無期限ロックダウン
4月以前、2500万人の上海市民の大部分は文字通りの意味での「生存」など気にもしていなかった。
上海はこの2年間、世界から中国へ人や物が入ってくるもっとも重要な玄関口という地位を確立してきた。新型コロナウイルス対策でも、北京が厳格なゼロコロナ政策を敷いたのに対し、上海は狙いを絞った寛大な対策を誇りにしていた。
市全域にわたる大規模な検査を避け、緩やかな検疫ルールを採用した上海は、中国全土の模範例とみられたこともあった。同じく世界の他の国々もワクチン接種に重点を置き、コロナとの共存の道を選んでいた。
そこへ現れたのがオミクロン株だ。感染力の高い変異種は上海を襲い、政府の統計によれば3月以降39万人以上の市民が感染した。
上海市当局は度々ロックダウンの可能性を否定してきたが――警察でさえも、ネット上でうわさを流す人々の調査に乗り出すと発表した――3月末に突如方向転換し、4月初めには巨大都市を丸ごと封鎖した。
当初は4日間の「臨時封鎖」という触れ込みだった――ただちに全市民を対象に検査を実施し、陽性者を隔離した後、封鎖を解除すると言われていた。その結果、わざわざ食料補充をする市民は多くなかった。
ロックダウン直前には大規模な買いだめ騒動があったが、筆者の父は他の人々同様動じなかった。電気技師を退職し、旅行と写真とコーヒーが趣味の父は、背中の筋肉を傷めたばかりでどのみち出歩けなかった。
とはいえ、自宅隔離は父が予想していたよりもずっと長く――かつ行き当たりばったりの措置であることが分かった。
毎日数万人単位で新規感染者が報告され、政府はロックダウンの延長を繰り返した――どの住宅地も、1人でも陽性者が出れば14日間の追加隔離が命じられた。
父のマンションは現在5月2日まで隔離される予定だ。だが当局は住民の再検査を継続しているため、その日付も怪しい。ロックダウンの期日がいつ何時リセットされるかもしれないのだ。
今度ばかりは数百万人の上海市民も――老いも若きも、貧しい者も富める者も、リベラル派も保守派も――団結して怒りの声を上げているようだ。
検閲官は悪い知らせの痕跡を根絶しようと躍起になっているものの、ソーシャルメディアのユーザーらは胸の痛むニュースを語り、投稿し続けている。整然とした効果的なロックダウンを誇張して伝える国営メディアの映像に、ますますうんざりしながら。
筆者の友人や家族もほぼ全員、ロックダウンの混乱や悲劇について個人的な体験談を持っている。夜中にこっそり抜け出して隣人と食料を交換した、雨漏りやトイレが水漏れする間に合わせの隔離棟に放り込まれた友人の恐ろしい話を聞いた、亡くなった父親の死に目に子どもを会わせてやれなかったとむせび泣く隣家の老婦人の声を聞いた、といった内容だ。