古代の都市遺跡、悠久の時を経て観光客訪れる地に変貌 サウジ
(CNN) 世界で最も急成長する国の一つに、砂岩に刻まれた遺跡モニュメントがある。デーツ(ナツメヤシ)の農園と、ほこりっぽい二車線道路が周りを囲む。
それがヘグラだ。
「アル・ヒジュル」「マダイン・サーレハ」とも呼ばれるヘグラ遺跡は、サウジアラビアが誇る考古遺跡の至宝だ。国内で初めてユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産に登録された場所でもある。
紀元前1世紀から1世紀にかけて建造された古代都市には、目を見張るような共同墓地がある。サウジアラビア北西の広大な砂漠を背景に、複数の墓が砂岩に彫られている。
ヨルダンの有名なペトラ遺跡がナバテア王国の首都だったのに対し、ヘグラは南の拠点として栄えたが、その後12世紀に廃虚と化した。
だがペトラが世界七不思議のひとつに挙げられ、パンデミック以前は年間100万人以上の観光客が訪れていた一方、ヘグラに海外観光客の立ち入りが認められたのは、サウジアラビアが観光ビザの発給を始めた2019年に入ってからだ。
ヘグラの認知はまだペトラほどではないものの、近隣のオアシス都市アルウラーのおかげでそれも変わりつつある。アルウラーはアート・文化・観光の中心地として発展し、今では小さいながらも乗り継ぎに便利な空港もあり、ジッダやリヤド、ドバイからの定期便が運航している。
歴史の影から姿を見せて
ナバテア人はお香や香辛料など、主に宗教儀式で使われる香料を交易していたと考えられている。
そうした香料の2つが乳香とミルラ(没薬)だ。西欧の人々は幼いイエス・キリストに献上されたという聖書の記述でご存じだろう。
だがナバテアの文化のほとんどは歴史に埋もれてしまっていた。そして今、サウジアラビア政府が考古学への予算を増やしたおかげで、ヘグラをはじめとするナバテア遺跡から新たな発見が次々飛び出している。
「アッシリヤ人やメソポタミヤ人の話はよく耳にしてきた」と言うのは、セントラル・フロリダ大学で歴史を教えるウェイン・ボーウェン教授だ。「だが(ナバテア人は)ローマ人に抵抗し、ヘレニズム文化のギリシャ人にも抵抗した。砂漠では考えられないような貯水システムを作り、交易路を支配していた。おそらくローマ帝国繁栄の物語といっしょくたにされてしまっているのだと思う」
複製したナバテア人女性「ヒナト」が、観光センターで来場者を出迎える/Royal Commission for AlUla/Handout/Reuters
歴史記録という手法では後世にそれほどのものを残さなかったナバテア人だが、その文化的功績の一つはこの地域に大きな影響を及ぼし続けている――近代アラブ語の基礎を築いたのは、ナバテア語のアルファベットだ。
つい最近では、歴史家がナバテア人に文字通り「顔」を与えた。
今年初旬、砂漠から発掘された遺体をもとに複製したナバテア人女性の顔「ヒナト」が公開された。現在はヘグラの観光センターに展示されている。
砂地の上に
観光センターを訪れると、まずはデーツとサウジ式コーヒーで出迎えられる。ごく薄めにいれたこのコーヒーにはしばしばカルダモンが加えられる。カップには注ぎ口がカーブした伝統的な銀製ポットで注ぐ。
そこからランドローバーのミッドセンチュリー風ビンテージカーに乗り込み(天候によっては屋根がつく)、ガイドとともに散策が始まる。
陽ざしが降り注ぐ地域ではどこもそうだが、アルウラーや周辺地域も午前または夕方に訪れるのがベストだ。ヘグラには日中の灼熱(しゃくねつ)の太陽を遮る木陰や建物がないので、なおさらだ。
ナバテア人は遊牧民だったため、日常生活の名残はほとんどない。ただし、見事な終の棲家(ついのすみか)は残されている。
「カスル・アル・ファリード」はヘグラで最も見事な歴史的建造物の一つ/Thomas Samson/AFP/Getty Images
現地ではこれまでに合わせて115個ほどの墓が発見され、番号が振られている。
もっとも有名なのが「カスル・アル・ファリード」(アラブ語で「孤城」の意味)だ。雄々しくそびえる高さ72フィート(約22メートル)の孤高の建造物は、砂の広がりと見事な対照を成し、記念撮影にはもってこいだ。とくに日没前、ピンクがかかったオレンジ色の夕日が砂漠を染める瞬間は絶妙だ。
墓のうちのひとつが観光客に公開されており、中をのぞくことができる。人の出入りに偏りがないよう、墓はひとつずつローテーションで公開される。
だが、謎めいて興味をそそるのは外見のほうだ。
戸口の周りには埋葬された人々の名前が刻まれている。デザインの細部から、墓の住民がどこからやってきたのかがうかがえる。不死鳥、ワシ、蛇の図柄は、はるかギリシャやエジプトの文化とも交流があったことを示している。
研究の拡大
観光客の多くは、ヘグラ観光と合わせて、近隣の小規模な遺跡「ダダン」や「ジャバル・イクマ」を回る。
現地サウジアラビアで「屋外図書館」と呼ばれるジャバル・イクマの谷では、アラム語、ダダン語、サムード語、ミナ語、ナバテア語で刻まれたさまざまな碑文を見ることができ、この地域の豊かな歴史が垣間見える。アラブ語と英語に翻訳されている他、かつてはフランスの僧侶がこの地を訪れていたことから、フランス語の翻訳が示されている箇所もある。
一方ダダンはイスラム教以前に栄えた主要な交易都市で、巡礼者に交じって香辛料の貿易商も集っていた。
もっとも有名なのが「獅子の墓場」――その名が示す通り、ライオンの彫刻で飾られた霊廟(れいびょう)が集まる場所だ。
断崖をくり抜いた墓所が並ぶ「ダダン」/Matthew Starling/iStockphoto/Getty Images
これら3カ所は1日で回ることができる。政府が運営するこの地域の公式観光局「Experience AlUla」のウェブサイトから予約するのが一番手っ取り早い。時間がない観光客用に2時間で回れるツアーもあるが、半日コースや1日コースも選択できる。
ヘグラの観光センターのそばにある屋外テントも見逃せない。ここでは石片に自分の名前やイニシャルを小さなのみで刻印することができる。
実際の刻印作業から、ナバテア人が遺跡にどれほどの労力を注いだかが実感できるだろう。ワークショップを運営する女性たちが作った、ヘグラを代表する荘厳な建造物のミニチュアも販売されている。
今後の展望
ここ最近ペトラ遺跡が保全やオーバーツーリズム対策に力を入れているため、ヘグラは観光地として発展し、ますます人気が高まっている。
中東史を専門とするマイアミ大学のデイビッド・グラフ名誉教授によると、これまでペトラで発掘作業を主導してきた考古学者の多くがサウジアラビアに拠点を移しているという。今後さらなる発見が期待できそうだ。
またナバテア人や歴史に残した功績が、世界中でますます多くの人たちに知られることにもなるだろう。
「ナバテア人は国際人で、非常に洗練された文化を持っていた。私もその点をずっとアピールしてきた」と言うグラフ氏は、教鞭(きょうべん)から退いた後もメディアへの寄稿や講演活動を続けている。
「ナバテア人についてはあまり知られていなかった。もっと理解が深まり、原始的な古代人としてではなく、非常に積極的かつ献身的で、ローマ世界やギリシャ世界、その他文明とも交流していた活動的な人々として認められるようにするのが私の使命だ」