アイルランドの密造酒「ポチーン」、生産者の知られざる歴史 規制に抗い「独立国」宣言も
重い罰金にうんざりしたウリスの人々は、独立国家「ウリス・ポチーン共和国」の建国を宣言した。そして1812年に同国への唯一の入り口である二つの崖に挟まれた狭い道「マモレーギャップ」を封鎖し、同国内に閉じこもった。この狭い道は、彼らの違法活動を止めに来た警察や軍を待ち伏せするのに役立った。
ウリス・ポチーン共和国の住民は、農業や漁業により自給自足が可能だったため、同国は1815年まで3年間存続した。
マクローリン・ドハティ氏の祖母が、その祖母から聞いた話によると、ある日、赤い制服を着た英国の兵士がウリス・ポチーン共和国に押し寄せ、住民は逮捕され、蒸留器も押収され、同国はついに崩壊したという。
不幸な遺産
しかし、ウリス・ポチーン共和国の崩壊後もポチーンの生産は続いた。無秩序なポチーンの醸造や消費は危険な行為であり、それらによって生じた社会問題や、メタノール中毒による失明などの健康リスクにより、人々の生活は破壊された。
最終的にポチーンの違法な生産を抑制する上で重要な役割を果たしたのはカトリック教会だった。教会が政府に協力し、ポチーンと何らかの関りを持つことは不滅の罪だと述べたところ、信じがたいことに、それが効果を発揮したようだという。
アイルランドは20世紀末までに徐々にポチーンとの複雑な歴史を受け入れ始め、その第一歩として、専門家向けに合法的に蒸留されたポチーンの生産を認めた。このポチーンは1971年からアイルランドのシャノン空港とダブリン空港の免税品店で販売された。
そして97年に、ポチーンはついにアイルランドの国内市場でも合法的に入手可能になり、336年におよぶ禁止令に終止符が打たれた。また2008年から、欧州連合(EU)の地理的表示が可能になった。これによりポチーンはアイルランドでのみ生産が可能になり、ポチーンの生産にさらに弾みがついた。