各地に伝わるキリストの「聖杯」、本物はどれ?

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キリストと卓上の杯が描かれたフランス・プルビュス(子)による「最後の晩餐」/Frans II Pourbus/Gianni Dagli Orti/Shutterstock

キリストと卓上の杯が描かれたフランス・プルビュス(子)による「最後の晩餐」/Frans II Pourbus/Gianni Dagli Orti/Shutterstock

(CNN) どこへ行っても、経験することは大体同じだ。

現地の教会もしくは大聖堂に足を踏み入れると、聖なる静寂が降り注ぐ。訪問者は建築や美術品、そして数百年にわたるその歴史に感嘆し、時の試練に耐えてきた信仰を賛美する。

次に特別な礼拝所もしくは展示館へと進む。そこには最も神聖な所蔵品が置かれている。ガラスケースの向こう側に立つ伝説上の物体、聖杯だ。

だが果たしてそうか? この器こそが聖杯で、他がそうではない理由は何なのか?

欧州だけでもそうした器は200前後存在し、どれも聖杯だと考えられている。聖杯とは、キリストが最後の晩餐(ばんさん)で使用した器を指す。

信心深い人々はそれらを一目見ようと群がり、その前で祈りを捧(ささ)げる。しかしどれが本物の聖杯なのだろうか? そもそもそれは実在するのか?

宗教的現実か、文化的現実か?

映画「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」の一場面。劇中には奇跡の治癒力を宿す聖杯が登場する/Lucasfilm Ltd/Paramount/Kobal/Shutterstock
映画「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」の一場面。劇中には奇跡の治癒力を宿す聖杯が登場する/Lucasfilm Ltd/Paramount/Kobal/Shutterstock

一つ確かなのは、聖杯は我々の集合的想像力の中に深く埋め込まれているということだ。聖杯の探索という設定は文学や美術、映画に度々登場するテーマであり、日常の会話でも、なかなか達成できない究極の目標を「Holy Grail(聖杯)」と表現することがある。大きな医学的発見は、しばしば当該の疾患に対する「聖杯」と呼ばれる。

聖杯は大衆文化の一部にもなっている。作家のダン・ブラウンは「ダ・ヴィンチ・コード」における聖杯についての独自の解釈で巨額の利益を得た。その中で彼は、聖杯は実のところ物体ではなく一つの秘密だとする説を立てている。キリストはマグダラのマリアとの間で子どもをもうけていたというのがその内容だ。また映画「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」で、ハリソン・フォードが「大工の杯」に向かって手を伸ばす名場面を誰が忘れられるだろう?

キリスト教とは無関係であっても、「ハリー・ポッター」から「ロード・オブ・ザ・リング」まで、既存の物語はしばしば探索の旅を中心に展開する。

そうした現代的な意味合いを取り去るなら、後に残る説明はシンプルだ。つまり聖杯とは、キリストが最後の晩餐で使用した器ということになる。

キリストが捕らえられ、判決を受け、十字架にかけられる前に使用していたゴブレットは、当然世界中のキリスト教徒の関心を集めた。奇跡を起こす「聖杯」の伝説が数世紀にわたって複数生まれたという事実もまた、そうした情熱に拍車をかけた。

ただ一つだけ問題があると、米マサチューセッツ州のザ・ホリー・クロス大学で宗教学を教えるジョアン・ピアース教授は指摘する。

「正直なところ、最後の晩餐に由来する器の実物が今も存在しているとは思わない」(ピアース氏)

「キリストが最後の晩餐で器を使ったのは間違いない。しかしいくつかの福音書の記述によれば、晩餐が開かれた部屋は既に他の誰かが(一行の到着前に)準備を整えていた。従って、器はキリスト本人のものではなかった可能性がある」

カトリックを信仰するピアース氏にとって、聖杯という概念は現実的というよりも象徴的な意味合いが強い。本人の言葉を借りれば、「宗教的な現実というよりは、文化的な現実」ということになる。

しかし多くの人々にとって、聖杯は現実に存在する物体だ。しかもバレンシアに行けば現物を目にすることが出来る。あるいはレオンやジェノアでもいい。他にも聖杯を所蔵していると伝えられる場所は多い。

聖杯を目につかないように隠しているとされる場所もたくさんある。そこへ行けば、聖杯の持つ神秘的な力を感じられるかもしれない。たとえばバルセロナ郊外のモンセラート山の山上や、ポーランドの農村地域がそうだ。後者では謎のテンプル騎士団がそれを隠した可能性がある。またはイングランド南部の謎めいた丘、グラストンベリー・トーの周辺か。中世の伝説によると、キリストの死後間もなく、アリマタヤのヨセフがそこへ聖杯を持ち込んだという。

