マーティン・スコセッシ氏はどのような尺度で見ても、存命中の最も偉大な映画監督のひとりだ。同氏の映画は暗く、しばしば暴力的で、技術的な秀逸さと型破りな登場人物とを組み合わせている。「ディパーテッド」や「タクシードライバー」のように、映画史上有数の傑作と名高い作品も多い。しかし同時に、スコセッシ氏は筋金入りのファッション通でもあり、そのキャリアを振り返ると、映画に描かれたイタリア系米国人のスタイルが魅力的な形で見えてくる。
多彩な男性服を見るのは、スコセッシ氏の作品を鑑賞する楽しみのひとつだ。公開30年を迎えたギャング映画の名作「グッドフェローズ」では、レイ・リオッタの演じる武闘派ギャングが1960年代ごろ、食堂の前でたばこを吸う場面が描かれる。その姿はラット・パック(歌手のフランク・シナトラらが結成したエンターテイナー集団)が流行した時代のクールな男性像そのもので、革飾りのついたローファーに細身のシャークスキンスーツ、開襟のカーディガンという組み合わせが印象深い。
スコセッシ氏の映画に登場するキャラクターは、時代背景に合った格好をしているだけではない。彼らの服装はしゃべり方と同様、個々の人物を理解するうえで鍵となる。直近の犯罪映画「アイリッシュマン」では、ジョー・ペシ演じる1970年代のマフィアのボスがパリッとしたスーツに身を包んで現れる。シャツにはマフィアの幹部であることを示す尖った襟が付いているが、これはスコセッシ氏の出身地域の記憶を基にしたものだ。
1990年の映画「グッドフェローズ」に出演したジョー・ペシ(左)、 レイ・リオッタ(中央)、ロバート・デニーロ/Warner Bros. Entertainment Inc.
ファッションとアイデンティティーを強力に融合させる作風は、50年以上前にさかのぼるスコセッシ氏のキャリアの最初からあった。賞を取った1964年の学生映画「It's Not Just You, Murray!」はそのことを明確に示す。美しい白黒映像で撮られたコメディーの冒頭、主人公はカメラに直接語りかけ、自身の小粋な服装を解説して、一つひとつのアイテムの値段を挙げていく。
「このネクタイが見えるかな」と問いかけた後、カメラを上に向けて顔を映すように指示し、こう言い放つ。「20ドルだ」
「マーティーがファッション史に造詣(ぞうけい)が深いことは当初から明らかだった」。そう振り返るのは、衣装デザイナーのサンディ・パウエル氏だ。アカデミー賞を複数回受賞した同氏は、2002年の復讐(ふくしゅう)劇「ギャング・オブ・ニューヨーク」で初めてスコセッシ氏と仕事を共にした。「彼は細部への鋭い観察眼と驚異的な記憶力を持っていた。1830年代と1850年代の男性用ジャケットを比較して、袖の幅の違いを見抜くことができる映画監督はそういない」
全米監督協会による毎年恒例の授賞式に参加したマーティン・スコセッシ氏=1977年/Frank Edwards/Fotos International/Getty Images
大きなスクリーンに映った小さなイタリア
スコセッシ氏は自身の服に誇りを持っているとみられ、一種の都会的なエレガンスを醸し出してきた。
77歳を迎えた同氏は長年、ニューヨークの有名百貨店「バーニーズ」で買い物をしてきた。バーニーズは高級ブランドをいち早く取り入れた店で、中でもスコセッシ氏はジョルジオアルマーニのジーンズを収集。その後はバッティストーニやベルルッティ、アンダーソン&シェパードのデザイナースーツに凝り、そこにネクタイや時計の鎖のようなアクセサリーを組み合わせた。1969年に行われた野外音楽祭「ウッドストック・フェスティバル」には、フランス製のカフスリンクを身に付けて参加した。
スコセッシ氏の映画でファッションがこれほど重要な役割を果たしているのは、すべて家族の影響と言ってよい。両親はどちらもシチリア系移民の第1世代で、ニューヨークの衣類産業が盛んな地区で仕事を見つけた。この地域は一時、米国内で製造される服の大部分を製造していたこともある。性別による分業が支配的だった当時の慣習に従い、父チャールズ氏はアイロンがけ職人、母キャサリン氏はお針子として働いた。
1973年の映画「ミーン・ストリート」に出演したデビッド・プローバル(左)、ロバート・デニーロ(中央)、ハーべイ・カイテル/Courtesy Everett Collection
2人が暮らすロウアー・イースト・サイドのイタリア人街には、古き良きイタリアパン屋やイタリア料理店が軒を連ねていた。その一方で、荒っぽい閉鎖的な地域でもあり、ギャングが横行しているとの評判がつきまとった。
