ヒョン・ミさん(83)は13歳の時、朝鮮半島での戦火を逃れるため、両親と5人のきょうだいと共に平壌から避難した。中国軍が平壌に迫っていたため、ヒョンさんの家族は中国軍が通過するまで朝鮮半島のもっと南の地域に身を隠す計画だった。
「ほんの1週間のつもりが70年にもなってしまった」とヒョンさんは言う。
しかしヒョンさんは、家族と平壌を逃れてから初めて、幼少期を過ごした家(少なくともそれに近い物)を訪れることができた。それを実現したのは仮想現実(VR)技術だ。
離散家族の現実の再会がかなわない中、韓国政府は、VRを使った新しい再会プロジェクトによって、刻々と過ぎる時間に不安を感じている高齢の北朝鮮難民たちの心を少しでも癒やせればと考えている。
脱北
1950年代の朝鮮戦争中、数千人がヒョンさんのように北朝鮮から国境を越えて中国とロシアに逃れ、多くの人が最終的に韓国に行き着いた。
1950年12月26日に公開された写真。軍警察に護衛され、朝鮮の市民が韓国へと逃れていく。朝鮮戦争の最中に撮影されたもの/AFP/Getty Images
ヒョンさんによると、当時、男性と子どもたちは中国兵に殺されるのを恐れて避難したが、女性は殺害される可能性が低いと考えられていたため、多くの女性たちは自宅を守るために北朝鮮にとどまったという。
ヒョンさんの家族は、6歳と9歳だったヒョンさんの2人の妹を残した。2人の面倒は祖母が見た。
ヒョンさんらは、戦闘が収まったら北朝鮮に戻る予定だった。しかし、1953年の休戦協定で戦争が終わった後、北朝鮮と韓国は両国間にほぼ通過が不可能な軍事境界線を設置し、互いに行き来ができなくなった。
その結果、ヒョンさんの家族を含め多くの家族が、住み慣れた場所や愛する人々から引き離された。
以後数十年間、北朝鮮は自国に有利な条件での南北統一を望む独裁王朝の統治下にあり、世界からの孤立が一層深まっている。
1951年1月18日に撮影された写真。朝鮮半島の難民が凍った稲田を歩いて南へ逃れる。具体的な場所は不明/AFP/Getty Images
北朝鮮、韓国両国は、一部の離散家族につかの間の再会の機会を与えているが、戦争中に離れ離れになった大半の家族は、愛する家族や友人らとの再会を果たせずにいる。
再会できる家族は、年齢や家族のきずなの強さを基に抽選で選ばれる。以前、両国の関係が悪化した際に再会が中止されたこともある。最後に再会が実施されたのは2018年で、この時は韓国の89組の家族が北朝鮮に住む親族との再会を果たした。この再会イベントに参加した人の多くは90代だった。
過去の思い出
離散家族の苦悩を受け、韓国統一部は大韓赤十字社に、北朝鮮難民と彼らの故郷とを結び付けるプロジェクトを立ち上げるよう要請した。
大韓赤十字社は、ソウルに拠点を置くVR企業テクトン・スペースの最高経営責任者(CEO)、アン・ヒョジン氏と協力し、北朝鮮難民のためのVR体験を作り出した。
「韓国には多くの北朝鮮難民がおり、彼らは皆、故郷を訪れたいと強く願っているが、さまざまな事情で実現していない」とアン氏は言う。
ヒョンさんは韓国の有名歌手で、1960年代に愛する人々との別れを歌った歌がヒットするなど、数々のヒット曲を持つ。そのヒョンさんが、北朝鮮難民として初めてVR技術を使った故郷の「疑似旅行」を体験した。
ヒョンさんの記憶を基にした当時の平壌の街並みのスケッチ/Courtesy Ministry of Unification
隔絶された北朝鮮内の場所を再現するのは容易ではなかった、とアン氏は言う。
アン氏の会社はヒョンさんにインタビューを行い、幼少期のはっきりした記憶を思い出してもらった。そしてヒョンさんが述べたことをデザイナーがスケッチし、描いた絵がヒョンさんの記憶と合致しているか時折確認した。こうして描かれたスケッチは3Ⅾデザインに変換された。
