長年にわたり鎖国状態にあった日本が19世紀半ばに開国すると、西欧の商船は日本の珍しい美術品を積み込んで急いで母国へと戻った。当時、ロンドンやパリの民間のアートギャラリーや骨董(こっとう)品を扱う店舗には、日本の木版画や書道、陶磁器があふれていた。
しかし、今にして思えば、そこになかったからこそ逆に人目を引いた伝統工芸がある。竹を編んで作る竹かごだ。
当時、竹編みはまだ、それによって生み出される縄、調理器具、かご、箱といった実用的な道具との関連でしか見られていなかった。竹工芸は、数十年にわたる熟練の技が求められ、数世紀の伝統が編み込まれているにもかかわらず、その時代の人々の間でやりとりされ、一流の芸術とはみなされなかった。
中国から自分の作品に署名する慣行がもたらされていたが、竹工芸家たちは日本人の名前によって作品の価値が損なわれることを恐れ、署名すらしなかった。
西欧で高まる需要
しかしここ数年、西欧で竹工芸の人気が高まっており、数万ドルの値が付く物もある。
ニューヨークのメトロポリタン美術館で竹工芸の展示会が開催されたのも、竹工芸が海外で日本と同等かそれ以上の関心を集めていることを示している。
早川尚古斎作「『舞蛙』花籃」(1918)/Metropolitan Museum of Art
ミネアポリス美術館クラークセンターの館長を務めるアンドレアス・マークス氏は、日本の竹工芸が西欧で関心を集めだしたのは1980年代と語る。マークス氏は、日本の竹工芸人気が高まっているのは、少数の米国人収集家が竹工芸に夢中になっているためだと指摘し、一例として米化粧品大手ニュートロジーナ元社長の故ロイド・コッツェン氏を挙げた。コッツェン氏は、膨大な数の竹かごを収集し、定期的に貸し出しも行っていた。
山口龍雲作「Vortex」(2017)/TAI Modern
マークス氏によると、昨今の竹工芸家たちは、特に西欧市場向けに作品を制作しているという。マークス氏は、竹工芸が今も活発なのは、日本の竹工芸と竹かごを専門に扱うニューメキシコ州サンタフェのアートギャラリー、TAIモダンのおかげだと明言する。
「(TAIモダンは)日本の竹工芸家たちにとって極めて重要だ。なぜなら、(TAIモダンのおかげで)新たなプラットホームが生まれたからだ」とマークス氏は言う。
「米国人は彫刻の作品が好きで、日本の工芸家たちは突然、新たな形式を作り出し、今まで作ったことのない物を作り出す自由が与えられた。彼らは自らを表現し、新たな領域に進むことができる。そして運が良ければ、(TAIモダンが)彼らを米国に連れて行き、個展を開き、売り込む」(マークス氏)
現代風のアレンジ
現在、TAIモダンは、繊細かつ左右対称の箱から、厚く、見た目の粗い竹を使った規格外のかごまで、竹編みの多用途性を示す膨大な数の竹工芸を所蔵している。現代の竹工芸家たちは、今でも実用性という竹工芸のルーツを活用し、花瓶など実際に利用可能な品を制作しているが、竹はより抽象的な表現にも適している。
TAIモダンのディレクター、マーゴ・トーマ氏によると、戦後、日本の工芸家たちは、この実用性と芸術性の両立を積極的に追求しているという。
トーマ氏は「竹工芸は利用可能な形をしていても、すべてこの種の彫刻ととらえている」と述べ、さらに「使用する、しないにかかわらず、これらは芸術品だ」と付け加えた。
本田聖流作「Floating Wheels」(2017)/TAI Modern
丈夫だが、軽くて弾力のある竹は、扱いが難しい素材だ。竹工芸の技を習得するには、竹編みだけでなく、伐採、加工、染色、接合をすべて学ぶ必要がある。しかし、竹工芸は表現手段として非常に大きな可能性を秘めている。
トーマ氏は「(竹編みは)高度な技術を必要とする」と述べ、さらに次のように続けた。
「何かを作り始める前に、まず材料をそろえる必要があり、かごや彫刻の制作にかかる時間の大半が竹を割ることに費やされる。かごを編むための竹ひごを作れるようになるだけでも数年の訓練を要する」
藤塚松星氏が竹かごを制作している様子/TAI Modern
「竹工芸家たちは材料である竹にこだわりを持っている。他の芸術では、そこまでの材料へのこだわりは感じられない。例えば画家たちは、アクリル絵の具よりも完成した作品により強い関心を持っている。しかし、竹工芸家たちは、竹に対して(独特の)こだわりを持っているように思える。竹によって性質は大きく異なる。またシンプルだが非常に丈夫で、強さと繊細さを兼ね備える」(トーマ氏)
絶滅の危機
藤沼昇作「網代編盛籃『無双』」(2012)/同氏提供
とはいえ、日本では竹編みはまだ芸術界の周辺に位置したままだ。現在、日本でオリジナル作品を制作している専業の竹工芸家は50人に満たないとTAIモダンは見ている。さらに人間国宝に選ばれて存命なのは、わずか2人だけだ。
その1人、藤沼昇氏は、竹工芸が忘れられつつあると危惧する。
藤沼氏は、日本の竹工芸は創造性という点で限界に来つつあると指摘。創造力を発揮したり、独自の美的感覚を表現したりする若い工芸家は多くないという。
竹工芸家の人数は減っており、彼らはデザインから作品を作れる職人であることにこだわる傾向があるが、偉大な作品のデザインを描けない、と藤沼氏は苦言を呈する。
藤沼昇作「Dream」(2005)/TAI Modern
藤沼氏の作品は日本よりも海外市場で評価が高いという。しかし、藤沼氏は海外での関心の高さが、日本における竹工芸の地位や人気の向上につながることを願っている。藤沼氏にとって、竹以外の素材は考えられない。
藤沼氏によると、竹工芸はシンプルだからこそ工芸家たちの深い美学や人間性がそこに現れるという。
(竹工芸の材料である)竹ひごは2つと同じ物がなく、1本1本の竹ひごを見極め、それから何を作るかを考えるのが竹工芸の魅力、と藤沼氏は語った。