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張大千の作品がゴッホより売れている理由

張大千の「春雲曉靄」(1968年)

張大千の「春雲曉靄」(1968年)/Sotheby's

張大千の名は欧米では知られていないかもしれない。だが張は中国、そして世界のアート市場ではアンディ・ウォーホルやモネに匹敵する人物だ。

張は中国古典絵画の巨匠であり、後に移り住んだ米国で現代美術を再構築した。水墨風景画から抽象画まで作品は多岐にわたる。「東洋のピカソ」とも言われる張だが、ピカソと比較するのは、絵画の様式が異なるため誤解を与えかねない。とは言え、張のジャンルを超えた才能がそれを物語っており、張の作品は現在、非常な高値で取引されている。

没後40年近く経った今年4月、張が1947年に制作した「王希孟の模写『千里江山図』」が、香港で行われたサザビーズのオークションで4700万ドル(約64億円)で落札された。オークションで落札された張の作品としては史上最高額となった。

張の絵画はこれまでにも高値で取引されており、同作品は高額落札された最新のものに過ぎない。アートプライスの年間ランキングによると、2016年のオークションでは張の作品が3億5400万ドル以上で取引され、その年の落札価格としては、世界のどの芸術家(死者、生者を問わず)の作品をも上回る最高額をつけた。昨年は、ゴッホやバンクシーといった市場の大物を抑えて、同ランキングで6位だった。

「王希孟の模写『千里江山図』」(1947年)/Sotheby's
「王希孟の模写『千里江山図』」(1947年)/Sotheby's

サンフランシスコ州立大学のマーク・ジョンソン教授(美術)は、これは氷山の一角に過ぎないだろうとの見方を示している。

ジョンソン氏は電話インタビューで、「張の才能がより広く知れ渡るにつれ、価格が急騰している」と述べた。19年にサンフランシスコのアジア美術館で開催された張の芸術展を共同企画したジョンソン氏は「まもなく価格は2倍になるだろう」と推測。価格が現在のところ相対的に低いのは、欧米の美術館やコレクターの間で張の存在が知られていないためだと説明した。

ジョンソン氏は「張大千が20世紀で最も重要な芸術家のひとりであることに疑いの余地はない。彼の作品はグローバル文化に言及すると同時に、中国の古典文化に深く根ざしている」とコメント。張については、「真のグローバルな最初の中国人芸術家」と言及している。

世界のはざまで

19世紀が終わる直前に中国南西部の四川省で生まれた張(ローマ字表記:Chang Dai―chien)は、幼少期から並外れた才能を持っていた。絵は母親から学んだ。張いわく10代の頃に盗賊に捕まり、盗賊たちが盗んだ本で詩を勉強したという。

日本で染織を学んだ後、上海で書画の名家である曽熙、李瑞清に師事した。張にとって中国古典の名画を模写することは絵画の技法を習得するうえでの土台となり、明・清時代の偉大な芸術家の作品を巧みに模写することを学んだ。のちに張は熟練した贋(がん)作家にもなった。

張大千=1965年8月10日、英ロンドン/Rolls Press/Popperfoto/Getty Images
張大千=1965年8月10日、英ロンドン/Rolls Press/Popperfoto/Getty Images

1930年代に画家として名声を得た後、2年間、甘粛省の敦煌にある色鮮やかな仏教洞窟壁画を研究し、丹念に模写を行った。この経験は張の芸術に大きな影響を与えた。具象画の技法を磨くと同時に、張はやがて幅広い色彩を作品に用いるようになり、中国美術における色彩の流行を「ほぼ独力で復活させた」(ジョンソン氏)という。

「張の用いる色彩は、中国の古典絵画の将来性に変革をもたらした。信じられないほど豪華で、豊かで官能的な色彩をあらわにしたからだ。これまでこうした色彩は、より簡素な、あるいはより学術的な絵画によって敬遠されていた」とジョンソン氏は説明した。

中国で生活していた1943年制作の作品/Museum Associates/Los Angeles County Museum of Art
中国で生活していた1943年制作の作品/Museum Associates/Los Angeles County Museum of Art

だが、張は中国の伝統に根ざした作品を制作する一方で、49年に共産主義が台頭したことにより、祖国と相いれない状況に陥った。ジョンソン氏によると、張はとりわけ、毛沢東率いる新政府が、経済発展の妨げになるとして古代の文化を軽んじたことに、居心地の悪さを覚えたという。

「中国文化への認識を巡っては、(張は)偉大な古典的系譜に根づいた完全に異なる種の文化に深く傾倒していた。共産主義革命が評価したのは、それとは全く異なる種の芸術であった」(ジョンソン氏)

他の多くの芸術家と同様、張は50年代初頭に中国を離れ、アルゼンチンやブラジルを転々とした後、カリフォルニア州のカーメル・バイ・ザ・シーに移り住んだ。56年にパリでピカソと面会し、作品を贈りあったことは有名で、メディアは「東西芸術家の大いなる出会い」と報じた。ピカソは自身が描いた中国風の絵画を批評するよう張に求めたところ、張は「あなたはふさわしい筆を持っていない」と如才なく示唆し、後にピカソに中国の筆を一式贈ったという。

海外での新生活は、張の芸術面に幅広く影響を与えたほか、彼のキャリアにおいて最も重要となる画風の変化をもたらした。張は「ポーツァイ」と呼ばれる、色を飛び散らせた新しい抽象的な技法を取り入れた。

