ゲームに変革をもたらした日本製品8選<上> アーケード機からファミコンへ
パックマン(ナムコのアーケードゲーム)1980年
スペースインベーダーのわずか2年後に発売された「パックマン」は、シューティングゲームが圧倒的に多かった市場に投入され、迷路内で追いつ追われつするジャンルを開拓した。このジャンルでは以来、数え切れないほどの模倣作が生み出されてきた。
ビデオゲームの世界記録を調査する米ツインギャラクシー社は1990年代後半、中古ゲームのオークションを訪れ、平均的なパックマンのゲーム機のプレー回数を算出。こうした調査結果などに基づき、同ゲームが20世紀の間に100億回以上プレーされていたと推定した。
開発者の岩谷徹氏は一時、幽霊を食べる黄色いパックマンについて、2切れ欠けたピザから思いついたとの話を冗談交じりに広めていたが、後になって「口」という漢字に丸みを持たせたものが元になっていると明かした。
ファミリーコンピュータ(任天堂の家庭用ゲーム機)1983年
「ファミコン」という名称の方でよく知られているファミリーコンピュータ。このゲーム機はすぐに日本の象徴となった。ハリス氏は「ファミコンは非常に大きな成功を収め、80年代末ともなると日本家庭の37%にあった」と話す。
しかしファミコンが83年に日本で市場投入された時、ビデオゲームは米国で危機に直面していた。ビデオゲーム熱で稼ごうとして低品質な製品が大量に出回り、顧客の離反を招いていた。
任天堂はこのため、米国におけるファミコンの発売を2年間延期。米市場に合わせて当時流行のマシンだったVCRに近い形にゲーム機を改造し、「ニンテンドーエンターテインメントシステム(NES)」と名称を付け直した。
あとはソフトウエア面の質がものをいい、NESは米国のゲーム産業を復活させた。