(CNN) 米国の感謝祭休暇に当たる11月第4週の週末、バーモント州でパレスチナ人の大学生3人が銃で撃たれる事件があった。このうち2人は伝統衣装の「ケフィエ」を着用しており、被害者の家族からは「憎悪に駆られた」犯行だとの声が上がった。
ケフィエは中東各地で着用されているものの、ここ数十年は特にパレスチナのアイデンティティーや抵抗の象徴とみなされるようになっている。イスラエルとイスラム組織ハマスの軍事衝突に機に世界で発生したパレスチナ支持のデモでは、デモ隊がケフィエを首に巻いたり、顔を覆うのに使ったりする姿が見られた。
もともと羊飼いや遊牧民が身に着けていたケフィエは、「反植民地主義の革命家や活動家などによって世界的に着用される象徴的な衣類となる一方、高齢者や農家は今も伝統の頭飾りとして身に着けている」。そう指摘するのは、パレスチナ系カナダ人のジャーナリストでトロント大学の博士候補生でもあるマジード・マルハス氏だ。
歴史家はケフィエの歴史を遡(さかのぼ)り、歴史的パレスチナにおけるベドウィンに起源を求めている。ベドウィンは砂漠の日差しや砂から身を守るためにケフィエを着用していた/Bettmann Archive/Getty Images
ケフィエとは何か?
ケフィエ(keffiyeh)は中東各地で着用されている伝統のスカーフで、英語で「kufiyya」あるいは「kaffiyeh」とつづられることもある。通常は白と黒、あるいは赤と白という配色で、全体に様々な模様が描かれ、縁には房飾りがあしらわれている。
パレスチナの服飾史を専門にする研究者兼学芸員、ワファ・グナイム氏はCNNの取材に対し、1920年代までケフィエは主に、歴史的パレスチナの地で遊牧民ベドウィンの男性によって着用されていたと説明した。
グナイム氏は米ニューヨーク近代美術館(MoMa)の研究員でもある。仕事では綿や絹、上質のウールといった素材に白、黒、緑、赤の糸をあしらった19世紀のケフィエを目にする機会が多いという。
「この地域では男女を問わず全ての人が頭に装飾品をかぶっていた。農村や市街地の住民とベドウィンとでは、頭にかぶる衣装のファッションが異なっていた」とグナイム氏は説明する。
「ベドウィンの男性はケフィエを斜めに巻き、アケルと呼ばれるロープを使って頭に固定した」
ケフィエにはベドウィンであることを視覚的に表示する役割に加え、砂漠の過酷な日差しや砂から着用者を守るという実用的な目的もある。
マルハス氏はそれぞれのケフィエに織り込まれた模様について、「オリーブの木や漁網など、パレスチナの土地の様々な側面を反映している」と語る。
赤と白のケフィエはかつて、英国人指揮官が「アラブ軍団」に属するベドウィン部隊「砂漠警備隊」の制服に採用したことから、ヨルダン民族主義と結びつけて語られることもある。しかしマルハス氏によると、パレスチナの活動家や闘士はあらゆる色のケフィエを身に着けているという。
頭にかぶる伝統的な着用方法に加え、今日ではケフィエを首に巻いたり、ショールとして肩に掛けたりする例も見られる。
ヘブロンの旧市街を歩くパレスチナ人の男性=2017年7月24日/Hazem Bader/AFP/Getty Images
パレスチナ人にとってケフィエが持つ意味
世界各地にいる多くのパレスチナ人やアラブ系住民にとって、ケフィエは自分たちの文化とのつながりを保つ重要な絆の役割を果たす。
パレスチナ人のブランド戦略家でクリエーティブ・ディレクターのダリア・ヤコブ氏はCNNに対し、海外旅行中は故郷ヘブロンで作られたケフィエを身に着けていると語る。
ケフィエを着用することで、「故郷を肩に乗せているような」気分になるとヤコブ氏。ケフィエを「抵抗と存在の象徴」と表現する。
ノースカロライナ州に住む26歳のパレスチナ系米国人の女性、A・Sさん(プライバシー面の懸念からイニシャルでの掲載を希望)にとっては、ケフィエは「子どもを安心させる毛布」のようなものだ。
ケフィエは「私が誰かを表現するもの。一族の歴史をいつも肌身離さず持ち運べる」と、A・SさんはCNNに語った。
グナイム氏も、ケフィエは父親、パレスチナ伝統の刺繍(ししゅう)「タトリーズ」は母親を思い出させると語る。グナイム氏はパレスチナに伝わるこの二つの文化遺産を組み合わせようと、白と黒とケフィエの飾りに伝統刺繍を活用した。
「私の一番の思い出はこのケフィエを作ったこと。美しい民族の誇りと喜びを感じながら着用している」
