到着した際、現地は大騒ぎになった。人々は彼の姿を一目見たい、そばに行きたいと躍起になった」とロックリー氏は語る。調査と執筆に9年を費やした同書は4月に出版された。

信長は弥助を「大黒天」ではないかと考えた。大黒天は豊穣(ほうじょう)の神で、寺院では通常、黒い像によって表現されている。信長は弥助の肌の色は墨によるものだろうと思い、こすり落とそうとした。本当に黒人だと納得すると、直ちに宴会を開いて敬意を表したという。

政治的策謀や無慈悲な暗殺、忍者による襲撃が横行していた時代にあって、弥助の存在は強みになると見なされた。イエズス会の記録によると、信長はすぐさま弥助を侍に取り立て、従者や住居、扶持(ふち)まで与えたとされる。

日本では今日、世界初のアフリカ系侍としての弥助の伝承はよく知られており、賞を取った児童書から漫画「アフロサムライ」に至るまで、多彩な関連作品が生まれてきた。

弥助の伝承は世界にも広がり続けている。

映画「ブラックパンサー」で主演を務めた俳優、チャドウィック・ボーズマンは5月、ハリウッド映画で弥助を演じると発表。脚本は「ナルコス」を共同で手がけたダグ・ミロだ。

ロックリー氏によると、弥助の物語が再び脚光を浴びている背景には、2020年東京五輪を前に、均質な日本社会で多文化主義の概念が改めて問われているという事情がある。

生い立ち

史料が乏しいため、弥助の出自は今なお謎に包まれている。研究者の間ではモザンビーク出身との見方がある一方、スーダン出身との説もある。

ロックリー氏の見方では、弥助は幼少期にアラブかインドの奴隷商人によって拉致され、アラブ諸国やインド洋を連行された。おそらく奴隷として働き、子ども兵の訓練を受けてインドのグジャラートやゴアで戦った後、ポルトガル出身のイエズス会宣教師により従者に雇われたとみられる。

当時、ゴアはインドのポルトガル人にとって交易、宣教、軍事の主要拠点となっており、アフリカ人奴隷売買の中心地でもあった。

ポルトガルの黒船がゴアやマカオから日本に到着する様子//Via Wikimedia Commons
ポルトガルの黒船がゴアやマカオから日本に到着する様子//Via Wikimedia Commons

弥助はこの場所で、アジアで最も権勢を誇っていた宣教師アレッサンドロ・バリニャーノに出会ったとみられている。バリニャーノは弥助を従者兼護衛にした。

ロックリー氏によると、バリニャーノ一行は1579年に船で九州の口之津に到着した。

バリニャーノはローマを出発後、6年間にわたりポルトガルやモザンビーク、インド、マレー半島、マカオを回っていた。来日の狙いは数千人にキリスト教を布教することだった。

だが、布教は容易ではなかった。

忍者、僧兵、侍

バリニャーノが到着した時、日本は1603年まで続く激しい内戦のただ中にあった。

「戦国時代」として知られるこの時代、日本では各地の領国を拠点に数百人の有力武将が権力を争った。

表面的に平和が回復したのは、残った大名たちが天下統一を試みた時のことだ。

織田信長はこうした大名の中で最も強力となり、京都を支配下に置いた。今日では徳川家康や豊臣秀吉とならび天下統一を導いた3武将の1人とみられている。

織田信長は日本で最も強力な大名と考えられていた/Kano Soshu via wikimedia commons
織田信長は日本で最も強力な大名と考えられていた/Kano Soshu via wikimedia commons

しかしロックリー氏によれば、信長の躍進をもってしても、中小大名や過激な僧兵、領地争いを続ける賊(ぞく)を阻止するには至らなかった。バリニャーノは保護を必要としていた。

イエズス会士が各地の大名と連携するなか、長身の弥助は軍事経験を生かしてリスク察知に力を発揮したという。他の民兵の訓練を担ったほか、自らも武道や剣術などの新技能を習得した可能性が高い。

