OPINION

「オッペンハイマー」は異なる種類の映画である

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C・ノーラン監督の「オッペンハイマー」は、真夏公開の大作としては異彩を放つ存在だ/COURTESY OF UNIVERSAL PICTURES

C・ノーラン監督の「オッペンハイマー」は、真夏公開の大作としては異彩を放つ存在だ/COURTESY OF UNIVERSAL PICTURES

(CNN) 今や人の生涯の2、3回分にも思われる年月にわたり、米国映画は各メディアから農産物や家電品、あるいは食洗機用の洗剤のように評価されてきた。物語と(何にもまして)人物の形成におけるニュアンスや複雑さは脇へのけるか、評論家に任せがちになる。好んで扱うのは世間を騒がせる要素と、1分間に何度スリルを味わえるかという目安、そしてもちろん企業が作品に投じた金額だ。出来上がった素晴らしい作品がそうした投資に見合う大金をもたらしてくれる場合でさえ、もう十分という話には決してならない。新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)の後であればなおさらだ。複合型映画館やその他の映画館主はそれによってほとんど壊滅的とも言える影響を被った。

ジーン・シーモア氏
ジーン・シーモア氏

事情は理解する。最終的な損益は重要だ。とりわけ大金が投入され、映画産業全体の将来がそれにかかっている場合は。

ただ筆者の最終的な結論はこれと異なる。今までもずっとそうだった。重要なのはあくまでも、その映画が良い作品なのか、あるいは偉大な作品なのかどうかだ。

夏という季節は普通、そのような問いを立てるのにふさわしい時期ではない。この時期に公開される大作群は、観客に脳のスイッチを切るよう働きかける映画であるのが常だ。それによってこれらの「製品」は観客に対する効能を発揮する。観客は料金を支払い、自分たちの権利を購入し、満足して家路につく。

企業も往々にして、そのような宣伝文句をうたう。

だが今回は違う。こうしたケースは「オッペンハイマー」には当てはまらない。

作品自体の大掛かりな宣伝攻勢に加え、ネットを席巻した「バーベンハイマー現象」の一端を担ったことでも話題を集めた後(訳注:「バーベンハイマー」はバービー人形を実写化した映画「バービー」と、「オッペンハイマー」を組み合わせた造語。作風や内容があまりにもかけ離れた2作品が同日に公開されることにネットユーザーが反応し、双方の画像を加工・合成したミーム<ネタ画像> などがソーシャルメディアにあふれた)、「オッペンハイマー」はついに公開された。非常に素晴らしい出来で、昔ながらの映画の伝統に照らせば偉大な作品と言えるかもしれない。物語性にかけてはとても真夏の公開作品とは思えない、少なくとも似つかわしくない水準にある。くどいようだが今は真夏で、分厚い伝記を基に作られた映画の話をここではしている(ブームに火が付いた結果、2005年刊行の当該の伝記もベストセラーに返り咲いている)。

米国の物理学者、J・ロバート・オッペンハイマーはしばしば「原子爆弾の父」と称される/Ullstein bild/Getty Images
米国の物理学者、J・ロバート・オッペンハイマーはしばしば「原子爆弾の父」と称される/Ullstein bild/Getty Images

衣装に身を包んだスーパーヒーローやアクション物のシリーズの二番煎じとは対照的に、「オッペンハイマー」が提示するのは20世紀半ばの歴史に深く染み込んだ事例研究に他ならない。研究対象はその世紀で最も魅力的かつ厄介な人物、謎めいた存在でありながら、突き詰めれば最も記憶に残る天才たちのうちの一人だ。J・ロバート・オッペンハイマーを簡潔に説明する「原子爆弾の父」という言葉さえ、控えめに言っても相反する感情を伴った反応を引き起こさずにはおかない。その重大な評価は、悩ましくかつ悲劇的でさえある影響を本人及び世界へもたらした。オッペンハイマー自身の助力により、世界は決定的にその姿を変えてしまった。

「彼の本質は、分裂した人物が持つ曖昧(あいまい)さにあった」。亡くなったジャーナリストのマレー・ケンプトンは、かつてそう書いた。そのような人物は、商業映画において珍しくない。思い浮かぶのは(「ゴッドファーザー」シリーズの)「マイケル・コルレオーネ」か? あるいはもっと言えば、シェークスピア悲劇のどの映画版にも登場する欠点を持った主人公は、全員そうなのではないか?

