1960年代、70年代に中国で起こった文化大革命時の暴力と動乱を写真という形で記録した写真家、李振盛(リ・シンセイ)氏の功績に多くの賛辞が寄せられている。
李氏がかつて自宅の床下に隠し持っていた文化大革命当時の写真をまとめた写真集の出版元である香港中文大学出版社の広報担当者は6月、李氏が79歳で死去したことを認め、李氏の功績を「比類なき偉業」とたたえた。
また、李氏のエージェントであるコンタクト・プレス・イメージス(CPI)も李氏の死去を発表し、インスタグラム上で、「李氏が写真という形で残した遺産の価値は計り知れない」と述べた。さらに、李氏が撮影した衝撃的な写真を世界に公開した数多くの機関の1つである英国のフォトグラファーズ・ギャラリーも「李氏の重要な作品は、それを見たすべての人に多大な影響を与えた」とツイートした。
李氏の名が世界的に知られるようになったのは90年代、欧米のメディアで文化大革命時に撮った悲惨な写真を公開し始めたのがきっかけだった。報道記事と街で撮影した写真を組み合わせる形で、同氏はこの10年にも及ぶ政治運動に新たな光を当てた。文革では数十万人が死亡し、数千万人が迫害を受けたとされる。
黒竜江省の省長だった李范五氏。公の場で乱雑に頭髪を剃られ、毛沢東に対して何時間も頭を下げさせられている/© Li Zhensheng/Contact Press Images
新聞社公認のカメラマンとして、李氏は当時の革命の熱気を記録する任務を負った。中国は1966年5月からそうした革命熱が全土を席巻していた。このため李氏の写真の多くは、熱狂的な中国の若者や紅衛兵の姿をとらえている。彼らはポスターを描いたり、横断幕を振ったり、政治的腕章や「毛沢東語録」を誇らしげに掲げたりしている。
一方で李氏は、人民の敵や反革命勢力と非難された人々に対して振るわれた驚くべき暴力も写真に収めた。その中には、「批判集会」と呼ばれる公共の場での辱めや拷問、さらに道端での処刑の写真なども含まれていた。李氏は長い間、数千枚に及ぶネガを隠し持っていたが、1976年の毛沢東の死後、数十年間にわたってそれらの写真を世界に公開した。
「紅色新聞兵」
李氏は1940年に、当時日本の支配下にあった中国北東部遼寧省(りょうねいしょう)の大連で生まれた。そして映画撮影術を学んだ後、63年に黒竜江日報にカメラマンとして入社した。
国営新聞のカメラマンという立場のおかげで、李氏は、66年に文化大革命が始まった後の混乱の様子を自由に、そして一般人では不可能なほど詳細に撮ることができた。
有名な毛沢東の「長江遊泳」を記念する行事で、「毛沢東語録」を読み上げる遊泳参加者ら/© Li Zhensheng/Contact Press Images
李氏は後に糾弾され、妻とともに2年間の重労働を強いられたが、その際も撮りためた写真を処分せず、自宅アパートに隠しておいた。
特に衝撃的なのは、7人の男女が並んで銃殺隊の前にひざまずく写真だ。これは68年に撮影されたもので、彼らはこの直後に処刑された。別の写真では、黒竜江省の省長だった李范五(リ・ファンウー)氏が公の場で髪を剃られ、毛沢東の肖像画の下で何時間もお辞儀をさせられている。
中国が自由化の時代に入った1980年代後半、李氏は北京で一般向けに多くの写真を展示した(国営新聞各紙は仰天した)。このころは毛沢東に対する公然とした批判が徐々に受け入れられるようになっていた。96年には、黒竜江省の省都ハルビン市に住み続けながら、米誌「タイム」の文革発動30周年の特集記事に協力した。
2008年に撮影したセルフポートレート/© Li Zhensheng/Contact Press Images
その後、李氏の写真は、欧米の多くのメディアで取り上げられた。そして90年代後半、李氏は文革の約3万枚の写真を茶封筒に入れ、写真を扱う国際機関CPIに送付した。そして完成した写真集「紅色新聞兵」が2003年に出版され、その後、複数の言語に翻訳された。なお「紅色新聞兵」というタイトルは、李氏が取材時にはめていた記者向けの公式の腕章にプリントされていた言葉を採用した。
同写真集の中国語版は、2018年になってようやく香港で出版されたが、中国本土での販売は禁止された。李氏は、中国の大学で講演を続け、ニューヨーク市と北京の間を行ったり来たりする生活を送っていたが、李氏の写真は中国本土ではまだタブー視されていた。
李氏は昨年、中国語版の発売後に行われた米紙ニューヨーク・タイムズとのインタビューの中で、「(自分の写真集を)1冊ずつ(中国)本土に持ち込む」と述べ、「(小さな)アリが集団で(大きな)家を動かすようにね」と付け加えた。
また李氏は、複数のインタビューの中で、自分の写真が最もインパクトを与えられる中国本土での公開を事実上禁止されていることについて、たびたび不満を漏らした。
2018年に行われた香港の日刊紙「サウスチャイナ・モーニング・ポスト」のインタビューでは、「文革は中国で起こったにも関わらず、文革の研究は他国で盛んに行われ、中国にはその影響がほとんどない。これは全く受け入れがたいことだ」とし、さらに「私の写真は中国で撮影したものであり、ほとんどの読者は中国本土にいるはずだ。文革を経験した人も、そうでない人も」と付け加えた。