3Dデザイナーのムン・チョンシク氏は、「当初は非常に骨の折れる作業だった」とし、「もしも自分が作った画像がヒョンさんの記憶と違っていたらと心配だった」と付け加えた。
しかし、ヒョンさんは昨年9月にVR体験用のヘッドセットを装着すると、涙が止まらなくなった。
ヒョンさんは思わず「ようやく北朝鮮に戻れた!」と叫んだ。
VR技術で再現した平壌の市場。ヒョンさんはここで幼少期を過ごした/Courtesy Ministry of Unification
再現された平壌の町の様子はヒョンさんの記憶と完全に同じではなかったが、ほぼ記憶通りだったという。ヒョンさんが育った家も雪が積もった状態で再現されていた。ヒョンさんはその家を見ながら、はるか昔に亡くなった両親を思い出していたという。
「母、父、妹や弟たちの顔が目に浮かんだ」(ヒョンさん)
ヒョンさんは、狭い自宅で8人の兄弟姉妹が食卓を囲んで食事をしたこと、父の目を盗んで父の店に忍び込んでイカを食べたことを思い出した。また、かつて縄跳びをして遊んだ平壌の海産物市場や、幼少期に泳いだ大同江も見えた。
ヒョンさんは、北朝鮮に2人の妹を残してきたことを今でも後悔している。20年前、あるブローカーの仲介でそのうちの1人とつかの間の再会を果たした。この2人の再会の様子をドキュメンタリー番組のクルーが撮影し、後にテレビで放送された。ヒョンさんが北朝鮮を去った時にまだ6歳だった妹は、はるかに過酷な生活を送っていた。
ヒョンさんは、再会した時に妹が「お姉さんといっしょに逃げていれば、私もお姉さんのような人気歌手になれたのに」と言っていたのを思い出した。
平壌にあるヒョンさんの自宅の再現画像/Courtesy Ministry of Unification
「妹は60歳近かったが、面影は当時のままだった。ただ髪の毛や歯はすっかり抜け落ち、足指の爪もなくなっているのが分かった」とヒョンさんは付け加えた。
1990年代、ちょうどヒョンさんが妹と再会した頃、北朝鮮は飢餓に見舞われた。この飢餓で推定60万人が死亡したが、当初の推定死者数はそれよりもはるかに多かった。
ヒョンさんは「今でもビュッフェレストランで豊富な食べ物を見ると涙が出る」と述べ、「食べ物が廃棄されるのを見ると、北にいる妹たちを思い出し大変心が痛む」と付け加えた。
北朝鮮難民のための将来計画
韓国に滞在する北朝鮮難民の公式な集計はないが、韓国統一部が昨年11月に発表した最新の統計によると、1988年から現在までに大韓赤十字社に登録された韓国側の離散家族再会申請者数は13万3000人に上る。しかし、難民の高齢化に伴い、再会の機会は減少しつつある。登録された難民のうち昨年11月時点での存命者は4万9700人だ。
アン氏は、ヒョンさんの体験は出発点にすぎないことを願っている。
アン氏によると、韓国統一部は2021年にこのプロジェクトを拡大し、難民たちがかつて住んでいた他の地域をモデル化することに関心を示しているという。統一部のある職員によると、現在計画を検討中だが、まだ具体的な予定は立てていないという。しかし同職員は、難民ごとにオーダーメイドのプロジェクトを作成するのは不可能だと付け加えた。
アン氏の会社はこれまでに、ヒョンさんのように故郷を訪問したいと願う多くの離散家族にインタビューを行った。彼らは家族との再会を願っているが、それに関してはVR技術は役に立たない。VR体験には人は含まれないからだ。
今回のVR体験で多少心は癒されたが、本当に望んでいるのは現実の世界で家族と再会できる自由だ、とヒョンさんは言う。
「多くは望まない。南北統一が実現しなくてもいい。私たちが互いに訪問しあえればそれでいい」(ヒョンさん)