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存命する最高齢の「ミス・アメリカ」が死去 97歳

1942年のミス・アメリカに輝いたジョーキャロル・デニソンさんが死去した

1942年のミス・アメリカに輝いたジョーキャロル・デニソンさんが死去した/Universal History Archive/Getty Images

存命するミス・アメリカ・コンテストの優勝者で最高齢だったジョーキャロル・デニソンさんが死去した。97歳だった。

第2次世界大戦中に戴冠したデニソンさんは、従来の慣習に反してコンテスト後に水着でステージへ上がるのを拒否したことで知られる。友人のエバン・ミルズさんによると先月、米カリフォルニア州の自宅で息を引き取った。

デニソンさんの回顧録を編集したミルズさんは、デニソンさんの家族から訃報(ふほう)を直接受け取った。電子メールで取材に答え、ミス・テキサスにも選ばれたデニソンさんについて、「自分の道徳的指針を信じて身を任せるよりも社会的期待に沿おうとする人々が多い世界において、若い女性、それから男性にとっても模範になれる人物だった」と語った。

一方、ミス・アメリカ・コンテストを主催する団体は、デニソンさんの訃報に接した悲しみをインスタグラムで表明。「役割を担ってくれた年月に感謝するとともに、心よりその逝去を惜しむ」とつづった。

1923年にアリゾナ州フローレンスで生まれたデニソンさんは幼いころ、両親とともに薬の効能を売り込む目的で行われていた移動式の「メディシン・ショー」に参加。歌や踊りのほか、馬に乗ったパフォーマンスなどを披露していた。その後秘書になる訓練を積んでいたところ、テキサス州タイラーで地元のミスコンテストにスカウトされた。タイラーは当時デニソンさんが学業に取り組んでいた街でもあった。

1942年のミス・アメリカ・コンテストに出場したデニソンさん(右端)/Glasshouse Images/Shutterstock
1942年のミス・アメリカ・コンテストに出場したデニソンさん(右端)/Glasshouse Images/Shutterstock

自伝の中で記したところによると、デニソンさんはメディシン・ショーの日々の後は「二度と人前でパフォーマンスをしないと誓った」。それでも最終的には、ミス・タイラーのコンテストに参加することで合意。高級デパートの水着を無料でもらえることが条件だった。

同コンテストで優勝を飾ると、続けてミス・イーストテキサス、ミス・テキサスの座も獲得。1942年のミス・アメリカに出場し、勝利した。18歳の時だった。

水着審査を制したにもかかわらず、デニソンさんはミス・アメリカとしての1年間に水着を着用するのを拒んだ。コンテストの100周年を祝う行事では、主催団体が2018年に水着審査を廃止したのを称賛。「各出場者の全体性」に焦点を当てた審査内容を評価した。

「1942年当時、コンテストは見た目が重要だと考えられていた」と、デニソンさんは事前に録音されたメッセージで行事の出席者に語り掛けた。「それでも、(ミス・アメリカに)勝ったのは外見のためだなどと思ったことはなかった。自分自身についてどのように感じているかが評価されたのだと考えていた。このことが念頭にあったからこそ、コンテストの後は水着でステージに上がるのをきっぱり拒否した」

1946年に撮影されたデニソンさんの写真。当時の夫のフィル・シルバースと/Pictorial Press Ltd/Alamy
1946年に撮影されたデニソンさんの写真。当時の夫のフィル・シルバースと/Pictorial Press Ltd/Alamy

ミス・アメリカ戴冠の直前に米国が第2次大戦に参戦していたため、デニソンさんは防衛施設や病院、軍の野営地を訪れ、兵士たちの士気高揚に貢献した。「ミス・アメリカは(兵士たちが)入隊して守ろうとする、目に見える国のシンボルであった」「彼らにとっては民主主義の具現化した姿であり、胸の高鳴りや体の疼(うず)きを呼び起こすものだった」(デニソンさん)

デニソンさんは20世紀フォックスと契約を結び、「ジョルスン物語」や「Winged Victory」などの映画に出演した。ハリウッドが身近になると、当代の著名な芸能人の多くとも知り合う機会を得た。チャーリー・チャップリンの息子のシドニーや、コメディアンのフィル・シルバースと親密になるのもこのころだ。後者とは1945年に結婚するが、5年後に離婚している。

「ディック・トレイシー」シリーズにも出演したデニソンさん。後にはテレビ版の制作にもかかわるようになる。CBSのプロデューサー兼ディレクターのラッセル・ストーンハムと結婚し2児をもうけるが、1970年代に別居し、最終的に離婚した。

自伝の中では、セクハラを告発する#MeToo運動への支持を表明。自らも12歳の時に性的暴行を受けたと明かした。「女性が米国文化の中でどれほどひどい扱いを受けているかを思うと呆然(ぼうぜん)とする。『#MeToo運動』をはじめ、勇気をもって一歩踏み出し、自分がかつて男性から受けた性的暴行を糾弾する女性たちのことは大変誇らしいし、長生きできたおかげでこうした状況をこの目でみられるのはありがたい」(デニソンさん)

自伝を編集したミルズさんは、デニソンさんの物語について、「不安定な幼児期や、標準以下の教育しか受けていないといった逆境を跳ね返した。社会に向けて声を上げ、活力に満ちた知的生活を作り上げた人生だった」と振り返った。

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