スペイン東部のバレンシアを訪れたら、現地の大聖堂へ入ろう。右手に設置された礼拝堂は、聖杯を保管するための場所だということが一目で分かる。

伝承が語るところによれば、この聖杯は最後の晩餐でキリストが使用したのと同じ杯だという。大聖堂のウェブサイトがそう記述している。

当初聖杯は聖ペテロがローマへ持って行き、3世紀になってスペインへ送られたという。

バレンシア観光局のウェブサイトでも、大聖堂にある杯を「キリストが最後の晩餐で使用した聖杯」と説明する。聖杯の存在を発信することには、当然観光客を引きつける効果がある。それは中世の時代から変わらない。当時の欧州人は十字軍に加わり、エルサレムから「聖遺物」を持ち帰っていた。

崇拝から観光へ

聖遺物は一般的にキリスト教徒の礼拝で使用される。写真はアルメニアのエチミアジン大聖堂が所蔵するキリストの脇腹を貫いたとされる槍/Dean Conger/Corbis/Getty Images
聖遺物は一般的にキリスト教徒の礼拝で使用される。写真はアルメニアのエチミアジン大聖堂が所蔵するキリストの脇腹を貫いたとされる槍/Dean Conger/Corbis/Getty Images

実際のところ、聖遺物はその始まりからキリスト教の中心であり続けていると、ピアース氏は指摘する。

初期のキリスト教徒が殉教すると、他の信徒は彼らの墓に祈りを捧げた。「殉教者は彼らの祈りを天まで届ける保護者あるいは仲介者としての役割を果たした」。その慣行を受け継いだ古代ローマでは、「保護者システムが社会の重要な部分を占めた」。聖人が祈りを強化し、それをあるべき場所に届けるという考えは、今日のキリスト教にも根強く残っている。

しかし神聖化したのは殉教者の墓だけではなかった。彼らの体に関するものや彼らが触れた事物は何でも神聖視された。「彼らが扱った可能性のある物体にも同じ恩恵が宿ると考えられた。それが神聖さにつながった」(ピアース氏)

当然ながらキリストが手にした杯は、数ある聖なる事物の中でも最大級の神聖さを帯びる。キリストはそれを手にしながら弟子たちに聖餐の執り行い方を教え、そしてその席で自分が間もなく裏切られることを宣言していた。

聖杯探しに途方もない労力がつぎ込まれたとしてもほとんど不思議はない。

十字軍の時代、ピアース氏によればキリストの現世での生涯に対する関心が高まった。人々は欧州と聖地の間を「往来し」、関連する可能性のある聖遺物を探した。こうした理由から、欧州各地の聖杯とされる遺物の大半は、この数世紀の間に初めて持ち込まれた。

「現在の我々が、超常現象に関心を抱くのと似たようなものだ」。ザ・ホリー・クロス大学の宗教学教授で、ジャーナル・オブ・グローバル・カトリシズムの創刊編集者でもあるマシュー・シュマルズ氏はそう語る。

「中世の時代に、(聖遺物の収集は)人々の共通認識へと到達した。それ以前はそうではなかった」

しかしシュマルズ氏によれば、数世紀の間に聖遺物を集める行為は、純粋に神へと近づくためのものではなくなった。当時は「巡礼に関連する様々な経済的利益」も存在したという。

「聖遺物は墓から持ち去られ、広く散らばった。その結果あちこちに生まれた巡礼地は、聖遺物を持つ人々にとって非常に魅力的なビジネスになった」。敬虔(けいけん)な旅人たちはこれらの土地を巡礼し、現地の経済を押し上げた。

聖遺物は十字軍の時代に政治とも結びついた。「キリストの脇腹を貫いた槍(やり)のような事物の発見は、聖地を『解放』する神聖な使命の肯定と受け止められた」(シュマルズ氏)

そのような理由もあって、現在一部の「聖遺物」は実際にはあり得ないほど数が増えてしまっている。

「聖十字架(キリストの磔刑<たっけい>に使われた十字架)だという触れ込みの木を集めれば、街が一つ造れるほどだ」と、シュマルズ氏は話す。

キリスト、それともアーサー王?

中世になると、聖杯伝説はアーサー王と円卓の騎士たちにまつわる神話と結びついた/Apic/Getty Images
中世になると、聖杯伝説はアーサー王と円卓の騎士たちにまつわる神話と結びついた/Apic/Getty Images

キリスト教徒にとっての聖なる遺物として始まったとみられる聖杯だが、数世紀を下るとキリスト教徒以外の人々とも関連性を持つようになった。まずは中世以降、伝説のアーサー王と結びついた。ピアース氏によれば、これは騎士道を題材にした詩のおかげだ。

9世紀のフランスの詩には、キリストの磔刑の際にアリマタヤのヨセフが聖杯でその血を受けたとある。その後ヨセフは、聖杯を現在のイングランドにあるグラストンへ持ち込んだとされる。

