(CNN) 75年前の今週、当時のジョージ・マーシャル米国務長官が行った卒業式の挨拶(あいさつ)によって、世界は一変した。
米国と同盟国は第2次世界大戦に勝利した。復員兵援護法で退役軍人は大学に戻り、多くの市民が平和の恩恵に浴していた。だが1947年6月5日、ハーバード大学の卒業式に出席した元大将は、戦争はまだ終わっていないと語った。
ジョン・エイヴロン氏
ソビエト連邦の侵攻に脅かされていた欧州には「実質的な追加支援が必要だ。さもなくば、経済的・社会的・政治的衰退に見舞われる」とマーシャル長官は警告した。「正常に機能している世界経済の見返りとして、米国はあらゆる支援を行うべきだ。そうしない限り、政治的安定や確固たる平和はない」
マーシャル長官の提案は前例のないものだった。米国は同盟国だけでなく、敵国の再建も支援しようというのだ。戦争賠償とは真逆の、平和への投資だった。
だが口で言うのはたやすい。ハリー・トルーマン大統領も、戦後の安全保障のための支出増を米国民に納得させることが必要だと理解していた。
当時、米連邦議会は共和党が過半数を握っていたため、出だしから歩み寄りが必要だった。トルーマン大統領とマーシャル長官は上院外交委員会のアーサー・バンデンバーグ議長を崩しにかかった。議長は当初、連邦予算1ドルにつき10セント強をヨーロッパに費やす案に乗り気ではなかった。
だがバンデンバーグ議長も――真珠湾攻撃までは孤立主義だった――党利党略は内政にとどめるべきだと理解し、共和党議員の説得に取りかかった。同氏は企業形態でのマーシャル・プラン運営を主張し、支出に対する厳格な説明責任と他の同盟国との協調を求めた。ソ連の侵略の急増による危機感も漂っていた。
マーシャル・プランは平和の象徴であり、トルーマン・ドクトリンの矢を補完するものだった。トルーマン・ドクトリンは「武装少数派や外部圧力からの征服の試みに対抗している人々への支援」を目的に掲げた。
結果的にマーシャル・プランは賛成69票で上院を通過。数カ月もたたないうちに食料や衣料品が船で輸送され、ダムや橋や建物を再建する資金が送られた。欧州は経済的に相互依存することで安定し、インフレを抑えながら成長を加速させた。議会では過激政党よりも穏健派が台頭した。最終的には北大西洋条約機構(NATO)設立という形で安全保障が強化され、各種経済協定が欧州連合(EU)の礎を築いた。
今なぜマーシャル・プランが重要なのかと疑問に思う人もいるだろう。
なぜなら、マーシャル・プランは敵国を同盟国に変え、独裁国家を自由民主主義国に変えたからだ。
マーシャル・プランは米国の偉大さが善意と切り離せないことを改めて思い出させてくれる。
マーシャル・プランのおかげで、西欧は75年間、比較的平和と繁栄を維持することができた。
近年、我々は民主主義を当たり前と考えることが危険であることを学んだ――そしてこの数カ月間は、第2次世界大戦後の平和確立を目指して米国と同盟国が設立した組織から多くを学んだ。
ウラジーミル・プーチン大統領のウクライナ侵攻により、耳あたりのよい孤立主義や歴史の終焉(しゅうえん)に関する幻想はことごとく打ち砕かれたはずだ。地政学上の暴漢は力の行使しか認めないことも思い知らされた。だからこそ、集団的安全保障協定が有効なのだ。フィンランドやスウェーデンなど、長らく中立を保ってきた国々に尋ねてみるがいい、なぜ今NATO加盟を希望しているのかと。
破壊されたウクライナの再建に向けて新たなマーシャル・プランを求める声が上がっている――ロシアを孤立させ続けようという固い意思のもと、同盟国の連帯が一層高まっている兆しもある。
だがマーシャル・プランを尊重するには、絶えず平和を構築していかなくてはならないことを認識するのが一番だ。訳知り顔に国際社会から退くことはできない。マーシャル長官、トルーマン大統領、バンデンバーグ議長が理解していたことは現代にも通じるからだ――平和を勝ち取れなければ、真の意味で戦争に勝ったことにはならない。
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ジョン・エイヴロン氏はCNNの政治担当シニアアナリスト兼キャスター。著書に『Lincoln and the Fight for Peace』。記事の内容は同氏個人の見解です。