新疆を脱出した子どもたち、中国に残る親と連絡取れず
イスタンブール(CNN) もう5年近くも、ハッサンさんは家族と連絡を取っていない。そのうち彼らのことを忘れてしまうのではないかと恐れている。
父親の写真を1枚持っているが、過去の記憶は薄れるばかりだ。必死の思いで母親ときょうだいの顔を頭の中にとどめようとするものの、日を追うごとにそれは難しくなっていく。
「家族の顔が分からなくなるのが怖い。自分の家族を思い出せないなんて、ぞっとする」(ハッサンさん)
ハッサンさんがいるのは、トルコ・イスタンブールにあるウイグルの人々のための寄宿学校だ。校内の自分の部屋で暮らし、家族と再会できる日を待っている。夢は故郷のホータンに帰ること。11歳のとき、父親に中国最西部の新彊から連れ出されたが、当時はまだ幼く、何が起きているのか分からなかった。
「あまり状況が分かっていなくて、考えてもいなかった。トルコに旅行に行くのだと思っていた」とハッサンさんは振り返る。
民族や宗教にまつわる緊張が当時の新彊で高まっていたのは、うっすらと記憶にあるという。両親はハッサンさんを学校に行かせるのを恐れた。街路で遊んでいると、母親から家の中へ戻るよう注意されるようになった。
16歳のハッサンさん。手元にある家族の写真は携帯端末に保存している父親の画像1枚のみだ/Gul Tuysuz/CNN
「圧力がかかり始めた。……誰もがおびえて暮らしていた。警官がそこら中にいた。……でも自分ではあまり気づかなかった。自分たちが中国で囚人になっているとは、理解していなかった」(ハッサンさん)
家族の中でパスポートを持っていたのはハッサンさんと父親だけだった。父親はハッサンさんをトルコへ連れて行き、高齢の親類のところへ預けた。残りの家族を中国から連れ出すつもりで新彊に戻ったが、そのまま帰ってこなかった。
「電話を掛けようとしたけれど、どうしようもない。通信は完全に遮断されている」と、ハッサンさんは話す。「当時、出国するのは簡単だった。けれども父が戻ったころ、状況は一段と悪化していて、中国外への渡航は禁止されていた。その時になって事態がのみ込めた」
新疆は、中国でもとりわけ民族性が多様な地域として知られ、主にイスラム教を信仰する様々な民族集団が暮らす。そのうち人口が最も多いのがウイグルの人々だ。固有の文化を持ち、トルコ語に近い言語を話すウイグルは、数世紀にわたり地域の多数派だった。しかし1980年代に入るころ、状況は変わり始めた。中国政府は地域経済を発展させようと、国内の支配的な民族集団である漢人を域内に多数住まわせた。今日、ウイグルの人口は約1100万人と、新彊の全人口の半分に満たない。
ウイグルの多くは長年にわたり、自分たちの地元で暮らしているにもかかわらず社会の周縁へ不当に追いやられていると感じてきた。不満の声は、不公平とされる経済政策や政府の主導による民族的な習慣への規制に向けられた。ハラル料理(イスラム法で食べることが許されている食材や料理)やイスラム的な装束、一般的な宗教行為がこうした規制の対象になった。不満は民族間の緊張を高め、暴力に発展することもあった。中国政府はまた、新彊や国内の他の地域で発生する襲撃について、ウイグルが関係しているとの見方を示した。しかし近年、習近平(シーチンピン)国家主席の下で新彊の少数派に対する政策は強硬なものとなっている。2016年以降浮上した証拠からは、中国政府が大規模な収容施設を新彊全域で組織的に運営し、ウイグルや他のイスラム教徒の少数派を裁判なしで拘束している実態がうかがえる。
米国務省によると、最大200万人がこうした施設に連れて来られている可能性がある。ひとたび収容されれば、集中的な洗脳にさらされ、イスラム教を捨てて中国共産党を支持するよう迫られる。CNNが元収容者から集めた証言では、拷問や性的虐待、さらには仲間の収容者の死といった出来事が語られている。
中国は人権侵害に対する疑惑を激しく否定。収容施設は自主参加型の「職業訓練センター」であり、宗教的な過激主義やテロリズムを撲滅するために作られていると主張する。先月15日の会見で、中国外務省の趙立堅報道官は、新彊で人権侵害が行われているとする主張について「事実無根であり扇情的なもの」との認識を示した。
13歳のアブドラ君(右)と11歳のモハメド君の兄弟。家族とは4年以上連絡が取れていない/Gul Tuysuz/CNN
「新疆に関連する問題は人権問題では全くない。実際には暴力的なテロリズムや過激化、分離主義への対抗策にかかわる話である」(同報道官)