こうした技能が後に信長の目にとまったとみられる。信長にはまた、日本語に堪能になっていた弥助から世界情勢を聞き出す狙いもあった。

「弥助は初めこそ物珍しい余興の種とみられていたものの、1カ月以内に侍として重用されるようになり、信長の側近の一員になった」「史料によると、信長はとにかく弥助と話すのが好きだった」(ロックリー氏)

この当時、侍は日本の支配階級を構成していた。

弥助の禄高に関する記録は残っていないことから、ロックリー氏は、どの程度の地位だったのか知るのは難しいと指摘。信長の小姓または身辺警護役に相当する身分だったのではないかと推測する。

弥助は日本で最も有名な海外出身武士となったが、信長と過ごした時間は短かった。

侍から牢人に

1581年、弥助は織田軍による伊賀侵攻に加わった。

信長は4万~6万人の軍勢を擁する忍者の地、伊賀を攻撃。息子の信雄による1579年の伊賀攻めは失敗に終わっていたものの、今回は攻略した。

弥助にとって、これが信長の下での最初の戦になったという。

2度目にして最後の戦は1582年6月で、織田軍の武将、明智光秀が信長の京都での滞在先に襲撃を仕掛けた。

織田信長は本能寺の変の後、「腹切り」を余儀なくされた。/Via wikimedia commons
織田信長は本能寺の変の後、「腹切り」を余儀なくされた/Via wikimedia commons

この襲撃が引き金となり「本能寺の変」が勃発。天下統一に向けた信長の計画には終止符が打たれた。

敗北を前にした信長は、名誉を守るため自害した。信長が「切腹」と呼ばれる儀式を行い、腹部に刺した短刀を水平に動かすと、近臣の森蘭丸が首をはねた。

ロックリー氏が明かす言い伝えによると、信長の弥助への最後の指示は、刀と首を息子のもとに届けるよう命じる内容だった。

「信長の首が他人の手に落ちるわけにはいかなかった。弥助の仕事は一族の権力を維持することだった」

信長の死後、弥助に関する記録はますます少なくなる。最後の言及とみられるのはイエズス会士による1582年の記述だという。

米タフツ大学のゲイリー・レアップ教授(歴史学)によると、弥助は敵勢の捕虜となったものの、日本人ではないことから解放された。弥助は主君を持たない侍「牢人」となっていた。

ロックリー氏は弥助のその後について、再びイエズス会宣教師の護衛を務めたか、船員や海賊になった可能性もあると推測している。

弥助が残したもの

弥助の存在は歴史書に記されてきたが、戦国日本で唯一の外国人だったわけではない。

当時の九州には大勢の朝鮮人と中国人が住んでいた。欧州出身者やインド人、アフリカ出身者も数多く日本を通過した。

ポルトガル人の長崎来訪の様子を描いた屏風絵/Rijksmuseum
ポルトガル人の長崎来訪の様子を描いた屏風絵/Rijksmuseum

彼らの存在は当時の屏風(びょうぶ)に記録されており、黒船による来訪や、地元住民に交じっての生活の様子が描かれている。

こうした装飾性の高い屏風は上流階級が所有していたもので、1590年代前半に制作された。その1つは黒人男性と日本人武士による相撲の試合を描いており、ロックリー氏は弥助と信長ではないかとみている。

「弥助が表舞台に登場したのは信長に仕えたためだ。私たちにはその生涯や名前、行動、性格に関する情報が残されている」

「似た境遇の他の人物の場合、これほどの記録はない。彼らの生活を描き出すのは不可能だ」

弥助の人生はこれまで、フィクションを通じて再構成されることが多かった。

作家の来栖良夫氏は1968年、弥助の生涯をもとに児童書「くろ助」を執筆。近年はテレビの歴史ドラマや漫画にも登場している。

日本で多文化主義や多様性に関する議論が活発になっている今こそ、弥助の物語を語り直す好機だと、ロックリー氏は指摘する。

「奴隷の境遇を脱し、外国人ながら日本の支配者の下で高位に登用された弥助の物語には、今なお一種のロマンや謎が漂っている」

「彼にふさわしい注目が注がれる時代になったと感じる」

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