PLO議長、その後パレスチナ自治政府トップを務めたアラファト氏。人前に出る時はほぼ必ず白と黒のケフィエを身に着け、片方の肩に垂らしていた/Georges De Keerle/Hulton Archive/Getty Images
ケフィエはいかにして抵抗の象徴になったのか
ケフィエは文化的アイデンティティーの象徴となるだけでなく、政治的側面も持っている。この点は文化的・宗教的遺産や民族主義と結びついている他の多くの衣類と同様だ。
グナイム氏はこの政治的側面の起源を1930年代に求めた。グナイム氏によると、パレスチナ人は英国の占領終結と独立国家樹立を求めて起こした1936~39年の反乱の際、社会階級や宗教の垣根を越えた連帯の象徴として黒と白のケフィエを着用したという。
60年代にはケフィエは政治的シンボルとして復活し、男女を問わず着用された。パレスチナ解放機構(PLO)の議長を長年務めたヤセル・アラファト氏が黒と白のケフィエを着用した姿を頻繁に写真に撮られたことで、ケフィエはパレスチナ民族闘争の象徴としてますます定着した。
PLOの一部「パレスチナ解放人民戦線(PFLP)」のメンバーで、69年の航空機ハイジャックで有名になった元闘士ライラ・ハリド氏も60年~70年代、ケフィエを髪や首に巻いた姿がしばしば撮影された。
ケフィエを着けてパレスチナの難民キャンプを訪問するライラ・ハリド氏/Harry Koundakjian/AP
2000年代のヨルダンで第2世代のパレスチナ系住民として育ったマルハス氏はCNNの取材に、黒と白のケフィエを着用していると、受け入れ国であるヨルダンに「感謝していない」証しと捉えられる可能性があったと振り返る。ケフィエは「反逆と汎(はん)アラブ主義の象徴」とみなされており、パレスチナのアイデンティティーとのつながりから論争の種になる可能性があった。「家族は(ヨルダンで)ケフィエを着用している私を心配していた」という。
中学校でケフィエを着けていて、嫌がらせを受けた記憶もある。年長の少年から「この国が好きじゃないなら、ボートに乗って出ていけ」と言われたという。
世界各地で最近行われたパレスチナ支持のデモでは、パレスチナ人との連帯を示すため、主催者が参加者にケフィエの着用を促した。フランスではパレスチナ支持のデモが全面禁止された後、デモ参加者の一人がケフィエを着用し、135ユーロ(約2万1000円)の罰金を科された。
一方で、ケフィエの着用が原因で反パレスチナ感情やイスラム嫌悪にさらされる可能性もある。バーモント州バーリントンで撃たれた学生の弁護士は、学生たちが狙われた一因はケフィエを身に着けていたことにあると指摘。11月上旬には、ニューヨーク在住の女がケフィエをまとった男性をハマスの支持者と非難して襲撃したとして、ヘイトクライム(憎悪犯罪)疑いで逮捕・訴追される事件があった。女は無罪を主張している。
誰でもケフィエを着用できるのか?
ケフィエは民族的アイデンティティーや抵抗を象徴する役割にとどまらず、主流ファッションの世界にも浸透している。米人気ドラマ「セックス・アンド・ザ・シティ」のあるエピソードでは、登場人物のキャリー・ブラッドショーがケフィエのデザインを模したタンクトップを着用する場面があった。高級店でも大衆店でも、ケフィエは歴史から切り離されたアクセサリーとして販売されている。
しかし、ケフィエを本来の文脈から切り離すことが物議を醸す場合もある。複数の報道によると、ルイ・ヴィトンが21年に705ドルの「ケフィエ風ストール」をお披露目したところ、文化の盗用との批判が噴出。SNS上での反発を受け、ウェブサイトから商品を撤去せざるを得なくなったと報じられている。ルイ・ヴィトンは当時、複数のメディアの取材に対しコメントを控えた。CNNは再度コメントを求めている。
グナイム氏はケフィエを着る人に対し、着用前に自分で調査を行うように呼び掛けている。
「ここ10年間、ケフィエはファッション業界によって、パレスチナ起源という文化的帰属関係を明示せずに盗用されている」とグナイム氏は語る。
「文化の盗用は文化の抹消につながる。ケフィエを着用する人はその意味や歴史を自分で学ぶことが極めて重要。誰もが着用できるものではない」とグナイム氏は説明する。「パレスチナの連帯、解放、自由の象徴だから」
一方、マルハス氏は、パレスチナ人以外の人が伝統的なベドウィンのスタイルでケフィエを着用する際には注意が必要だが、一般論としては「偉大な連帯の証し」になりえると語っている。