「その名も慕わし、我らが将軍。その名もゆかし、金日成(キムイルソン)将軍」――。北朝鮮で最も有名な歌の一つ、「金日成将軍の歌」の歌詞だ。
歌は建国の祖にして「永遠の主席」である金日成氏に敬意をささげる内容で、その後は「語れ、満州の野に吹き荒れる吹雪」「語れ、沈黙の支配する密林の夜」と続く。
民族音楽学者のキース・ハワード氏は1992年に初めて北朝鮮を訪れて以来、数え切れないほどこの凱歌(がいか)を聞いてきた。北朝鮮国内では誰もが知る歌で、ニュース番組で使われているほか、学校では子どもたちも歌っていた。登山客を励ます目的で山道の岩に歌詞が刻まれているのを目にしたこともある。
建国70周年を記念するコンサートの様子/Ed Jones/AFP via Getty Images
英ロンドン大東洋アフリカ研究学院で教授を務めるハワード氏はこの歌について「金日成氏の人物像を提示した歌であり、抗日闘争を一手に引き受け、日本人を撃退した人物として称賛している。それが当局公認の歴史観だ」と説明する。
「重要度では国歌をはるかに上回る。国歌は性質上、外国人に聞かせるものだが、こちらは北朝鮮国内で歌われるからだ」
ハワード氏は長年にわたり北朝鮮音楽の伝統を研究してきたが、その過程で「5分以上は聞いていられない」「うんざり」するような歌を大量に聞かざるを得なかった。しかし同氏の新著「Songs for ‘Great Leaders’(原題)」は、単に音楽やダンス、楽器の研究にとどまらず、それらがどのように国家のイデオロギーを反映、強化しているのかを掘り下げる内容だ。
ハワード氏の著書が示唆するように、北朝鮮が「領土全体を劇場のように扱っている」とすれば、その劇場は歌と踊りで活気づく場所だろう。北朝鮮が創作活動を厳しく管理する現状を踏まえると、歌や踊りはもっぱらプロパガンダの道具に利用されていると言える。数千人が動作を完璧にシンクロさせる「マスゲーム」から、子どもたちが幼い頃から当局公認の歌を教えられる学校に至るまで、こうした例は多岐にわたる。
音楽が担う役割の変遷
ハワード氏は北朝鮮音楽の起源を、朝鮮がまだ日本統治下にあった1930年代に求めている。当時の日本は新たな音楽様式を導入したほか、東アジアのレコーディング業界を独占しており、朝鮮のプロミュージシャンは収録のために東京や京都のスタジオを訪れることが多かった。植民地支配に抵抗する共産主義ゲリラがアジアの他の革命勢力から歌を取り入れ、しばしば直接コピーしたのも、この時代のことだ。
平壌郊外にある孤児のための学校でピアノの指導を受ける少女/Ed Jones/AFP via Getty Images
金日成氏は南北分断後に実権を握った1948年には、芸術的な伝統の見直しに着手していた。55年の演説では、それまでの北朝鮮が「我が国の歴史と国民文化の体系的な研究を怠ってきた」としたうえで、「国の遺産の発掘と推進に全力を注ぐ」よう呼び掛けている。
日成氏は新しい歌を一からつくり出すのではなく、音楽学者を地方に派遣して、既に人口に膾炙(かいしゃ)していた民俗音楽や詩を記録させた。朝鮮半島では古くから南北が文化を共有していたが、日成氏は北朝鮮を起源とする歌を優先。これを社会主義的なテーマで編曲し直すよう命じ、歌詞も政治的な目的に合わせて書き換えた。
ハワード氏によると、60年代後半には、当時まだ若かった金正日(キムジョンイル)総書記が「芸術生産のかじ取り」を担うようになっていたという。この時期、北朝鮮では国家アイデンティティーの形成に占める芸術の重要性が増しており、新しいオペラや声楽作品、演劇を通じた過去の叙述や美化が進んでいた。
中でも代表的なのが「五大革命歌劇」で、北朝鮮の歴史に関する修正主義的な解釈や共産主義のメッセージ、指導者を称賛する内容を盛り込んでいる。
第1作となった「血の海」(1971年)では、日本の暴虐を乗り越えた農民の少女がゲリラ闘争に加わる様子を活写した。一方、「花を売る乙女」は冷酷な地主への借金にあえぐ家族の苦境を描き、共産主義以前の封建制を激しく批判する内容となっている。
金正日氏は1994年に亡くなった父親の後を継いで国を統治し、「マスゲーム」の拡大にも取り組んだ。これは歌手やダンサー、体操選手を大量動員して一糸乱れぬパフォーマンスを繰り広げるもので、通常は首都・平壌にある世界最大規模の競技場「メーデースタジアム」で披露される。色使いや動きの同調性が印象的だ。
平壌の「メーデースタジアム」で「マスゲーム」を披露する参加者たち/Ed Jones/AFP via Getty Images
音楽の独占
権威主義的な政権が音楽やダンスを利用するという考え方に新味はない。
突き詰めて言えば、米国歌「星条旗」から「ロンドン橋落ちた」に至るまで、ほぼあらゆる社会において歌は制度化され、共通の価値や国家の神話、歴史的な出来事を喚起するのに使われている。
しかし、北朝鮮では当局が創造的な表現を独占しているため、国家の歌やメッセージの浸透具合は他に類を見ない。
ハワード氏は「中央の許可の範囲外で人々が独自に音楽をつくっている証拠はない」と指摘。「唯一存在するレコーディング会社は国営だ。当局の許可の範囲外でパフォーマンスが許されることもないだろう」と語る。
ただ、近年では音楽に関する政府の方針は変わってきているようだ。金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長が最高指導者に就任した翌年の2012年には、北朝鮮初の現代的なガールズグループ「牡丹峰(モランボン)楽団」がデビューした。韓国から違法輸入されたポップカルチャーに影響を受けたとみられ、比較的現代風のパフォーマンスを見せる。
Kポップの影響を受けて生まれたとされる北朝鮮のガールズグループ「牡丹峰(モランボン)楽団」/Ed Jones/AFP via Getty Images
もっとも、歌詞の中身はだいたい同じだ。モランボン楽団は韓国のKポップに対する北朝鮮の応答のように見えるかもしれないが、歌の主眼は相変わらず指導者や軍の成果をたたえることにある。
ハワード氏によると、こうした厳格な管理は、北朝鮮の音楽が原則として何度も繰り返し聞かれることを意味する。その結果、背景やアレンジ、楽器編成に深い理解を持つ人の耳にさえ、国家公認の歌はどれも大差なく響くようになる。
ただ、何をもって多様な音楽とするかは聞き手が決めることでもある。この点を示すためにハワード氏が紹介したのが、北朝鮮を訪問した際の逸話だ。ハワード氏が車内で毎日流れる音楽について「退屈」と漏らしたところ、ガイドは「それでは明日は全く別の音楽を持ってきましょう」と答えた。
「翌日、彼は子どもの歌を収めたカセットを2本持って現れた。しかし、その内容と言えば、単に子どもが大人の歌を歌っているだけだった。歌は全く同じだが、子どもが歌っていた」
「彼は私に全く違う歌だと言い張っていた。何とも興味深い議論だったよ」