新石器時代に埋められた「太陽の石」、気候変動後の捧げ物か デンマーク

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デンマークの島で出土した「太陽の石」。太陽以外に穀物の列を思わせる模様の石もある/John Lee/Nationalmuseet, Denmark

デンマークの島で出土した「太陽の石」。太陽以外に穀物の列を思わせる模様の石もある/John Lee/Nationalmuseet, Denmark

(CNN) デンマークで発掘された数百の珍しい円盤状の石から、石器時代の人々が約5000年前に発生した壊滅的な火山の噴火に対してどのような行動を取ったかが明らかになりつつある。関連する研究がこのほど発表された。

複雑な線が彫られたこれらの小さな石は、1995年にデンマークのボーンホルム島で科学者らが発見した。島は首都コペンハーゲンの南東約180キロに位置する。

それぞれの石に刻まれた模様は、中心の円から複数の光線が枝分かれしているように見える。そこで考古学者らはこれらの遺物を「太陽の石」と名付けた。ただ一部には植物、または穀物が並んで生える様子を思わせる模様もある。

島内にある別の新石器時代の遺跡を2013~18年にかけて発掘したところ、さらに数百個の「太陽の石」が出土した。これらの石の大半は、地元の頁岩(けつがん)で作られていた。同時期に溝の中に置かれ、目的を持って埋められたようだが、これまでその理由は分かっていなかった。

最近、研究者らは複数の手掛かりをつなぎ合わせ、石を埋めた動機の解明に乗り出した。具体的にはドイツの堆積(たいせき)物、ドイツと米国西部の年輪、グリーンランドの氷床コアをそれぞれ検証。「太陽の石」が埋められた紀元前2900年前後の一時期、気候の著しい寒冷化が起きていたことを突き止めた。この時期のグリーンランド及び南極の氷床コアに含まれる硫酸塩の量から、当該の寒冷化に先駆けて火山が噴火していたと考えられる。こうした研究報告は、今月16日刊行のアンティクイティー誌に掲載された。

当該の噴火は極めて大規模で、記録が豊富に残る紀元前43年の米アラスカ州オクモック火山の噴火に匹敵する。後者の噴火後は気温が約7度低下したと、論文の筆頭著者を務めたコペンハーゲン大学のルーン・イベルセン准教授は指摘した。

オクモック火山の噴火では2年以上にわたって異例の低温、不安定な天候が続き、地中海地域全域で農作物は壊滅的な打撃を受けた。その結果、飢饉(ききん)や疫病が蔓延(まんえん)し、共和政ローマの崩壊を速める要因になったとする研究もある。

紀元前2900年の噴火について分かっていることはほとんどないが、噴火を引き金に同様の苦難や死が新石器時代のデンマークにももたらされたと考えられる。イベルセン氏はCNNの取材に答えてそう述べた。

その上で、当時の文化ではこれより以前に表象的なイメージを作成する慣行は知られていないと指摘。従って「太陽の石」の出現は、ボーンホルム島の住民にとって異例かつ極めて重大な出来事が起きたことを示唆するものだと付け加えた。

石に刻まれた模様は、中心の円から複数の光線が枝分かれしているように見える/John Lee/Nationalmuseet, Denmark
石に刻まれた模様は、中心の円から複数の光線が枝分かれしているように見える/John Lee/Nationalmuseet, Denmark

「生態学上の災害」

噴火した火山の地点は不明だが、噴火によって火山灰や他の粒子が大気中に噴出。北欧一帯で陽光が遮られて気候が寒冷化し、大規模な農作物の凶作を引き起こしたと考えられる。今回の研究によれば、収穫が太陽頼みだった石器時代の農民は、太陽を表す模様を石に刻むことで自分たちの太陽依存を認識していた可能性があるという。そうした「太陽の石」をある種の「捧げ物」として埋めることが、甚大な気候変動に見舞われた際の人々の反応だったとみられる。

石がいつ埋められたかによって、彼らの行動は遮られた太陽を復活させる儀式だった可能性もあれば、太陽の帰還を祝う場だった可能性もあると、科学者らは報告している。

コペンハーゲンにあるデンマーク国立博物館の学芸員を務める考古学者・歴史家のジャネット・バールベリ氏は「何もかもが空に浮かぶ黄金の円盤にかかっていた。農民らはそれを頼りに種まきや収穫の時期を調整した」「太陽に見立てた小さな円盤を捧げ物とすることは、噴火により引き起こされた生態学上の災害と非常に密接につながっている可能性がある」との見解を示した。同氏は今回の研究に携わっていない。

「太陽の石」が発掘されたボーンホルム島の2カ所の遺跡はいずれも集落ではなく、人々が共同体としての儀式を挙行する場所だった。そのような場所は新石器時代の欧州の至る所に存在したと、イベルセン氏は述べた。全ての石は、埋められた溝にできた単一の地層から見つかっている。こうした配置は、それらの石が単一の出来事の期間中に埋められたことを示唆する。

「(石には)太陽の他、畑や作物らしきイメージも刻まれている。だから我々は、ある種の自然災害の線に沿って考察している」(イベルセン氏)

象徴的な行為

氷床コアの化学分析から4900年前の火山の大規模噴火と「太陽の石」の埋蔵時期が重なることを確認した後、研究者らは次の段階として、この噴火が気候をどのように変化させた可能性があるのかを探った。答えはドイツと米国に由来する、太古の化石化した樹木にあった。

これらの木々の年輪を調べると、紀元前2900年前後で異常に間隔が狭くなっているのが分かった。この時期には成長が進まなかったとみられる。科学者らはまた、ドイツのアイフェル地域の湖にできた堆積物の層に関する以前の研究から、当該の時期の前後に日照が著しく低下したことも突き止めた。

共同体の儀式は、しばしば日々の慣習をそこに映し出す。石器時代のボーンホルム島に暮らした農民らは、耕した溝へ種をまくのに慣れていた。畑にまかれる種さながらに太陽を彫った石を溝へばらまくのは、共同体による象徴的な行為だったのかもしれない。それは自分たちが気候の問題に見舞われた際に行われた。「作物が再び育つように、収穫が増えるように、そして恐らくは、太陽が再び現れるように」(イベルセン氏)

今後は火山学者が太古の堆積物の化学分析を通じて未知の火山を特定できるかもしれないと、イベルセン氏は付け加えた。しかし考古学者にとっては噴火と「太陽の石」の埋蔵とを結びつけたことで新たな疑問も浮上している。バールベリ氏によればそれは、新石器時代の人々が太陽とどのように関わっていたのか、そうした関わりがどのように人類の文化を形作ったと考えられるのか、といった疑問だ。

果たして「太陽の石」を用いた儀式はこの年代のボーンホルム島にだけ存在したものなのか? それともより大きな宗教運動として、石器時代の信仰の中心を占めていたのか? 「もしかするとこれは太陽の時代の始まりと言えるのか? この時代にはストーンヘンジのような巨大な環状遺跡が、やがて太陽と空を崇拝するための見事な聖地になっている。実に興味深い考察だ!」(バールベリ氏)

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