日本の漆器はアジア最古の芸術的伝統の1つだ。漆は箱、器、家具などの塗料や装飾に使われる樹液で、その歴史は古く、約9000年前に使用されていた証拠も残っている。
しかし、偉大な漆芸家の1人である室瀬和美氏(67)は、歴史に根差しながらも、それに縛られることはない。ツイッターユーザーでもある室瀬氏は、複雑な装飾が施された木製品を作る合間に、ニューヨークに拠点を置く非営利団体TED主催のイベントで講演を行ったり、超高級携帯メーカー、VERTU向け携帯電話機の設計を行っている。
室瀬氏は2008年に人間国宝に選ばれた
2008年に人間国宝に選ばれた室瀬氏が目指しているのは、漆工芸品の陳腐化を防ぐことだ。
長持ちする作品作り
室瀬氏の専門は、蒔絵(まきえ)と螺鈿(らでん)という2つの技法だ。前者は、漆器の表面に何重にも塗った赤や黒の漆の上または間に金や銀の粉を「蒔く」技法で、後者は、貝殻や真珠層など、自然界にある虹色の素材を漆器などの表面にはめこむ技法だ。
室瀬氏はこの2つの技法で、繊細ながら大変印象深い作品を作って来た。優美かつ装飾的な作品から大胆かつ実用的な物まで、室瀬氏の作品は箱、器、チェス盤、食卓、線香立て、ハープなど多岐にわたる。
室瀬氏によると、漆は数百年間腐らないという。漆工芸は人の一生よりも長い、数世紀という時間の中で作られ、使用される、と室瀬氏は語る。
そのため、漆工芸家は人々が数百年間愛着を持ち続けられる作品を作らなくてはならず、自分は今日の人々を満足させるためだけに作品を作っているわけではない、と室瀬氏は言う。
装飾的な作品から実用的な物まで、室瀬氏の作品は多岐にわたる/Credit: Jonathan Ley
室瀬氏は、時間を超越した作品作りという考えに至ってから、漆器作りに以前よりも時間をかけるようになった。1つの作品を仕上げるのに10カ月から1年かかり、大きな作品になると2年かかることもあるという。
漆器の表面には漆を何重も塗る必要があり、1回塗ると乾くまで3~5日かかる。漆器作りは非常に忍耐を要する作業だ。
衰退の危機
父も著名な漆芸家だった室瀬氏は、漆器に囲まれて育った。父の仕事を初めて手伝ったのは室瀬氏が14歳の時だった。その時の体験と、完成した作品が世に認められた時の感動は今でも忘れないという。
しかし、まだ若かった室瀬氏は、漆芸家という職業の将来性に確信が持てなかった。日本の伝統が危機に瀕する中、室瀬氏は周囲の人からも衰退する工芸に専念するのは止めるよう忠告されたという。
自身の他の作品に比べ、抽象性の高いデザインのものも/Courtesy Kazuhiko O'hori
それでも室瀬氏は、漆工芸の道を歩む決意をした。仮に漆工芸が本当にこの世からなくなれば、本当にやりたいことでもあきらめがつくと考えたという。
その後の懸命な努力にもかかわらず、室瀬氏は今も漆工芸の将来への不安を払拭できずにいる。しかし一方で、漆工芸の盛り返しが国内外で感じられることに励まされてもいる。ロンドンの大英博物館とヴィクトリア・アンド・アルバート博物館で室瀬氏の作品が展示され、海外のバイヤーの間で室瀬氏の作品への関心が高まっているという。
漆工芸に用いる樹液を出す漆の木/Credit: Wikipedia creative commons
室瀬氏は、漆工芸に携わる人の数が過去40年間で減少したことは認めつつも、ここ10年は増加に転じており、漆芸家を目指す若者もいると指摘する。40年間の長い低迷の後、ようやく明るい兆しが見えて来た、と室瀬氏は語る。