オーバーツーリズムに抗議するバルセロナ市民、都市が抱える新たな課題とは
(CNN) その水鉄砲の一撃は、世界に鳴り響いた。
昨年夏、スペイン北東部カタルーニャ州の州都バルセロナで、市民らがオーバーツーリズム(観光公害)への抗議として、「観光客は帰れ」と声を上げた。
中でも注目されたのは、屋外カフェにいた観光客に水鉄砲を放った小さなグループだった。いたずら半分にも見えるこの行動は、写真とともに世界中へ拡散され、観光に対する市民の怒りを象徴するものとなった。
バルセロナの観光地化をめぐる長年の緊張が、一般市民の激しい敵意へと爆発したのだ。
この奇襲的な水鉄砲攻撃は、一部の観光当局者から批判を受けた。同時にこれは、アムステルダムからバリ島に至るまで、地元住民が自らの住まいを追われる事態に直面しているという、観光地共通の問題を象徴する出来事でもあった。
背景には、年々その規模と影響力を増す世界的な観光産業の存在がある。観光業は都市に負担をかける可能性がある一方、雇用と収入を支える重要な産業でもある。
観光促進機関として活動する「バルセロナ観光コンソーシアム」のディレクター、マテウ・エルナンデス氏によれば、観光はバルセロナ市経済の14%を占め、15万人の雇用を生み出している。
バルセロナは今夏も観光客の大規模な流入を見込んでいるが、観光と市民生活の両立という難題に直面している。地元住民の保護を目的とした対策が進められている一方、「観光客が歓迎されていない」と感じさせかねないとの懸念が、関係当局の間で広がっている。
エルナンデス氏は1月、マドリードで外国人記者団に対し、バルセロナが「オーバーツーリズムの街」という印象を持たれることを危惧していると語った。
現在、当局は夏の到来を前に、人々の認識を変えるべく対応を進めている。観光客が訪れることは間違いない。新たに開港したクルーズ船ターミナルにより、さらに数千人規模の観光客が流入する可能性もある。一方で、訪問を控える観光客も出てくるかもしれない。
観光客であふれる以前は

大勢の人が通りに繰り出し、観光客であふれる状況に抗議する様子=昨年7月、バルセロナ/Paco Freire/SOPA Images/Shutterstock
バルセロナで観光業が問題視され始めたのは近年のことだ。転機となったのが、1992年に開催されたバルセロナ五輪だ。
五輪開催に向けて都市再開発が進められ、空港の整備に加え、地中海沿いにあった鉄道や工業地帯が撤去され、ビーチが新たに整備された。2004年には、人口150万人のバルセロナに宿泊した観光客は年間450万人に達していた。
その後、空港には第3滑走路と新ターミナルが整備され、10年にはアイルランドの格安航空会社ライアンエアーが同地への乗り入れを開始。クルーズ船用のターミナルも増設され、公式統計によれば、コロナ禍直前の19年には宿泊観光客数は1610万人に達した。
そうした中で、抗議の動きが再び表面化した。
昨年の抗議デモが直接的な影響を与えたかどうかは不明だが、24年のバルセロナの宿泊観光客は1550万人と、前年より10万人減少した。これは公式統計で明らかになっている。
一方、バルセロナの人口は同期間に170万人へと増加していた。日帰り客も多く、24年にはクルーズ船の乗客160万人が一時寄港したという。
こうした人出が、ランブラス通りや隣接するゴシック地区など旧市街の混雑を引き起こし、バルセロナ市民の不満や怒りの一因となっている。
「観光客の受け入れに限界」

1992年のバルセロナ五輪が転機になった/George Tiedemann/Sports Illustrated/Getty Images
観光を担当するバルセロナのバルス副市長は、混雑の焦点の一つとして、象徴的なサグラダ・ファミリア大聖堂周辺を挙げた。同地域には5万人の住民が暮らしているが、夏季は1日5万人の観光客が訪れることもあるという。