東ローマ帝国時代のペスト流行、被害は過大評価? 新研究
(CNN) 紀元6世紀に猛威を振るい、東ローマ帝国衰退の一因と考えられてきた感染症のペスト。わずか2~3年で当時の世界人口の半分が死亡したともいわれるこの大流行だが、記録に残る様々なデータを分析したところ、当時の人口動態や政治経済にそこまで甚大な影響は与えていない可能性があることが分かった。2日に公表された新たな研究で明らかになった。
紀元541年に世界的な感染拡大が始まったこのペストについて、研究者の多くは古代末期の社会を大きく変容させる画期的な事件ととらえてきた。その影響は、「黒死病」と呼ばれ、中世ヨーロッパに壊滅的な打撃をもたらした後代のペスト流行に匹敵するというのが従来の見方だった。
新たな研究では歴史学、考古学、科学といった複数の領域の専門家が集まった国際的なチームが、幅広いデータに基づいてペスト流行の影響を検証した。当時の文字史料、貨幣の流通記録、遺体の処置や埋葬の習慣、穀物の花粉の増減など多岐にわたるデータを調べてみると、感染による死者数が過大に推計されている可能性が浮上したという。
実際のところ当時の流行は、地中海世界や欧州の社会を一変させるほどの重要な役割は果たしておらず、東ローマ帝国衰退の主因にもならなかったと、当該の研究者らはみている。
米プリンストン大学で古代末期の研究に携わり、今回の研究論文の共著者も務めるジャネット・ケイ氏は、膨大なデータの分析からペスト流行の前後における人々の埋葬の仕方を調べた結果、死者を単独で埋葬するケースと複数人で埋葬するケースとの間に目立った変化は見られなかったと説明する。一方、中世の黒死病の流行時には、2人以上の死者を埋葬した墓の数が増加しているという。
同様に、湖沼や泥炭の堆積物から見つかる穀物の花粉の量にも減少は認められなかった。これらの花粉は農業生産の証拠として用いられており、黒死病の際には死者数に関連して花粉量も減少した。
論文の筆頭著者で、プリンストン大学や米メリーランド大学の機関に所属するリー・モーデカイ氏はCNNの取材に答え、今回のようなデータ駆動型の研究手法には制限もあると指摘。「いかなるデータも完璧にそろうということはない。それでも現時点で手元にある最良のものを用いている」「将来の研究者らが別のデータを発見し、我々の結論と異なる検証結果を得る可能性はある」と述べた。
当該のペストの大流行は、当時の東ローマ皇帝ユスティニアヌスの名をとって「ユスティニアヌスのペスト」とも呼ばれる。ユスティニアヌス自身もペストに感染したが、その後回復した。