ただ、GOATの基準は良く言っても不明瞭だ。最高が何を意味するのかについての検討や議論が、見事な勝利や引退、そしてもちろん本人の死去の後で浮上してくる。GOATとはメダルや勲章を最も多く獲得した選手だろうか? 最も長くランキング1位に君臨した選手だろうか? 成績や各種のデータに関わる話だろうか? 華やかさ? 創造性? 長期にわたって獲得したタイトルの数? 年間のタイトル数? 1日のタイトル数? 最高額の年俸? スポンサー収入の多さ?
当然ながら、どんな種類であれ現実的にして明白、否定しようのない評価基準でもって史上最高を決定することなどできない。そんな基準は存在しないし、スポーツはそもそもそういったやり方で動いているものではない。とりわけペレのような人物を対象とする場合はそうだ。ペレのもたらす文化的、社会的影響はサッカーにとどまらず、世界全体に及ぶ。ただ史上最高を具体的に説明する特定の方法はないとしても、「誰がGOATか?」と問う会話自体は、馬鹿げているのと同じくらい欠くことのできないものかもしれない。なぜならそうした会話によって、自分たちが何者で、何を気にかけているのかが分かるからだ。
ペレを「史上最高の選手の一人」とするいかなる言及も「失礼に当たる」と、サッカー記者のフェルナンド・カラス氏は12月29日にツイートした。「彼をGOATと言いたくないなら、ひたすらその死を悲しみ、その偉業についていろいろと語っていればいい。しかし彼の死を利用して、GOATたるその地位に疑問を差しはさんではならない」
なるほど。数多くの国々の現首脳や元首脳、著名人やファンがそれぞれの投稿で、悲しみに暮れつつレジェンドへの敬意を表明する中にあって、ネイマールの言葉はペレのGOATの地位がなぜ永遠かつ不変なのかを最も的確に要約している。おそらくペレの後継者となるブラジル人選手の筆頭と思われるネイマールはインスタグラムに「ペレが登場する以前、『背番号10』はただの数字だった。サッカーはただのスポーツだった」と書き込んだ。「彼はサッカーを芸術に変えた。エンターテインメントに変えた。彼は貧しい人たち、黒人たちに声を与えた。特にブラジルの知名度を高めた。彼は亡くなったが、その魔法は残る。ペレは永遠だ!」
おそらく、GOATを宣言する上でこれ以上のものはないだろう。現役を退いて以降はもちろん、本人の命が終わってもなお生き続ける存在。ただ覚えておかなくてはならないが、ペレは決してGOATだった「だけ」ではない。過去と同様にこれからも、彼は常に「王様」であり続けるはずだ。
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エイミー・バス氏は米マンハッタンビル大学のスポーツ学教授。スポーツの観点から米国内の人種問題を描いた複数の著作がある。記事の内容は同氏個人の見解です。