パレスチナ人五輪選手に重くのしかかるガザ戦闘、「勇気を与えたい」
アブダビ(CNN) オマル・イスマイル選手がいつの日か五輪選手になりたいという自覚を持ったのは、14歳の時だった。当時すでに何年もテコンドーの練習に励んでおり、自分の技量を究極の水準まで磨く用意はできていた。問題はただ一つ、選手として代表する国が無いことだった。
イスマイル選手はパレスチナ人。家族は占領下にあるヨルダン川西岸ジェニン出身だが、イスマイル選手はアラブ首長国連邦(UAE)で生まれ育った。多くのパレスチナ人と同様にヨルダンのパスポートを持っており、これが旅券の役割を果たすものの、市民権は付与されていない。
2019年、ウズベキスタンでの自身初の世界選手権に招待されたとき、イスマイル選手はヨルダン代表として出場するのだろうと思っていた。だがフライトの2時間前、イスマイル選手の夢は打ち砕かれた。
「空港に向けて出発する直前、コーチから電話があり、厳密にはヨルダン国民ではないので無理だと告げられた。そんなことは知らなかった。ショックだった」。イスマイル選手はCNNの取材にそう振り返る。
パレスチナは完全な国際承認を得ておらず、非加盟オブザーバー国家として国連に参加している。このため、イスマイル選手はパレスチナにはテコンドー代表チームがないと思い込み、パレスチナ代表選手として出場可能だとは考えたこともなかった。
しかしコーチが代わりの選択肢を探し始めたところ、イスマイル選手もコーチも驚いたことに、テコンドーの代表チームは存在した。
それ以来、イスマイル選手は全ての大会にパレスチナ代表として出場している。
「もし知っていたら、絶対に最初からこの選択肢を選んでいたはず。とても幸せだった。自分の国のために参加するとなると、気持ちの面で違う。自分の国のために戦いたいという思いになる」
国際オリンピック委員会(IOC)は1995年、パレスチナ五輪委員会をメンバーに認定し、パレスチナ人選手の五輪出場を可能にした。今回、イスマイル選手は五輪出場資格を得た初のパレスチナ人テコンドー選手になり、心から誇りに思っているという。
今年のパレスチナ選手団は他に7人の選手で構成されており、ボクシングや柔道、競泳、射撃、陸上競技に出場する。いずれもワイルドカード出場枠をかけたプレーオフをくぐり抜けた選手だ。
これらの選手にとって、パリ五輪は過去9カ月で3万9000人あまりが命を落としたパレスチナ自治区ガザ地区の激しい戦闘を背景に行われることになる。
こうした現実がパレスチナ人選手の心を離れることはない。
バレリー・タラジ選手(24)はガザ地区出身。パリ五輪に出場するパレスチナ人競泳選手2人のうちの1人だ。市民権を持つ米国で20年間水泳を続けてきたが、ガザ地区が連日イスラエルの空爆を受けるのを目の当たりにして、自分の好きなことをするのがつらくなったと話す。
「スポーツは私が望む以上のものを与えてくれた。パレスチナの子どもたちが外に出て遊べないのが本当に悲しい」(タラジ選手)
タラジ選手は米国育ちだが、常々、生活の場にできないパレスチナを代表したいとの思いを抱いていた。ただ、簡単な道のりではなかった。
パレスチナ人として大会に出場するようになると、タラジ選手のルーツを疑問視する人も現れた。パレスチナ人のアイデンティティーが世界の誰の目にも明らかになるよう、タラジ選手は祖父の旅券や父の洗礼証明書といった書類を収集することに決めた。
それが何とか五輪に間に合った。
「私はスポーツを通じ平和的にパレスチナのために闘う。これは自分の国に奉仕する特別な方法だと思う。声を上げて国旗を掲揚できるのは本当に名誉なことだし、その責任がある」(タラジ選手)
陸上のレイラ・マスリ選手(25)も同様の思いを口にした。米国育ちのマスリ選手だが、CNNの取材に「いつも血と心にパレスチナを抱いていた」と語る。
「いつか五輪に出場するチャンスがあれば、パレスチナを代表したいと思っていた。米国のために走る選択肢は考えたことすらない」という。
マスリ選手は罪悪感にさいなまれ、陸上選手としてキャリアを歩むことを疑問に感じることも多い。これほど多くの選手がガザで命を落としている状況ではなおさらだ。
「『私は何をしているのか。もっとやらなくては』と考え始めてしまう。でも、できることはベストを尽くすことだけ。私は勇気を与えたい。私たちが人生を愛し、スポーツを愛しているということ、国際舞台に自分たちの場所があるということを示したい」