スコセッシ氏は幼少期を過ごしたこの地域にしばしば触れ、1973年の出世作「ミーン・ストリート」の着想のきっかけになったと振り返っている。当時、スコセッシ少年は非常階段や自宅アパートの屋根に座り、人でごった返す通りを見下ろしていた。視線の先では労働者階級のイタリア系移民や、路上生活をする子どもたちが入り交じっていて、派手なオーダースーツに身を包んだ社交クラブの常連客の姿を目にすることもあった。
1974年、キャリア初のスタジオ映画となる「アリスの恋」を撮り終えたスコセッシ氏の元に、イタリア系住民のドキュメンタリー映画を撮影する話が舞い込む。これは民族集団をテーマに据えたテレビシリーズの一環として企画されたものだが、スコセッシ氏はありふれたアプローチ(典型的なエピソードを求めて記録映像を掘り起こし、ナレーターを雇って時代背景を補う)を取るのではなく、両親に関する映画を製作することを決意。題名を「イタリアン・アメリカン」と名付ける。
短編映画「イタリアン・アメリカン」に登場したスコセッシ監督の両親/Courtesy of the Criterion Collection
「イタリアン」と「アメリカン」の単語をつなげたことについて、スコセッシ氏は2つの世界のつながりを表現する狙いだったと語る。タイトルカードのバックにはタランテラと呼ばれるイタリアの民俗音楽を使った。
「イタリアン・アメリカン」はシネマベリテ(真実の映画の意。フランス発の即興的な撮影手法)風のドキュメンタリーとして、少人数の撮影陣によって2日間で撮影された。舞台となったのは、スコセッシ氏の子ども時代の家があったエリザベス通りだ。愛情のこもった、時に陽気なタッチで描かれた作品世界は、殺伐とした「ミーン・ストリート」と対をなす。
映画の主役となったのは母親だ。生まれながらの語り手である母親は鋭いユーモアセンスを備え、青い花柄の壁紙をあしらったキッチンで、夕食のパスタを用意する場面が描かれる。
スコセッシ氏はいくつか質問を投げかけているものの、大部分はただ両親にしゃべってもらうか、両親が自分や撮影陣に反応したり、お互いに掛け合いをしたりするのに任せているだけだ。フレスコ画やビニールのソファで飾られた簡素なアパートで、家族の逸話やイタリアの古い慣習についての記憶が語られる。共同住宅で過ごした若いころの生活や、スコセッシ氏の両親が服作りに携わるようになった経緯も聞くことができる。
ジャケットとジーンズを着たスコセッシ氏=2015年、フランス・リヨン/Pierre Suu/WireImage/Getty Images
本物らしさを優先
スコセッシ氏は折に触れ、「イタリアン・アメリカン」を自身最良の作品と解説。映画監督としての自己のスタイルを解き放つきっかけになったと語ってきた。このドキュメンタリーが地元の公共放送で放映されると、スコセッシ氏のキャリアは最も大胆で刺激的な局面に入った。
1980年の映画「レイジング・ブル」 でビッキー・ラモッタ役を演じたキャシー・モリアーティ/Alamy
あたかも伝統的な服を生まれ変わらせる前衛デザイナーのように、スコセッシ氏は映画のあるべき姿をめぐる全ての固定観念を打ち砕き、撮影や編集手法の実験を通じ、作品に新たなトーンや手触りを与えていった。登場人物は問題を抱えているケースが多く、片時も目を離せない魅力を持つ。
まず発表したのは、ドストエフスキーの「地下室の手記」の強烈な現代版ともいえる「タクシードライバー」だ。都市の腐敗や疎外が暴力となって噴出する様をタブロイド風に描いたこの作品で、スコセッシ氏はカンヌ国際映画祭の最高賞パルムドールに輝く。続く「レイジング・ブル」では、ボクシングのミドル級王者ジェイク・ラモッタの人生を壮絶な伝記映画に描き、主演のロバート・デニーロがアカデミー主演男優賞を獲得した。
この作品でもやはり、衣装は現実の経験を映し出している。7回の結婚生活を含め、周囲のほぼ全てを破壊していく狂気のファイター、ラモッタはリング外ではリブ編みのTシャツとプリーツの入ったスラックスを愛した。「レイジング・ブル」ではラモッタの2人目の妻、ビッキーにも焦点が当てられ、出会いの場となった公共プールでワンピースの水着をまとい寝そべる姿が描かれる。全てが破たんする前に、イタリア人街のしゃれた屋根の上で結婚式も行われるが、これはスコセッシ氏の両親の結婚式と同じ場所だ。
英国映画協会で撮影されたスコセッシ氏の写真=2017年、ロンドン/Tim P. Whitby/Getty Images
スコセッシ氏は一貫して、本物らしさを最も重視してきた。映画評論家のケント・ジョーンズ氏はメールで「本物らしさこそ、彼の映画を特別なものにしている基本的な要素だ」と解説する。「それ以前にも(犯罪映画の)『都会の叫び』のような作品はあった。良い映画ではあるが、イタリア系米国人の姿は戯画化されている。従って、『ゴッドファーザー』に続き1年後に『ミーン・ストリート』が現れた衝撃はどんなに強調しても足りない」