コンピューターが世界各地のリビングに進出するはるか前、その置き場所は大学や研究機関、企業の本社に限られていた。それもそのはず、1960年代のメインフレーム(業務用大型コンピューター)は専用の部屋を容易に埋め尽くすほど巨大だった。
こうした状況はマイクロプロセッサーの発明で一変する。1971年、初の商用マイクロプロセッサー「インテル4004」が登場したのである。メーカーはようやく、顧客の自宅に収まる小型コンピューターを生産できるようになった。
だが、そこで浮上したのが、実際にコンピューターを自宅に置きたくなるように消費者を説得できるかという問題だった。
ライター兼ジャーナリストのアレックス・ウィルトシャー氏によると、コンピューターが私たちの自宅に導入される過程には、技術面だけでなくマーケティングやデザインの問題も絡んでいた。同氏の新著では、特に影響力の大きかったモデルを通じ、パソコン業界の黎明(れいめい)期を描き出している。
同書に登場する最初期のモデルは、趣味人や業界関係者を念頭に開発されたものだ。こうした「キットコンピューター」には2進演算のような基本的な機能しか備わっておらず、その魅力は新部品の追加などによりハードを改造するところにあった。
「キットコンピューター」の1つ、「Minivac 601」。主に企業が使用し、従業員をコンピューターに慣れさせる役割を担った/John Short
しかし1977年、コモドール社の「PET2001」や「アップルⅡ」といった使いやすい機種が登場したことで、時代は転換点を迎える。
ウィルトシャー氏によると、転換の背景には、はんだ付けやコンピューター言語を習得したり、専用の部屋を複数使ったりする必要の無いコンピューターを開発しようという機運があった。
そんな中で「店頭で購入して、テレビに接続するだけで使えるコンピューターがあればどうだろうか」という発想が登場する。
「これこそ『ホームコンピューター』の概念が生まれた瞬間だった。全てはデザインに懸かっていた」
すばらしい新世界
そこで大きな課題となったのが、コンピューターを「怖くない」存在にすることだった。
実際、初期モデルの中には処理能力を強調した冒頭の写真のような機種(その名も「インターテック・スーパーブレイン」)もあれば、親しみやすさを前面に打ち出して宣伝された機種もあった。
ウィルトシャー氏の著書には「ジーニー(精霊)」や「エイコーン(どんぐり)」、「アクエリアス(みずがめ座)」など、魅力的なブランド名が登場する。
こうしたメッセージを補強するため、色とりどりのキーボードや、丸みを帯びた控え目なベージュやグレーの筐体(きょうたい)を採用することも多かった。しかし業界黎明期の当時、コンピューターのあるべき外観について一致した意見はほとんどなかった。
フィリップスの「P2000C」は重量15キロ。9インチのグリーンスクリーンモニターを搭載している/John Short
今なお標準的なQWERTY配列のキーボードは最初から採用されていたが、それ以外は試行錯誤の連続だった。コンピューターにモニターを内蔵する場合もあれば、テレビ接続する場合も。補助記憶装置についても側面や下部に取り付けたり、外部ディスクに完全に分離したりと様々だった。
激変期の業界
こうした初期のホームコンピューターは外観こそシンプルだったものの、それは一種の見せかけだった。
インターフェースは直感的というには程遠く、ユーザーは通常、プログラムを開いて実行するために、コードやテキストコマンドを入力する必要があった。
ウィルトシャー氏は当時の業界の状況について、「幅広いデザインの世界とほとんど関連しておらず」、デザインの選定は経営幹部やマーケティング担当者が行っていたと指摘する。
当時としては珍しく、「C/WP Cortex 」には複数のカラーリングが用意された/John Short
コンピューター企業にとって1980年代は経済的に激動の時代で、多くの企業が生まれては消えていった。
オズボーンはブリーフケース大の持ち運び用コンピューターを市場投入したが、その2年後に倒産を発表。スペクトラビデオやオリックといった有力企業も、80年代の価格競争の中で経営破たんした。
しかし激しい競争の結果、業界を前進させる新たな技術も誕生した。
マイクロプロセッサーの性能は急激に上昇。またポイント・アンド・クリック方式のグラフィカル・インターフェースの開発により、コンピューターはかつてなく使いやすくなった。
一時代の終わり
業界では1990年代までに標準化が進み、特定のコンピューターに縛られないマイクソフトの基本ソフト(OS)「ウィンドウズ」が市場支配を確立していた。コンピューターの外見についても、長方形の箱の上にモニター、正面にキーボードを配置するというデザインで意見が一致しつつあった。
そんな中で登場したのがアップルの「iMac G3」だ。鮮やかな色をまとった新世代のマッキントッシュは、広告やテレビの画面にさっそうと登場すると、ついに人々の自宅にも導入された。
色彩の鮮やかさとユーザーにとっての扱いやすさでコンピューターの歴史を変えるモデルとなったアップルの「iMac G3」/John Short
ウィルトシャー氏の本に登場する最後の機種はやはりiMac G3だ。iMac G3は一時代の終わりを告げるとともに、パソコンがデザインアイテムとして渇望される新たな時代の幕開けを予告していた。
「当時、人々はベージュ色の箱が今後も机上に残ることを受け入れ、それで我慢しなくてはいけないと思っていた」とウィルトシャー氏は説明する。「そんな中でアップルが『パソコンはこうである必要はない。美しくエレガントにもなり得る。今後は仕事で使うだけでなく、日常生活の一部になる』というメッセージを発した」
「今私たちが住む世界の幕開けだった」