コピペとカットの発明者、テスラー氏死去 使いやすいパソコンに貢献
モードを排除することで、一般ユーザーがパーソナルコンピューターを操作できる道が開けた。その取り組みの大部分は、ゼロックスのパロアルト研究所(PARC)が舞台だった。
PARCでは、マウスやグラフィカルユーザーインターフェースなど、現代のパーソナルコンピューターに結び付く多数の技術が開発された。テスラー氏はその取り組みの中心人物として、「人に優しいユーザーインターフェース」「ブラウザー」などの用語を発明した。
アップル創業者の故スティーブ・ジョブズ氏がPARCを訪れてテスラー氏に会ったのは1979年だった。テスラー氏はジョブズ氏にこう言われたと回想している。「あなたは金脈の上に座っていながら、なぜこの技術で何もしようとしないのか。世界を変えることができるのに」
ジョブズ氏の言葉通り、ゼロックスではPARCの画期的な研究成果を活用していなかった。そこでアップルがゼロックスに先駆けて、いち早くグラフィックユーザーインターフェースやマウスなどの機能を普及させた。
テスラー氏は1980年にゼロックスを離れてアップルに入社し、副社長およびチーフサイエンティストに昇格。アップルでは「マッキントッシュ」や「クイックタイム」、いち早くグラフィカルユーザーインターフェースを採用したコンピューター「リサ」などの開発にかかわった。今では一般的になったコピー(キーボードのC)、ペースト(V)、元に戻す(Z)のショートカットを普及させたのはリサだった。
テスラー氏は1997年までアップルに在籍し、2001年にアマゾンに、2005年にはヤフー入りした。
その後も亡くなるまで米金融機関のウエスタンユニオンやメモ帳アプリのエバーノートで顧問を務め、デスクトップやモバイルの使いやすさ向上に貢献した。
2013年にはコンピューター歴史博物館のインタビューの中でこう語っている。「私の性格として、誰かがそれは不可能だとかものすごく難しいとかほぼ不可能だとか困難だとか言っているのを聞くと、私は常に挑戦しようとする」
そんな同氏だが、モード嫌いだけは克服しなかった。カリフォルニア州で乗り回していた愛車のナンバープレートは「NOMODES」だった。