ユダヤ人2万人救った外交官、71年ぶりに死亡認定
第2次大戦の終わりにかけて、ワレンベリ氏は迫害された人たち1万2000人以上をかくまう措置も講じた。
できる限りの手を尽くそうと、アウシュビッツ収容所に向かうナチス・ドイツの列車からユダヤ人を救出したこともある。
消息が途絶えたことを受けてスウェーデン政府は当時のソ連政府に対し、ワレンベリ氏に関する情報の提供を要求。ソ連の外務次官は1957年、ワレンベリ氏は1947年にルビヤンカの刑務所で心不全のため死亡して火葬されたとスウェーデン大使に説明していた。ルビヤンカにはソ連の情報機関KGBの本部があった。
しかしワレンベリ氏の親族はこの説明に納得せず、スウェーデンとロシアの作業部会は1991~2001年にかけて再調査を実施。2000年にはスウェーデンの元駐ハンガリー大使が、ロシアもワレンベリ氏が獄中で病死したとは思っていないと指摘した。
作業部会に協力したドイツの歴史家スザンヌ・ベルガー氏は、公式調査が終了した後も独自の調査を続け、ロシアに対してワレンベリ氏に関する情報を公開するよう求めた。2015年には80あまりの研究者や組織でつくるワレンベリ調査プロジェクトを立ち上げて、ロシアに非公開文書を開示させる手段を探っている。
スウェーデン政府がワレンベリ氏の死亡を認定しても、自分たちの目標に変わりはないとベルガー氏は話し、「ラウル・ワレンベリ氏に何が起きたのかを探ること、ロシアでたどった運命について徹底調査することは、私たちの探求の中心であり続ける」「答えはまだ出ていない。だから私たちの調査は続く」と力を込めた。