「この話がケルト人やアイルランド人、ウェールズ人、そして西暦紀元前の人々に伝わる物語と融合した。それらは力を宿した事物についての物語だった」(ピアース氏)

聖杯を意味する英語の「grail」もしくは「graal」は、元来深皿や大釜を指す言葉だった。古代神話によれば、これらは初期のブリトン人の王に帰属する品だった。

12世紀になると、詩人のクレティアン・ド・トロワが「ペルスヴァルまたは聖杯の物語」を著す。この中に描かれるアーサー王と円卓の騎士の物語には、騎士道的冒険譚や血の滴(したた)る槍、光り輝く杯、魔法の治癒力を持つ器といった要素が盛り込まれている。

15世紀には、ペルスヴァルがガラハッドになっていた。ガラハッドは円卓の騎士、ランスロットの息子で、聖杯探索の旅に出る。彼はそれを見つけるが、帰途に際し天の幻影を見て死を選ぶ。一方でガラハッドには病人を治し、複数の奇跡を起こす能力があった。

どこかで聞いた話のような?

一人の女性が聖杯を「発見」した経緯

歴史家のトーレス氏は、サン・イシドロ・デ・レオン教会に聖杯の実物があると考えている/Raquel Maria Carbonell Pagola/LightRocket/Getty Images
歴史家のトーレス氏は、サン・イシドロ・デ・レオン教会に聖杯の実物があると考えている/Raquel Maria Carbonell Pagola/LightRocket/Getty Images

自分の街に聖杯がある状況とはどのようなものなのだろうか? バレンシア大聖堂の代表者は、CNNからのコメント要請に返答しなかった。イタリアのジェノア大聖堂の関係者も同様だった。ここに所蔵されている「サクロ・カティーノ」は美しいガラス製の鉢で、かつてはエメラルドでできた聖杯と考えられていた。現在は水晶を素材とする公算が大きく、9~10世紀のイスラム美術の作品とみられている。イタリアに持ち込まれたのは11世紀だという。

しかしある女性は、自分の地元に聖杯があると確信している。スペインのレオン大学で中世史を研究するマルガリータ・トーレス・セビーリャ教授だ。

実のところ、従来単なる中世の杯だとされていた地元の遺物が聖杯であることを発見した(そう信じた)のはトーレス氏自身だった。

2010年、同氏と同僚のホセ・ミゲル・オルテガデルリオ氏はサン・イシドロ・デ・レオン教会を調査していた。この教会はカスティーリャ・レオン王家の埋葬地を兼ねている。彼らは教会にある中世史博物館の所蔵品を調べていた。

「一部の品目はイスラム諸国から渡ってきたものだが、正確な説明はなかった」とトーレス氏は振り返る。それらの品々の中に、「ドニャ・ウラカの聖杯」があった。これは縞瑪瑙(しまめのう)でできた杯で、貴重な宝石をちりばめた黄金の枠に入れられている。中世の時代にエジプトからスペインへやって来た、外交上の贈り物と目される。

トーレス氏とオルテガデルリオ氏はその来歴をさらに徹底調査。カイロの同僚に依頼し、このスペインへの贈り物に関して説明する史料を探してもらった。調査結果に、両氏は驚愕(きょうがく)した。

「11世紀半ばにエジプトで大飢饉(ききん)が発生し、当時のカリフ(イスラム教指導者)は他のイスラム諸国に支援を求めた」(トーレス氏)

カイロのアズハル大学の図書館は、14世紀の羊皮紙2枚を所蔵している。歴史を叙述したものとみられる1枚には、現在のバレンシアに近いデニアのタイファ(イスラム圏諸国の君主)が食料を満載した船をエジプトに送ったと記されている。デニアは当時、イスラム教徒の支配下にあった。

羊皮紙の記述の続きによれば、支援の見返りとして当該のタイファはある要求を行っている。「キリスト教徒が救世主の杯と呼ぶ器」をもらい受けたいというのがその内容だ。器は救世主が弟子たちと祝典を催す際に使用されたという。

左からバレンシアにある「サント・カリス」、ジェノアにある「サクロ・カティーノ」、レオンにある「ドニャ・ウラカの聖杯」/Alamy Stock Photo
左からバレンシアにある「サント・カリス」、ジェノアにある「サクロ・カティーノ」、レオンにある「ドニャ・ウラカの聖杯」/Alamy Stock Photo

器についてキリスト教徒は「エルサレム郊外にある小さな教会の一つで見つかった」ものであり、「並外れた治癒力」を備えると説明している。羊皮紙はそのように記述するが、同時に「科学と教義に精通した人々は関心を示していない」と補足している。

