ロンドン(CNN) パブロ・ピカソの絵画を研究していた美術史家が、表面下に隠されていたミステリアスな女性の肖像画を発見した。
この女性の肖像画は、恐らく描かれた数カ月後に失われた。ピカソは1901年、この絵の上に塗り重ねて、彫刻家の友人マテュー・フェルナンデス・デ・ソトがテーブルに座る姿を青と緑の色調で描いていた。
そのおよそ125年後、英ロンドンのコートールド美術研究所が展覧会を前に赤外線とX線を使ってこの作品を調べたところ、肖像画の輪郭が浮かび上がった。
![赤外線撮影で浮かび上がった女性の姿/The Courtauld Institute of Art](/storage/2025/02/11/72a532806025e8c08911b303e24981d4/002art-london.jpg)
赤外線撮影で浮かび上がった女性の姿/The Courtauld Institute of Art
コートールド・ギャラリーのバーナビー・ライト副館長は、赤外線カメラで作品をモザイク状にスキャンしたところ、女性の肖像画が「一片また一片と、文字通り私たちの目の前に現れた」と話す。
ライト氏は10日、「完成された肖像画とは全く関係のない筆遣いが見えることから、表面下に何かが潜んでいるという確信はあった」とCNNに語った。しかし何が見つかるかは、スキャンを始めるまで分からなかった。
この女性が誰なのかは今も分からない。ただ、ピカソが01年にフランスの首都パリで描いた複数の女性と似ており、当時パリで流行していた特徴的なシニヨンの髪型が共通していた。
![完成した作品は、ピカソの有名な「青の時代」の初期作品のひとつ/The Courtauld Institute of Art](/storage/2025/02/11/0087304b622455ee3bb200369421e633/003winterthur-switzerland.jpg)
完成した作品は、ピカソの有名な「青の時代」の初期作品のひとつ/The Courtauld Institute of Art
「彼女はずっと、一種の匿名モデルのままになるかもしれない」とライト氏は言い、この女性が誰なのかを突き止めようとしていると付け加えた。「彼女はピカソのモデルになっただけなのかもしれないし、恋人だった可能性も、友人だった可能性もある」
01年、パリにたどり着いた当時のピカソはまだ19歳だったが、既にさまざまな主題の描き方を見つけていた。
先に描いた肖像画を破棄して塗りつぶすことで、ピカソは恐らく「単に主題を変えただけでなく、有名な『青の時代』の画風を確立しながらスタイルを変化させていた」とライト氏は推測する。
青の時代のピカソは、それまでの印象派のスタイルから離れ、陰鬱(いんうつ)な色彩で主題を描くようになる。作風の変化は、親しい友人だったカルロス・カサジェマスの自殺も影響していた。
X線画像は、ピカソが同じカンバスで恐らく3~4回作品を描き直していることを浮かび上がらせた。新しい画材を買うゆとりがなかったことも一因かもしれないが、「彼は明らかに、一つの絵画を別の絵画へと変える過程を楽しんでいた」とライト氏は見る。
「主題を変えるごとにカンバスを真っ白にして何もない状態にすることはしなかった。彼はこの女性の上に直接、友人の姿を描いた。一つの姿から別の姿が現れ、一つのものが別のものへと変わっていく」
それでも見慣れた目には、女性の肖像画の痕跡が見え続ける。
「このテクニカルな画像の下に何があるのかを知ってから完成された絵画に目を戻すと、そうした痕跡がはっきり見える。彼女の目、彼女の耳、彼女の髪が」
「この幽霊のような女性の存在は、表面下だけでなく、実はある意味で表面にも表れている」。ライト氏はそう語った。
「マテュー・フェルナンデス・デ・ソトの肖像」はロンドンのコートールド・ギャラリーで2月14日から5月26日まで展示される。