北朝鮮で朽ちゆく世界初の「海上浮遊式ホテル」
ウイスキー瓶
ホテルにたどり着く方法は高速の双胴船による2時間の旅か、より短時間で済むヘリコプターでの移動かの2択だった。ただしヘリは料金が高く、インフレ調整後で往復350ドルかかった。
当初は新しいことずくめの趣向が話題を呼んだ。ダイバーにとっては夢の施設だったが、ダイバー以外の人も「イエローサブマリン」と呼ばれる特殊な潜水艇のおかげで、サンゴ礁のすばらしい眺めを堪能できた。
だが間もなく、宿泊客に対する悪天候の影響を過小評価していたことが判明する。
「天気が荒れ模様で、飛行機に乗るため街に戻らなくてはいけない場合、ヘリや双胴船の運航が不可能になり、大変な不便が生じた」(デヨング氏)
興味深いことに、ホテルの従業員は最上階で生活していた。海上浮遊式ホテルの場合、最上階は揺れが最もひどく望ましい場所ではない。デヨング氏によると、従業員は天井からつり下げた空のウイスキー瓶を使って海の荒れ具合を推測。瓶が手を付けられないほど揺れ始めたら、宿泊客が船酔いに見舞われるのは確実だった。
「ホテルが商業的に成功しなかった理由のひとつは多分これだろう」(デヨング氏)
わずか1年後、「フォーシーズンズ・バリアリーフ・リゾート」と名付けられたホテルは運営費用が高騰し、一度も満室になることなく閉鎖された。
「ホテルはひっそりと消滅した」とデヨング氏。「その後、観光客誘致を目指していたベトナム・ホーチミン市の企業に売却された」という。
思いがけない行き先
グレートバリアリーフ沖での営業が失敗した後は、ベトナムでの10年を経て、北朝鮮に運ばれた/Hyundai Asan Corporation
89年、2度目の旅に乗り出した海上浮遊ホテルは、約5470キロ北に行き着いた。「サイゴンホテル」と改称され(日常会話では「ザ・フローター」の名称の方が知られていたが)、それから10年近くサイゴン川に係留された。
「大成功だった。その理由は大洋のただ中ではなく、河岸に位置していたためだと思う。水上に浮かんではいたが、陸地につながっていた」(デヨング氏)
しかし98年、ザ・フローターは資金繰りに行き詰まり廃業する結果に。それでも解体はされず、思いがけない新たな命を手にした。北朝鮮が韓国国境に位置する景勝地、金剛山への観光客誘致を目的に購入したのだ。
「当時、韓国と北朝鮮は交流の架け橋をつくろうと協議を進めていた。だが、北朝鮮のホテルの多くは観光客にやさしい場所とは言い難かった」(デヨング氏)
さらに4500キロほど移動した後、ホテルは3度目の冒険の準備が整った。新たな名称は「海金剛ホテル」。オープンは2000年で、運営主体は韓国企業の現代峨山だった。同社はこの地域で他にも施設を運営し、韓国人観光客にパッケージ旅行を提供していた。
現代峨山の広報によると、この時期に金剛山地区は200万人を超える観光客を集めた。