デニアの支配者が杯を求めたのは、それをレオン国王の下に送れば彼らの連携が強化されると考えたからだ。史料はそう続ける。

この前年、レオンはバレンシアを攻撃していた。戦争によって地理的に近いデニアの住民も不安に陥ったため、タイファはレオン国王フェルナンド1世の怒りを鎮めたいと思ったようだ。フェルナンド1世は「結石の病」に悩まされていたので、タイファは奇跡を起こす杯が助けになるかもしれないと踏んだ。

同じく14世紀に書かれたもう1枚の羊皮紙は、12世紀にエジプトとシリアを支配していたスルタン(イスラム教国君主)、サラディンことサラーフッディーン・ユースフ・イブン・アイユーブからの書簡の写しとされている。そこではサラディンが「聖なる石」または「杯」の「美しい破片」を送り届けるよう求めた経緯が語られる。破片は当該の品がデニアに運ばれる際に削り取られたもので、サラディンはこれを病気の娘のために入手しようとしていた。

史料によれば、「石の破片を体の上に置く」ことで娘は治癒した。破片は国庫に注意深く保管されたという。

トーレス氏とオルテガデルリオ氏は、レオンの教会にある杯の下へ戻った。

「確認したところ、羊皮紙の記述の通り、中に欠けた部分があった」「厄介な問題を抱えたことが分かった」(トーレス氏)

両氏は縞瑪瑙の杯の年代を1世紀だと主張。そしてフェルナンド1世の娘のウラカ王女は自身の貴金属を全て溶かし、杯を贅沢(ぜいたく)に覆ったとみている。両氏はさらに、サン・イシドロ・デ・レオン教会にある最後の晩餐の絵画の中に、当該の縞瑪瑙の杯が描かれているとも考えている。絵画は王族の埋葬される教会の殿堂に飾られている。このことは杯の正体を突き止めるヒントになるというのが、両氏の見解だ。

もちろん、誰もが両氏を信じているわけではない。英オックスフォード大学のある教授が、両氏の主張を「ばかげている」と一蹴したのはよく知られる。たとえローマ時代に起源を持つとしても、当該の杯をキリストゆかりの品に違いないとする見方にはとても同意できないというわけだ。

トーレス氏は、自身の置かれた状況を映画「インディ・ジョーンズ」の一場面になぞらえる。主人公のインディが聖杯を見つける前の試練に挑み、強い信念の下で断崖への一歩を踏み出すあの場面だ(このこと自体、聖杯がどれほど現代文化に浸透しているかの証明に他ならない)。

「インディは目を閉じ、いざ足を踏み出そうとする。我々も同じ感覚だった」と、トーレス氏。

「私はキリスト教徒だが、同僚は違う。母は歴史家、父はジャーナリストだった」。両親は共に、浮ついた考えには流されないタイプだったという。

15年から19年までレオン市の市会議員として観光に携わったトーレス氏だが、「政治家であることと歴史家であることの間には一線を引いていた」と強調する。

トーレス氏はレオンにある聖杯がキリストのものだと保証できるのだろうか? 同氏によれば、エルサレムで4世紀から11世紀まで崇拝されていた杯が大聖堂にある聖杯と同じであることは明示できるという。

「しかし1~4世紀までに何が起きたか確実なことは分からない。私は当時のエルサレムにはおらず、イエス・キリストと一緒だったわけでもない。あなた方もそうだ」

「信仰は左右されない」

バレンシア大聖堂の礼拝堂は、全体が「聖杯」を崇敬する造りになっている/Hemis/Alamy Stock Photo
バレンシア大聖堂の礼拝堂は、全体が「聖杯」を崇敬する造りになっている/Hemis/Alamy Stock Photo

聖杯がもはや存在しないと考えているピアース氏にとっても、「ドニャ・ウラカの聖杯」のような品は文化的現象として依然として価値を持つ。重要なのはこれらの品々が崇拝されたというその事実だという。

「私の信仰は(この問題に)左右されない。イエス・キリストへの信仰は、必ずしもキリストの(生涯の)名残が物理的に存在することを意味しない」

シュマルズ氏も聖杯が今なお存在しているかどうかについては「懐疑的」だが、「聖遺物の重要性は確信している。それらによって我々は、聖人だけでなく神ともつながる」と語った。

仮に存在するなら、聖杯の外見はどのようなものだと考えられるか? シュマルズ氏は「インディ・ジョーンズ」の映画に登場したような質素な容器だった公算が大きいと示唆。その上で「ある意味、そこには宗教的な意義がある。ごく質素で世俗的な物体により、キリストの血が受け止められたということだ」との見解を示した。

果たして聖杯はレオンに現存しているのだろうか? それともバレンシアか? はたまたその存在を主張する他の200カ所のどこかなのか? 我々には知る由もない。

とはいえ一つ確かなことがある。あの質素な大工の杯のイメージは、これからも人々の意識の中で生き続けるだろう。次の2000年に向けて。

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