エリザベス2世死去、戦争と家族の混乱乗り切った英国の女王
離婚、火災、そしてダイアナ妃の死
即位後40周年となる92年は、女王にとって最もつらい時期だった。英王室の夫婦3組の結婚生活が崩壊したからだ。アン王女とマーク・フィリップス氏が離婚。チャールズ皇太子とダイアナ妃も、不倫で騒がれた後別居生活に入った。一方、アンドルー王子の妻のセーラ妃は、トップレスで米国人のフィナンシャルマネジャーと写る写真を撮影された。
これに加えて、ウィンザー城が大火に見舞われ、構造的に大きく損傷した。火災後、修復費用に公金を使うことが示唆されると怒りの声が沸き起こった。
こういった問題は、女王の歴史的な南アフリカ訪問にも影を落とした。95年のこの外遊で、女王はネルソン・マンデラ大統領と面会している。しかし批判が一段と高まったのは、97年のダイアナ妃の悲劇的な死の後だった。王室のメンバーは国民が広く悲しみに暮れる中、冷淡で無関心だったと非難された。
これが転換点となった。
何日かの沈黙の後、女王はロンドンに戻った。悲しむ人々に語りかけ、ダイアナ妃の人生から学ぶべき教訓があったと認めた。この行動は大衆の心に響き、批判は徐々に収まった。
この後、人気を回復した女王を中心に英王室のイメージはより親しみやすく身近な、また徹底して現代的なものとなっていった。
英王立空軍創設100年を記念する儀礼飛行を見るためバッキンガム宮殿のバルコニーに立つ(左から)エリザベス女王、メーガン妃、ヘンリー王子=2018年7月10日/Chris Jackson/Getty Images
2006年には孫のウィリアム王子とヘンリー王子が士官学校を卒業。5年後の11年にはウィリアム王子がキャサリン妃と、18年にはヘンリー王子がメーガン妃とそれぞれ結婚した。
12年の即位後60周年は、英連邦各国が祝福。3年後にはビクトリア女王の63年を抜いて、英国君主としての在位期間の最長記録を打ち立てた。16年の90歳の誕生日には、数々の祝賀行事のほか、世界中からお祝いのメッセージが寄せられた。
22年2月、エリザベス女王は英国の君主として初めて在位70周年となる記念の年を迎えた。
家族の混乱
晩年は新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)が英国を襲った。ロックダウン(都市封鎖)などの措置も取られる中、エリザベス女王はテレビ演説で国民に団結を呼び掛けた。
ただ国民を鼓舞する一方で、女王自身は家族内の混乱に直面していた。結婚から2年後のヘンリー王子とメーガン妃は王室からの離脱を発表。米カリフォルニア州に移り住み、テレビ番組のインタビューで、メーガン妃に対する人種差別的な発言が王室内であったことなどを暴露した。
また女王が特に目をかけていたとされる次男のアンドルー王子に対し、性的虐待を受けたという米国の女性が損害賠償を求める訴えを起こした。22年1月、女王は英王室を民間の性的虐待訴訟から遠ざける目的で、アンドルー王子から称号と王族としての後援者の地位をはく奪した。この後アンドルー王子は原告女性と和解。訴訟内容については依然として否定している。
フィリップ殿下の葬儀で一人席に着くエリザベス女王=2021年4月17日/Jonathan Brady/WPA Pool/Getty Images
21年4月には73年連れ添った夫のフィリップ殿下を失った。感染対策のため葬儀への出席者の人数が制限される中、教会で一人さみしげなエリザベス女王の姿が注目を集めた。
それでも葬儀から数日で公務に復帰。22年2月にコロナで陽性となった後も、軽めの公務をこなし続けていた。
夏季休暇で7月にスコットランドの私邸に移動すると、今月6日には退任するジョンソン前首相をバルモラル城に迎えた。続けてトラス新首相に面会し、組閣と首相就任を依頼した。この面会は女王が初めてバッキンガム宮殿以外の場所で首相任命を行うという歴史的なものとなった。
国民が祝賀ムードに沸いた在位70年を祝う記念行事「プラチナ・ジュビリー」から9月の死去までの間に、エリザベス女王の在位期間は70年よりまた少し長くなった。君主ゆえの縁遠さはあるものの、数世代にわたる英国人の人生の中で、その存在感は変わることがなかった。