この変化は視力の衰えも一因となっていた。張は糖尿病を患ったことで視力が低下し、細部が見えにくくなっていた。そのため、これまでの具象的な画風や明瞭な筆致に代わり、渦巻いた色や濃い墨のにじみを用いるようになった。作品には依然として山、木、川が描かれた。だが、それらの形はほのかに見えるだけで、まるで霧が立ち込めたかのような繊細で柔らかな線とぼんやりとした筆致で情景が描写された。

自身が用いる絵画技法は中国の伝統に根ざしたものだと張は主張した。いつも長い衣をまとい、流れるような白いひげをたくわえた張は、米国に渡って数十年経っても、新しく取り入れた技法は古代の画家、王墨のものだと考えていた。だが、ジャクソン・ポロックやウィレム・デ・クーニングといった米国で活躍した抽象表現主義の画家から少なくとも部分的に着想を得ていたことは明らかだった。昨年、2億1500万香港ドル(現在のレートで約37億円)で落札された68年制作の「春雲曉靄」を例に挙げよう。伝統的な風景画をベースにしながらも、豊かな色彩と質感のあるフォルムは、現代西洋の美学を雄弁に物語っている。

サザビーズ・アジアの中国絵画部門の責任者であるカルメン・イップ氏は、ビデオ通話でこう話した。「彼が60年代に米国にいたという事実は否定できない。だから、少なからず抽象表現主義から刺激を受けたのだろう。だが彼にとっては、中国の絵画史に通じるものでもあった」

新世代のコレクターたち

張の作品が、ニューヨークのメトロポリタン美術館やボストン美術館をはじめとする美術館に所蔵されていることからも、東洋と西洋の橋渡しをした彼の作品の人気の高さがうかがえる。だが、作品の市場価値が急上昇した過去10年間は、中国の消費力が爆発的に向上した時期と重なっている。

約20年前、世界の美術品市場に占める中国の割合はわずか1%だった。張の作品は2002年のアートプライスの年間ランキングでは80位、世界のオークションにおける取引額は500万ドルを下回った。だが、アート・バーゼルとUBSの22年世界美術品市場リポートによると、美術品市場における中国のシェアは現在、米国に次いで2位である。

張の作品の売却に何度か携わったイップ氏によると、需要は今や「より成熟した」作品の収集を好む中国のバイヤーによって大きく支えられているという。「彼らは作品の質を分かっている」と同氏は説明する。

1970年制作の抽象的な技法を取り入れた作品/Asian Art Museum
1970年制作の抽象的な技法を取り入れた作品/Asian Art Museum

イップ氏はまた、「中国の美術館はここ数年、(張の作品を)積極的に収集している。だが、購買者層の大半は個人だ」と述べている。

サザビーズは、4月のオークションで「王希孟の模写『千里江山図』」を記録的な価格で落札した人物が誰なのかは公表せず、アジア人の個人バイヤーに渡ったことのみ明らかにした。イップ氏によれば、今回のオークションに関心を示したのは、国内外を問わず、ほとんどが中国人のコレクターだったという。

また、このオークションで驚きだったのは、3億7000万香港ドル(当初予想の5倍以上)を超えた落札価格だけではない。その価格の記録を塗り替えた作品の種類も意外であった。イップ氏によると、これまで張の作品は、中国で制作された伝統的な絵画よりも、後期の抽象的な作品のほうが高額だった。

「結果は我々にとっても驚きだった。2億香港ドル級の価格に達した作品は、ほとんどが色を飛び散らせた作品だった。よってこれは予想外であった」(イップ氏)

模倣こそ最も誠実な称賛

それでも「王希孟の模写『千里江山図』」は、多くの点で張の作品の典型と言える。その名の通り、この作品は12世紀に画家の王希孟が描いた名画「千里江山図」を現代風に模写したものだ。

張は原画の要素を忠実に再現することで、この「千里江山図」に精通していることを示した。だが、金色の顔料を散りばめることで、自身の作品に新たな質感を与えた。

「張は原画を格上げすることができた。原画に挑んだのだ。原画の要素を一変させたことで、作品を全く新しい段階へと引き上げた」とイップ氏は言う。

2011年に香港の競売に出品された作品/Kin Cheung/AP
2011年に香港の競売に出品された作品/Kin Cheung/AP

「彼はただ絵を描いたり、模写したりするのではなく、古代の芸術家や巨匠たちから学んでいた。記憶力に優れ、筆使いも見事なため、原画を変容させることができたのだ」(イップ氏)

張はしばしば、このように原画を変容させることで、影響を受けた画家たちへの敬意をじかに表した。だが古典絵画の修行を積んだ張は模倣にたけており、彼が生前に制作し販売した贋作は、時に原画と見まごうほどであった。17世紀の画家、八大山人や石濤の作品とされていたものは、後に張の作品であることが分かっている。さらに、ジョンソン氏によれば、張は1960年代に開催された石濤の絵画展に出席したが、オープニングシンポジウムで展示作品の一部は自身が描いたことを暴露したという。

だがジョンソン氏は、張は欺こうとしたわけではなかったのだと主張する。張は挑戦することを楽しみ、張の贋作にはしばしば、模倣であることをほのめかす遊び心に満ちた銘が隠されていた。

「私は張を個人的に知る複数の人たちと友人だった。彼らいわく、張はペンやブラシを手に取り、中国古典絵画の傑作を描くことがとにかく好きだった。張はこれら傑作の構図や筆致の違いを完璧に記憶していた。彼は技法そのものを愛していたのだ」(ジョンソン氏)

したがって模倣は悪意ある行為と言えるのだろうか? それとも、これは張による極めて精巧な自作自演の一環なのだろうか――。ジョンソン氏は、張の贋作についてこう問いかけている。

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