(CNN) エラさんは自分らしいスタイルを見つけられずにいた。カリフォルニア州ベイエリアの職場に、ロリータ系の女性が優雅な身のこなしで現れるまでは。
「ロリータ」といってもナボコフ的な意味ではない。その女性は立派な大人で、1990年代中期に日本で流行したロリータファッションに身を包んでいた。ビクトリア朝時代や華麗なロココ様式を反映したロリータファッションはとにかくフェミニンで、ペチコートにフリルのついたレイヤードレス、繊細なアクセサリーを合わせるのが典型的なコーディネートだ。
エラさんは我を忘れた。子どもの頃は少女漫画を読み、漫画に出てくる日本のカウンターカルチャー系のスタイルをまねて絵を描いていたが、ああいう服は「すごくかわいいけど、米国では無理」だと思いこんでいた。メイクにハマったこともあったが、米国のメディアでもてはやされる「大人っぽい」メイクはしっくりこなかった。
ロリータのコミュニティー仲間とのお茶会を楽しむエラさん(中央)/Shelby Knowles
(ロリータ活動を誤解する人々や、変に妄想する人々からインターネットで嫌がらせされる可能性があるため、CNNはエラさんのファミリーネームは伏せる)
幼少期の情熱が形となって目の前に現れたのをきっかけに、エラさんも2015年、ロリータの間で人気のオンラインショップ「エンジェルプリティ」で初めてロリータ系の服を購入した。初めのうちは「おひとり様ロリータ」だった――ロリータの格好はしていたものの、他にロリータ仲間はいなかった。だが次第に友人たちも加わり、やがて志をともにするロリータのコミュニティーが形成された。みなおしゃれが大好きで、一緒に集まっては、野外でのお茶会やワイナリー訪問、かぼちゃ畑でのオフ会を企画した。ワードローブを充実させるために、みんなで買い物ざんまいすることもあった。今ではグループの中でも古株だ。
彼女だけではない。ロリータというサブカルチャーは活気あふれる日本のストリートシーンを飛び出し、アジアに飛び火してさらに世界へとファン層を広げている。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)演劇映画テレビ大学院のミシェル・リュウ・キャリガー助教が執筆したゴシック系ロリータファッションに関する学術論文によれば、米国には世界最大級のロリータコミュニティーが存在し、「社会になじめない小公女集団」が形成されているという。
お茶会の後で、バラ園を散策=米カリフォルニア州オークランド/Shelby Knowles
ロリータファッションと名称の由来
ロリータファッションは、そのネーミングゆえに誤解されがちだ。1955年、世間を騒がせたウラジーミル・ナボコフの小説に出てくる早熟なティーンエイジャーにちなんで命名されたのは事実だが、共通点はそれだけだ(小説の悪評が理由で、一般的に「ロリータ」という単語は性的対象にされた10代女性を言い表す代名詞とされている。ネーミングのせいで多くのロリータ系がソーシャルメディアからの検閲や、勘違いした外部の人間からの嫌がらせなどの憂き目に遭っている)。
オーストラリアのシドニー大学で講師を務め、日本の文化とファッションを研究するマサフミ・モンデン氏は、「ロリータ」とはむしろ「幼少期から大人になるまでの移行期をカバーする」名称だと語る。
ロリータファッションの様式は、ペチコートやフリルやレース、たっぷりしたジャンパースカートで(袖のないドレスで、ふりふりのブラウスの上に着るのが一般的)女の子らしさを演出する。「成熟した女らしさ」はこうあるべきだという規範に従うことを拒み、10代後半から20~30代、それ以上の年代もロリータファッションに身を包む。だからこそロリータは反体制的な自己表現手段になったのだとモンデン氏は語る。
レースやパール、花をあしらったアクセサリーに合わせて、ウィッグも身に着ける/Shelby Knowles
ロリータのインスピレーションの源は時空も国境も超える。例として、華美で超フェミニンな服装を好んだマリー・アントワネット、ミッドセンチュリー期に「フレンチロリータ」と呼ばれたブリジッド・バルドー、ヌーベルバーグ期の映画でフランス人から愛された英国生まれのモデル兼女優ジェーン・バーキンなどをモンデン氏は挙げた。50年代に米国で流行した、派手なスカートやボディスをあしらったプロムパーティ用ドレスも、現代のロリータファッションに影響を与えているという。