しかし「オッペンハイマー」において、タイトルと同名の主人公が帯びる曖昧さは、身につけた広縁のフェドーラ(フェルトの中折れ帽)とほぼ同じくらいに際立っている。この帽子は本人にとって非公式の記号になった。つまり伝説的なマンハッタン計画を進めていたロスアラモス研究所所長としての記号だ。同研究所はニューメキシコ州の砂漠に設置された極秘施設で、当時の米国が集められる最高の研究者らが「原子爆弾」の製造に取り組んでいた。

映画「オッペンハイマー」のワンシーンから/Universal Pictures
映画「オッペンハイマー」のワンシーンから/Universal Pictures

アイルランドの俳優キリアン・マーフィーは、ドラマ「ピーキー・ブラインダーズ」や映画「ダークナイト」三部作で不気味かつエキセントリックな犯罪者を演じたことでよく知られる。後者は「オッペンハイマー」のクリストファー・ノーラン監督の作品だ。今作でマーフィーは、「オッピー」ことオッペンハイマーの二元性と矛盾にすんなりと入り込んでいる。若さゆえに抱く自信のなさから、専門職的自立性(プロフェッショナル・オートノミー)に対する感覚を高めるまでの間に切れ目はない。気まぐれな形ではありながらも、そうした感覚は教室の内外で高まっていく。神経質でありながら遠慮がち、目立たないように振る舞う一面と自己肥大に走る一面、知的にしてセクシー。マーフィーのオッペンハイマーは、時折俳優本人に特有の超大な力を備えた存在になる。ここで描かれる歴史の事柄に詳しくない映画ファンは、マーフィー演じるオッペンハイマーのことをオビワン・ケノービもしくはダース・ベイダーなのかと疑問に思ったとしても許されるだろう。正しい答えはどちらでもないし、その両方でもある。この映画にはそのようなジレンマが他にも数多く存在する。忠誠や愛情、名声にまつわる苦しみ、そして究極的には良心を巡る葛藤だ。

多くの批評家が本作を、ノーランにとって08年の「ダークナイト」以来となる最高傑作と指摘する(筆者なら、そこはむしろ00年の「メメント」までさかのぼりたいところだ)。本作でノーランは、自身にとっての定石となっている華麗な映像をより慎重なやり方で配置している。ただ監督がそこに込めた暗示は、しばしば驚くほど痛烈なものとなる。オッペンハイマーが抱える悪夢のような恐怖の視覚化では特にそれが顕著だ。彼がチームのメンバーと作り上げた原爆の恐怖は、実際の被爆地の犠牲者に代わるそのような視覚化を通じて描かれる。ここ以外の別の箇所でも、そうしたシーンは見る者の胸に今なおわだかまる不安を呼び起こす。我々自身の時代でまさに起きようとしている核戦争への不安を。

再び映画を鑑賞したいのかどうか全体ではまだ確信を持てずにいる一般の映画ファンたちは、かくも複雑かつ深く踏み込んだ内容をどう捉えるだろうか? 3時間にわたって過去の事象を巡る旅に出ることをどう考えるのだろうか? そもそも本作を見たがる公算が大きい人々にとって、サスペンスの要素はそれほど存在しないはずだ。彼らには結果があらかじめ分かっているのだから(実際には複数の結果が生じるわけだが)。

とはいえ、巨大なプレッシャーを受けながらの行動を描いたドラマは常に人の心を引きつける。集団による取り組みが奇跡に近い形で実を結ぶ展開も同様だ。それを成し遂げるのは固い絆で結ばれた、情熱あふれる素晴らしい人格の持ち主たちとなる。そうしていつものように、観客はシートの端に腰掛け、あの爆弾が爆発するのを待つ。マンハッタン計画をテーマにした映像作品が繰り返し作られているのも驚くことではない。映画「シャドー・メーカーズ」とドキュメンタリードラマの「デイワン 衝撃・悪夢の選択」は、どちらも1989年の作品だ。

そして何より、悲劇に対する強烈な感情がそこには込められている。ノーランは視覚的なイメージを通じ、広島と長崎に投下された原爆により日本人に何が起きたかを暗示した。悲劇的感情は、戦後のオッペンハイマーの憂鬱(ゆううつ)といら立ちによっても示唆される。そのような思いは、自身が手を貸して生み出した怪物を制御しようとする試みの中で生まれている。「ロバート・オッペンハイマーには、今なお我々の琴線に触れるところがある」。ケンプトンはそう記した。「なぜなら彼は、歴史の支配者になるという幻想と、その犠牲者になるという現実とを共に生きた、数少ない人物の一人だったからだ」

筆者はそれを支持する立場にある。大衆もまたそうするかどうかは、こちらの問題ではない。筆者は今後も、まずもってそのような事業が実現したことに驚嘆の念を抱き続けるだろう。それが機能したことについても。

評論家のジーン・シーモア氏は、音楽、映画、文化に関する記事をニューヨーク・タイムズ、ニューズデー、エンターテインメント・ウィークリー、ワシントン・ポストで執筆する。記事の内容は同氏個人の見解です。

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