英国王ヘンリー8世の側近、トマス・クロムウェルが所有していた16世紀ロンドンの豪華邸宅が初めて再現された。
英文化財保護機関イングリッシュ・ヘリテージとエクセター大学で研究員を務める歴史家ニック・ホルダー氏は今回、58室を擁した同邸宅の調査を実施。画家のピーター・アームストン氏と協力して、建物の想像図を描いた。
この建物は最終的にロンドンの同業者団体ドレーパーズ・カンパニーが取得しており、ホルダー氏は同団体に残る平面図や測量図、不動産譲渡証書、それにクロムウェル自身の文書を駆使することで、邸宅の外観を再構成することに成功した。研究結果は7月27日、考古学関連の英学術誌に発表された。
ホルダー氏はCNNの取材に、「クロムウェルが生活した家の理解を試みることができて楽しい経験だった」と語る。「彼は妻や子どもと一緒にここに住んでいた。彼の権力や影響力、富、地位が増大するにつれ、まさにこの場所で彼の家と家庭が次第に拡大していった」
ロンドンのスログモートン通りにあったトマス・クロムウェルの邸宅の1階平面図/Courtesy Nick Holder
クロムウェルは英宗教改革の立役者で、カトリックの教義から距離を置く宗教上の改革を議会通過させた。これにより、ヘンリー8世は最初の妻キャサリン・オブ・アラゴンと離婚し、1532年にアン・ブーリンと結婚することが可能になった。
ただホルダー氏によると、同氏の研究の結果、クロムウェルの信仰は時間とともに変化したとみられることが判明した。それ以前の自宅にカトリックの遺物があったことから分かるように、1520年の時点では、クロムウェルは「型通りの伝統的な、カトリックの英国人ジェントルマン」だったという。
この邸宅が建てられた土地は、ロンドンのスログモートン通りにあったオースティン托鉢修道会の修道院からクロムウェルが購入したものだった。建設は約1600ポンド(現在の価値だと140万ポンド=約2億1000万円)をかけて1535年7月から行われた。
クロムウェルの若い頃の詳細については依然不明な点が多いが、出自は比較的貧しく、商人の息子だったとされる。彼自身の表現では若い頃は「ごろつき」で、欧州大陸で一時期を過ごした後、英国に戻って急速に権力を掌握した。
「彼はロンドンに大邸宅を欲しがっていた。印象的な門構えや、通りに突き出すような出窓を備えた邸宅だ」。ホルダー氏は邸宅建設へのクロムウェルの野心についてそう指摘し、設計の一部はクロムウェル自身が担ったとの見方を示した。
2015年に英BBCで放映されたテレビシリーズ「ウルフ・ホール」でトマス・クロムウェルを演じたマーク・ライランス/AA Film Archive/Alamy Stock Photo
邸宅には他にも、100人分の武器を収容できた大型武器庫、豪華なタペストリー、巨大な階段塔、金やダマスク、ベルベットでつくった寝具など、目を引く設備が備えられていた。
クロムウェルは1540年、ヘンリー8世と4番目の妻アン・オブ・クレーブズとの婚姻を手配したものの、この結婚は失敗に終わる。国王の寵愛(ちょうあい)を失ったクロムウェルは反逆罪で逮捕され処刑された。
クロムウェルの死後、ヘンリー8世は邸宅を没収し、ドレーパーズ・カンパニーに売却した。しかし話はここで終わらず、国王は邸宅売却後に突然、クロムウェルが植えていた果樹への憧憬(しょうけい)を募らせた。
「彼はドレーパーズ・カンパニーに書簡を送り、クロムウェルが大事にしていたダムソンの木を庭から送るよう要求した」「武器庫やタペストリー、高品質のベッドを没収した数カ月後になって突然、ヘンリー8世は『そういえばあそこには良い果樹があった。あれを入手できるかもしれない』と思い出したらしい」(ホルダー氏)
この邸宅は1666年に起きたロンドン大火で焼失したものの、ドレーパーズ・カンパニーの本部は今に至るまで同じ場所に残っている。
大衆文化の中におけるクロムウェルの人気は相変わらずだ。人気の火付け役となったのは、小説家ヒラリー・マンテル氏によるクロムウェルの生涯を描いた歴史3部作。この小説は後にマーク・ライランス氏主演のテレビシリーズ「ウルフ・ホール」として映像化された。