注文したのに買えなかった高校時代のスタジャン、28年後に兄が古着屋で発見
モトリーさんは「この1週間、母がずっと一緒にいてくれたような気がする。この自然な高揚感がいつまでも続けばいいのに」と話した。
2週間のアリゾナ訪問を終え、ロサンゼルスに戻ったモトリーさんは、機会があるたびにこのジャンパーを着ている。自身のバンド「フィード・ザ・キティー」のショーでもジャンパーを着用しているという。
「ミュージシャンとして人々を幸せにすることが大好きで、この1、2週間は幸せだった。皆が喜びの涙を流し、私のことを喜んでくれている。それにつられて私も涙を流した」(モトリーさん)
ジャンパーが発見されて以来、モトリーさんの元フットボールチームの仲間たちは、ジャンパーを買うお金がなかったことをなぜ言わなかったのかと尋ねてきた。
モトリーさんは、それについて「恥ずかしかったんだ。スコッツデールでは周りの皆がお金に余裕があるように感じたが、私は母子家庭の出身だった。彼らの服を借りたり、高級車に乗ったり、家に遊びに行ったりできたのは楽しかったけど、(自分の家は)ちょっと違った」と語った。
店から店へ
古着屋のマギー・ヒースさんによると、ジャンパーを寄付したのはメサに住む男性だった。メサはパイントップから約280キロ、シャパラル高校から約32キロ離れている。
ヒースさんによると、その男性の奥さんが亡くなり、さらに新型コロナウイルスのために店を開けることができなくなった。「彼はジャンパーやパッチを積んだトレーラーを運転して、店に寄付してくれた。名前や番号の入ったジャンパーが単なるサンプル品ではないことに気づいたのは、何百枚も売った後だった」(ヒースさん)
ヒースさんは、ジョシュさんが店内で弟のジャンパーを発見した時の様子について、「仰天していた」と振り返った。
スコッツデール統一学区のナンシー・ノーマン氏はCNNに対し、「こうした品物は非常に感傷的な価値がある。彼がシャパラル高校のフットボールチームの一員として過ごした日々の楽しい思い出がよみがえることを願っている」と述べた。
ヒースさんは、店にある他のジャンパーに関しても、長い間ジャンパーを探している人たちのために提供すると話している。モトリーさんのジャンパーが発見されて以来、ヒースさんの店には電話やメールが殺到しており、丸一日かけてジャンパーやパッチの整理を行う計画だという。