バイユーのタペストリーに描かれた「失われた」王の邸宅、考古学者が発見
王にふさわしい家
ハロルドの王宮は堀に囲まれた閉鎖空間で、厩舎(きゅうしゃ)や穀倉、倉庫、台所など、06年の発掘で発見された多くの付属構造物を備えていた。クレイトン氏によると、研究者がプロジェクトの一環で調査した建物はこれを含め七つ。だが、ボシャムの遺跡はバイユーのタペストリーとのつながりという点で特別だ。
「バイユーのタペストリーは、アングロサクソン時代のイングランドとノルマン征服について考える上で欠かせない。ただ、この刺繍は軍事的、政治的な出来事の表現にとどまらず、過去について多くのことを教えてくれる」と、ケンブリッジ大学のロリー・ネイスミス教授(中世初期イングランド史)は述べる。
「今回の論文は本当に貴重で特筆すべきことを可能にしている。ある場所について読み、当時の史料からその場所のイメージを確認して、現在という時点においてその場所を特定、再現することが可能になる」とネイスミス氏は言い添え、「まさにこれにより過去が蘇(よみがえ)る。ハロルド2世や彼の生きた世界について私たちの描くイメージに、手触りを与えてくれる」と語った。
中世の梁(はり)。かつてハロルド2世の住居があった場所に現存する邸宅で見つかった/Duncan W Wright/Newcastle University/Where Power Lies
ノルマン征服の前後、上流階級は複数の領地を行き来しており、ボシャムの王宮がハロルド2世の唯一の住処(すみか)だったわけではない。ただ、その広さと豪華な特徴から、お気に入りだった可能性は高い、とクレイトン氏は語る。
「このニュースが特に刺激的なのは、見事なタペストリーや考古学、中世の文書など、多種多様な証拠を総合しているためだ」。こう指摘するのは、ノルウェー・オスロ大学のケイトリン・エリス准教授(中世北欧史)だ。同氏は今回の研究に関わっていない。
エリス氏はメールで「これは証拠の再評価を通じこの時代についてさらなる発見ができることを示している。バイユーのタペストリーは視覚と文章の両面から、歴史の魅力的な断片たりえている」と述べ、「ヘースティングズの戦いとその結果起きたノルマン征服は、イングランドの歴史とアイデンティティーの重要な転換点と見なされている。当時は変化と継続性が同居する時代だった」との見方を示した。