権力に固執するアサンジュ氏、犠牲となったウィキリークス
「決断を下すのはいつもジュリアン(アサンジュ氏)だった。他の者たちは優柔不断かつ臆病で、彼に限度を設ける決断力に欠けていた。そのため、ジュリアンは誰にも説明責任を負わず、自分の権限についていかなる変更も許さない独裁的リーダーとなった」
アサンジュ容疑者の性犯罪容疑が明るみに出た時、ドムシャイトベルク氏をはじめウィキリークスで働くボランティアたちは、ウィキリークスのためにアサンジュ容疑者に身を引かせようとした。言うまでもなく、誰かに高い倫理基準を守らせたかったら、自分自身も清廉潔白でなければならない。しかし残念ながら、アサンジュ容疑者は容疑が浮上してから数週間たっても権力を手放そうとはしなかった。
2010年9月14日、ウィリークス関係者は最後のオンライン会議に臨んだ。
関係者の中には「設計者」と呼ばれる謎に包まれた最上級プログラマーも含まれていた。そこでアサンジュ容疑者は、ビルギッタ・ヨンスドティル氏がマスコミのインタビューで語った内容について腹を立てた。ヨンスドティル氏はアイスランドの国会議員で、米軍ヘリがイラクの一般市民を狙撃する様子を撮影した有名なビデオの公開に貢献した人物だ。
ヨンスドティル氏はインタビューで「(アサンジュ氏に対し)法的問題への対処に集中し、後のことは他の人々に任せるよう強く促した」と語った。しかし、アサンジュ容疑者は代表の辞任を拒否した。
本記事は「ウィキリークス革命―透視される世界」の著者、ミカ・L. シフリー氏による寄稿です。記事における意見や見解はシフリー氏個人のものです。