「タイタニックを発見した男」、今も新たな冒険の途上
秘密任務
この任務を承認したのは当時のレーガン米大統領だった。バラードさんは参加に同意する前に、極秘任務を完了したらタイタニックの捜索を行ってもよいか尋ねた。
捜索の明示的な許可は与えられなかったものの、原子力潜水艦を発見した後は好きなことをやっていいと言われたという。
任務を完遂した時点で日程が12日余っており、バラードさんらのチームは深海探査艇「アルゴ」によるタイタニックの捜索に乗り出した。アルゴには遠隔操作式のカメラが搭載されていて、海底からバラードさんらの乗る曳航(えいこう)調査船「クノール」の制御室にライブ画像を送信した。
そして1985年9月1日、調査チームは処女航海中にニューファンドランド島沖で氷山にぶつかって沈没した残骸の位置を特定したことに気付いた。
最初は発見を祝ったバラードさんだが、間もなく、1500人超の死者を出した悲劇の重大さにクノールの乗組員ともども圧倒されたという。
海中博物館の計画
バラードさんらは残骸のあらゆる細部を撮影するため、1986年に再びタイタニックに戻った/Robert Ballard and Martin Bowen/Woods Hole Oceanographic Institution
タイタニックを発見した後、バラードさんは生存者数人と面会した。その多くは沈没時まだ赤ちゃんだった。「この歴史の一部」になれて光栄に思うと、バラードさんは語る。
沈没現場はそっとしておくべきだと思うが、人々がそれを見たがる理由も理解できる。
そこでバラードさんは、タイタニックや1916年にエーゲ海で沈没した姉妹船「ブリタニック」を扱う海中博物館を計画。来館者が両船の残骸を電子的に訪問できるようにしたい考えだ。