OPINION

ガザにいる71歳の母は家族をのみこんだがれきを見つめている

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筆者のハニ・アルマドホーンさんと家族。おいのオマルくん(ハニさんの隣)とアリくん(一番手前)はイスラエル軍の空爆によって死亡した/Hani Almadhoun

筆者のハニ・アルマドホーンさんと家族。おいのオマルくん(ハニさんの隣)とアリくん(一番手前)はイスラエル軍の空爆によって死亡した/Hani Almadhoun

(CNN) これは現実なのか。

おいの声は震えていた。ギリシャからの電話だったが、その言葉が5000マイル(約8000キロ)の遠方から届いているのか、それとも自分の耳からなのか、動揺して激しく鼓動する自分自身の心臓からなのか、分からなかった。

おいに伝えられた現実を理解するまでに数秒かかった。まるで深い場所にうずめていた暗い悪夢が、いきなり他人の言葉で声を持ち、自分を震え上がらせるように。

弟のマジェド。その妻のサファア。2人の子どものリマン18歳、シワル13歳、アリ7歳……。

そして9歳のオマルは、サッカー選手になるのが夢だった。

6人全員、私の家族たち。

逝ってしまった。

午前5時、発表された休戦が発効する2時間前。イスラエルの空爆で、私の愛する者たちと愛猫の「ラッキー」が、ベッドで寝ていたところを殺された。眠っていたか、うとうとしていたところへ、過去45日間、(パレスチナ自治区)ガザで一家を守ってくれていたドアと天井を、砲弾が突き抜けた。かつて安全を約束してくれた壁が崩れ落ち、彼らの体を何トンものがれきの下敷きにした。

オマルの遺体だけが、爆発現場から20メートル離れた場所で見つかった。発見されるという「幸運」を経て、サッカー選手を夢見た少年は、慌ただしく埋葬された。

残る家族はまだ収容されないまま横たわり、71歳の私の母はがれきの前で、優しく愛しい我が子の死を嘆き悲しんでいる。母は付近をうろつく飢えた野良犬から彼らの遺体を守りたいと願う。自分の息子とその妻と、大切な子どもたちの神聖さが汚されることを恐れて。

数日前、私は米国からの電話で家族にいとこの死を伝える側だった。家族はまだそのことを知らなかった。わずか数分の距離に住んでいながら、もう何週間もの間、彼らはほかの人類と切り離れている。彼らは死者をいたみながら、愛する人たちをあまりに多く失ったために、きちんと悲しむ時間をもてずにいる。ある意味でこれは、人間の命の価値をおとしめる。ここでは不幸にも、死がありふれたものになっている。

一時休戦の間、ガザに入ることを認められたわずかな数の人道支援トラックに沸く人たちもいる。だが10月7日以来、商業トラックは1台もガザに入っていない。ガザから2カ月の間切り離されて、スーパーマーケットの棚は空のまま、市民からただでさえ手詰まり状態だった人道支援団体に至るまで、あらゆる人に深刻な影響が及んでいる。

水はほとんどなく、食べ物はあまりに希少でツナ缶1個でさえ重宝される。イースト、塩、マメの缶詰といった基礎食品の値段が10倍に値上がりしていることは言うまでもない。現金は使い物にならず、人々はパンの行列に並び、尊厳を奪われる。

ガザのこの側面はほとんど語られることがない。人々は施しを望まず、お金がある人は、見つけることさえできれば必要な物を買うだろう。今は誰もが支援に頼らざるを得ない。だが全ての組織が効率的に支援を届けられるわけではない。

母との連絡が途切れる前、私は至近距離の銃声と砲撃音を聞いた。イスラエル軍は、自分たちの周りの住宅を大量に破壊したと母は言った。近隣のモスク(イスラム教礼拝所)も破壊され、礼拝の権利も、癒やしを求めて死者のために祈る場も奪われたと。

このニュースは私を打ちのめした。私は大虐殺の展開を目の当たりにして信仰の危機に見舞われ、母は爆撃の下に生き、家族を埋葬しながら今も信仰にしがみついている。

私は数日前にこの原稿を書き始めた時、ガザ地区のパレスチナ人の運命を考え、この残忍で血なまぐさい大虐殺が終わったら、人生はどう変わるのかと考えた。あまりに多くの善良な人たちが、意味もなく殺された。

私は考えた。ガザで失われたあの才能ある医師たちや、優しい看護師たち、そして思いやりある医療スタッフの、誰が代わりになるのかと。

ガザで殺された力強く経験豊かな戦争記者や語り手の仕事を、誰が引き継ぐのかと。

弟のマジェドさんもガザで死亡した/Hani Almadhoun
弟のマジェドさんもガザで死亡した/Hani Almadhoun

何百人もの教育者、教員、カウンセラーの、誰が代わりになってくれるのか。中には避難所となった学校で、彼らが子どもたちの心を育んでいたその場所で、命を落とした人もいる。

そして残忍で無意味な軍事キャンペーンのために短い命と願いを断たれ、学校や大学に戻れなくなった何千人もの生徒や学生たち。

自分たちが手がけた建物の中で命を落とした何百人もの技士や製造者、建築家の役割を、誰が担うのか。

あのプログラマーも、ソフトウェアエンジニアも、技術者も、起業家も、職人も、シェフも、みんな逝ってしまった。思い出と悲嘆をあとに残して。

あまりに不確かな現実の中で、誰に未来を夢見る勇気があるというのか。

何よりも大切なのは、イスラエル軍の破壊のために命を落とした何千人もの母親と父親が残した空白を、誰が埋めるのかだ。ガザは打ち砕かれ、住民は生きている限り恐怖におびえ続ける。

もう一度、ジョー・バイデン大統領に訴える。持てるあらゆる力を行使して戦闘を止め、恒久的な停戦を実現し、これ以上、罪のないガザの命が失われる前に殺人を止めてほしいと。

オマルくんはサッカー選手になることを夢見ていた/Hani Almadhoun
オマルくんはサッカー選手になることを夢見ていた/Hani Almadhoun

誰もがかけがえのない個人であって、単純な統計でも巻き添え被害者でもない。愛する者が心から大切に思っていた人たちなのだから。

ほんの一瞬のうちに、彼らは不幸にも、永遠に奪われた。

私は今週、2週間の間ずっと連絡が取れなかった自分の家族とやっと話すことができ、そうした人たちに深い思いをはせていた。数えきれない涙が流れ、言葉にならない言葉と沈黙は魂をかきむしるようだった。

今、その全ての喪失の上に、私は感謝祭の翌朝、ガザ時刻の午前5時に、世界がサッカーのスター選手を失ったことを知った。そしてそうした全ての疑問が、自分の上に崩れ落ちてきた。

安らかに、オマル。

きみは何も悪いことはしていない。唯一の罪は、パレスチナの子どもとして生まれてきたことだった。

また会う日まで。ハビビ

ハニ・アルマドホーン氏は国際連合パレスチナ難民救済事業機関USAの慈善事業担当ディレクター。ガザ出身で家族は今もガザに住んでいる。記事の内容は同氏個人の見解です。

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