近年、数千人のウイグルの人々がトルコに避難している。同国は民族、言語、文化の面でウイグルとの結びつきが強い。今日トルコは、世界中に離散したウイグルを最も多く受け入れている国とみられている。
ハッサンさんが語った家族や中国からの渡航に関する話に似た内容は、同じ学校の他の子どもたちも共有している。彼らが生活するオク・ウイグル学校は2017年、イスタンブール郊外に設立された。大半の生徒は両親の少なくとも一人と連絡が取れていない。生徒らに言わせるとそうした親たちは、新彊にある収容施設というブラックホールに吸い込まれ、それきり姿を消した。20人近い生徒たちについては、両親のどちらとも連絡がつかないと、学校の管理責任者で設立者でもあるハブブラ・クセニ氏は説明する。
「学校を設立すれば自分たちの言語、伝統、習慣を存続させられるし、孤児たちの面倒もみられる。彼らの親は亡くなったか、中国の収容施設の中で消息を絶った」(クセニ氏)
親から引き離されて海外で暮らすウイグルの子どもの総数は判明していないと、アンカラにあるハチバイラムベリ大学のウイグル社会学者、アブドゥレシット・セリル・カールク氏は指摘する。
同氏によれば、ウイグルの人々はこれまで通り中国国内で自由に宗教行為や習慣を実践できなくなったのを受け、多くが国外へ出ていこうとした。政府が15年にパスポート政策を短期間自由化すると、パスポートを取得する人や中国を出る人が増えた。ところが家族を連れ出そうとしたり、商取引をまとめたりするために中国へ再入国した人の多くはそのまま足止めを食らい、公安に拘束された。
厳重な警戒が敷かれた施設の監視塔。施設は新疆の都市ホータン郊外にあり、「再教育」の名目でイスラム教徒が多数を占める少数民族を収容している(2019年5月31日撮影)/Greg Baker/AFP/Getty Images
「2017年以降、家族が引き離される問題が本格的に明らかになり始めた。人々はただトルコとつながりがあるというだけで逮捕されていた。このため家族はバラバラになった。子どもたちはここに残され、今も中国国内にいる家族とは連絡が取れない」「バラバラにされ、引き離されたこれらの家族は、胸を締め付ける痛ましい事例の最新のものだ。もう20年間、こうした弾圧の実態が語られている」(カールク氏)
中国外務省はCNNへの声明の中で、弾圧についての主張に反論。「中国政府はウイグルを含むいかなる市民に対しても移動の自由を制限したことはない。すべての市民は、民族や宗教にかかわらず、自由に出入国できる。犯罪の容疑により出国を制限されない限り、そうした自由は認められる」と述べた。
学校に戻ると、現在16歳のハッサンさんが自分より若い子どもたちのことを案じている。「とてもたくさんの子どもたちがいる。まだ小さいのに、親がいない」(ハッサンさん)
ハッサンさんの部屋から見える校庭では、アブドラ君(13)とモハメド君(11)の兄弟が遊びながら休み時間を過ごしている。2人は1台しかないキックスケーターを、子どもたち全員で順番待ちしながら使う。アブドラ君はその間、校庭に入り込んだ野良犬を優しくなでている。
モハメド君は両親の顔をほとんど覚えていない。アブドラ君は母親の顔は覚えているが、父親は思い出せないという。彼らは記憶が薄れていくのをどうにかして止めようとしている。「お父さんはお店を持っていた。家に帰るのは僕らが寝た後だった。お母さんが僕らを寝かせてくれた」(モハメド君)
兄弟のいきさつは、ハッサンさんとほとんど同じに思える。父親が兄弟を15年にトルコに連れてきた。母親とその他のきょうだいはパスポートを持っていなかったので新彊に残った。父親は兄弟を友人に預け、ひと月で他の家族を連れて戻ると言った。友人のところにいる間、兄弟は電話で母親と話すことができた。
「お母さんは、お父さんがパスポートを取られたと言っていた。お父さんは戻れないけど、そのうちまた会えるからと僕らに話した」と、アブドラ君は母親との会話を振り返った。「お父さんは収容施設の中にいるとも言っていた」と、モハメド君が続けた。兄弟を預かった友人がその後電話しようとしたが、母親が出ることはもうなかった。
たとえ両親に再会しても、そのとき何と言って話しかけるのか、兄弟にはわからない。そして両親2人と暮らしたいと願うのが全くの高望みであるかのように、アブドラ君はそっとこう言い添えた。「せめてどちらかでも、一緒ならいいのに」