ヨハネスブルクの歴史について知っておくべき4つのこと
ヨハネスブルクは金の発見からわずか数年で「アフリカのラスベガス」となり、人々の住居はテントかられんが造りの建物に変わり、ほこりっぽいたまり場は盛況な市場へと変わった。
しかし繁栄は代償を伴った。多くの黒人が貧困により鉱山での労働を余儀なくされ、悲惨な生活を送った。
現在、金はヨハネスブルク経済において以前ほど大きな部分を占めているわけではないが、「為せば成る」という開拓者精神は今も残っており、人々を魅了し続けている。
移住者たちの町
ヨハネスブルクのすべての住民は他の場所からの移住者と思われる。ケープタウンなど、南アフリカの他の場所ではよそ者に冷たく感じることがあるのに対し、ヨハネスブルクが移住者に寛容なのはそのためだ。
ヨハネスブルクにはさまざまな民族の居住地域が存在し、それらが100年前に豊かさを求めて移住してきた多様な地域社会に影響を与えている。
例えば、南部フォーズバーグはインドの雰囲気が漂い、市街中心地(CBD)のフェレイラスドープのオールドチャイナタウンや、シリルデーンのニューチャイナタウンは、カレーや点心を味わうには絶好の場所だ。