勢いよく破裂しているが、完全に静止している。ハロルド・“ドック”・エジャートン氏が1964年に撮影した、30口径の弾丸がリンゴを貫通する写真は、他では決して見ることのできない瞬間を詳細に写し出しており、思わず目を奪われる。濃いブルーの背景に、崩壊するリンゴの皮が勢いよく開いた瞬間をとらえたこの写真には、落ち着いた、彫刻のような美しさがある。
この写真は、広く芸術作品と見なされているが、撮影したエジャートン氏にとってより重要なことは、この写真が電気工学の偉業でもあるということだ。米マサチューセッツ工科大学(MIT)の教授を長年務めたエジャートン氏は、「アップルソースの作り方」というタイトルで知られる講義でこの写真を使用した。エジャートン氏は講義の中で、このリンゴの写真を撮るのに役立った先駆的なフラッシュ技術について解説した。
90年に86歳で死去したエジャートン氏は、「高速写真の父」として知られている。カメラのシャッタースピードは遅すぎて秒速2800フィート(約853メートル)で飛ぶ弾丸をとらえることはできなかったが、エジャートン氏のストロボフラッシュ(現代のストロボの前身)は瞬間的に光のバーストを発生させるため、暗い室内でタイミング良く撮られた写真は、まるで時間が止まったように見えた。その結果、魅力的な写真が撮れるが、しばしば面倒な後片付けが待っていた。
エジャートン氏の元教え子で、授業助手も務めたJ・キム・バンダイバー氏は、マサチューセッツ州からのビデオ通話の中で「写真撮影にはわずか3分の1マイクロ秒(100万分の1秒)しかかからないのに、後片付けには午前中いっぱいかかると冗談を言っていた」と当時を振り返った。
20世紀を代表する写真のひとつと考えられている/Harold Edgerton/MIT; courtesy Palm Press
初期のカメラオペレーターたちは、短く明るい化学反応を起こすために、金属燃料と酸化剤を組み合わせて作る花火の「閃光粉(せんこうふん)」を試していたが、ネブラスカ生まれのエジャートン氏が作り出した光は、閃光粉が生み出す光よりもはるかに短く、制御しやすかった。このエジャートン氏の画期的な発明は、化学的発明というより物理的発明だった。エジャートン氏は20年代にMITに着任した後、キセノンガスで満たされた閃光電球を開発した。この閃光電球は、高電圧にさらされると、一瞬、電気が2つの電極間で飛び交う。
エジャートン氏は、今では有名となったリンゴの写真を撮る前に、キセノンではなく普通の空気を使用するマイクロフラッシュを開発していた。また、飛んでいるハチドリ、ボールを打っているゴルフクラブ、さらに核爆弾の爆発など、数十年の価値のある有名な写真も撮影していた。(第2次世界大戦中、エジャートン氏は米原子力委員会のためにラパトロニックカメラと呼ばれる特殊なカメラを開発した。このカメラは、爆発の間、カメラに入ってくる光の量<露出>の調整が可能だった)
しかし、エジャートン氏の一部の写真が人々の記憶に残るきっかけとなったのは60年代に撮られた弾丸の写真だ。現在もMITで機械工学の教授を務めるバンダイバー氏によると、その写真の撮影で課題となったのは、フラッシュをたくことではなく、適切なタイミングでカメラのシャッターを切ることだったという。人間の反応は遅すぎるため、手動での撮影は無理だ。そこで、エジャートン氏は被写体である弾丸が発する音をトリガーとして使用した。
バンダイバー氏は「写真には写っていないが、すぐ下にマイクが設置されている」と述べ、さらに「銃弾からの衝撃波がマイクに伝わると、マイクがフラッシュを作動させ、その後にシャッターが切られる」と付け加えた。
象徴的な写真
エジャートン氏と学生たちは何年にもわたり、ライフル銃でバナナ、風船、トランプなどを撃ち抜き続けた。ではなぜリンゴの写真が、1957年に撮影された跳ね上がる牛乳のしぶきの写真とともに、エジャートン氏を特徴付ける写真の1枚となったのか。バンダイバー氏は、その理由の一つとしてシンプルさを挙げた。「(そのシンプルさが)人々の心をとらえ(中略)見れば何の写真かすぐに分かる」(バンダイバー氏)
1957年に撮影された「ミルククラウン」の写真も有名だ/Harold Edgerton/MIT; courtesy Palm Press
エジャートン氏の写真が人々を魅了したもう一つの要因は、芸術的感覚に優れたエジャートン氏の目だ。構成の美しい写真は、世界中の新聞や雑誌に再掲載された。また現在、エジャートン氏が撮った100枚以上の写真がスミソニアン・アメリカ美術館に所蔵されている。しかし、エジャートン氏は新たな称号を拒否した。
エジャートン氏は「芸術家扱いはしないでほしい」と述べ、「私はあくまでエンジニアで、私が追求するのは事実だけだ」と付け加えたと言う。
バンダイバー氏は、エジャートン氏の視覚実験が芸術的な遺産を残したのは間違いなく、さらに写真の分野も進歩させたと評価するが、一方でエジャートン氏の研究は科学と産業にも多大な影響を与えた。学生らとともに研究に取り組むエジャートン氏の手法は、92年に同氏の栄誉をたたえて設立されたMITのエジャートンセンターで今も生き続けている。センター長を務めるバンダイバー氏によると、同センターでは全ての学生が自由に銃弾の写真を撮ることができるという。
「今も(アップルソースの作り方の)講義を行っており、学生たちは変わった物の写真を撮ってやろうと考えている」とバンダイバー氏は言う。最近では、チョークや口紅を銃弾で粉砕する写真が撮られたという。「今やリンゴは面白味に欠ける」(バンダイバー氏)