「女性服の一番の目的は男性を惹(ひ)きつけること。そうした通説に異を唱えるのがロリータファッションだ」とモンデン氏。「自分が満足するためにおしゃれをしているのだとはっきり主張し、自分らしい美意識を表現するための手段だ」
現代のロリータが取り入れている美意識には、今よりもずっと女性の発言権がなかった時代のものもある。だがそうすることで、社会規範に縛られた「現代制度からの決別を宣言」しているのだとリュウ・キャリガー氏は論文で書いている。
小樽運河をバックにした記念撮影でポーズをとるロリータファッションの女性/The Asahi Shimbun/Getty Images
ロリータファッションはいつ、どこで生まれたか
モンデン氏によると、ロリータファッションは活気あふれる日本のストリートシーンから生まれた。70~80年代、「ミルク」や「ピンクハウス」といった日本発のブランドの誕生とともに萌芽(ほうが)が芽生えた。はては「コム・デ・ギャルソン」までもが「ロマンチックでかわいらしい美意識」を共有し、ロリータは影響力を広めていったそうだ。
90年代には日本の音楽ジャンルのひとつ、「ビジュアル系」が台頭する。ビジュアル系のミュージシャンは時に過去のファッションからヒントを得て、手のこんだ衣装やヘアメイクに身を包んだ。そうしたビジュアル系のファンも、憧れのバンドをまねて装飾的なゴシック風ファッションに身を包んだ――モンデン氏いわく、これが先駆けとなってのちにロリータへと発展する。
東京の原宿界隈(かいわい)はメインストリームから外れた若者の人気スポットとなり、はやり始めたロリータ系もここに集まった。互いにおしゃれを競い合い、写真撮影にいそしんだ。彼女たちのファッションは海外の放送局やインターネット、雑誌などで取り上げられ、欧米向けに日本のストリートファッションを紹介するファッションカルチャーマガジン「FRUiTS」も創刊された。
アニメやコスプレなど日本が誇る文化財が海外で人気を集めたことで、外国人もロリータファッションに魅了されるようになったとモンデン氏は言う。だがリュウ・キャリガー氏も論文で書いているように、ファンはロリータファッションをコスプレだと考えていない――コスプレは他のキャラクターに寄せて着飾るが、ロリータは服装で本当の自分を表現するのだ。
ロリータファッションの様式は、ペチコートやフリルやレース、たっぷりしたジャンパースカートで女の子らしさを演出する/Shelby Knowles
ロリータファッションも多種多様
エラさんいわく、ロリータファッションにはすべてに共通する欠かせないアイテムがいくつかあるものの、「これ」という決まりごとはない。レースやリボンで飾られた華奢(きゃしゃ)なスカートにボリュームを出すためにペチコートを履く。ビクトリア朝時代らしさを増すために、ブルマーを履くロリータもいるようだ。
エラさんも説明するように、ロリータファッションは隅々まで入念に考え抜かれている。ストラップのついたピンク色のラウンドトウの靴とばっちり合わせた靴下から、その日のコーディネートに最高のアクセントを加える麦わら帽やピンクのリボン付きボンネット帽まで、どの服を着るか、どのアクセサリーをつけるか、どんなメイクをするかが重要だ。
レースの手袋や靴下、靴のデザインにも入念にこだわる/Shelby Knowles
着る者の嗜好(しこう)によって、ロリータファッションにもバリエーションが存在する。王道ロリータはペチコートにバルーンスリーブのブラウス、パラソルなどのキュートな小物。王道ロリータをさらに1ランクアップさせたスウィート系ロリータは、リボンもフリルもさらに多めで、淡いパステルカラーもふんだん。おそらくロリータでもとくにデコラティブなサブジャンルだ。ゴス系ロリータの衣装もフリルが多めだが、色調は暗く、ロリータの女性らしさにパンクな要素を織り交ぜている。例を挙げれば、ゴシック系ロリータではピンク系の代わりにダークパープルや黒を取り入れたりする。
エラさんの場合はプリント生地や柄ものをほどよく取り入れた、王道とスウィート系を足して2で割ったスタイルだそうだ。たまに黒い服が着たくなったら、ワードローブの中から数少ないゴス系ロリータの1着を選ぶ。
だがブラウスやスカートに手袋や靴といったコーディネートは通常のファッションよりも頭を使うので、エラさんも毎日着ているわけではない――ロリータ以外の時は、ベイエリアでよく見るスポーティ系ファッションだそうだ。
「時には着心地のいい服も着たくなるのよ」とエラさんは言った。