(CNN) 米国のバイデン大統領は14日夜、ホワイトハウスの大統領執務室から語りかけ、米国民に対し、自らの激情を抑制するよう求めた。トランプ前大統領を狙った暗殺未遂事件の後、バイデン氏は自身のメッセージを改めて強調。我が国の政治に暴力の入り込む余地はなく、誰もが一度深呼吸して冷静になるべきだと訴えた。国全体が「体温を下げる必要がある」と同氏は説き、「どれだけ強い信念を抱いていようと、絶対に暴力へ陥ってはならない」と付け加えた。
果たしてこのメッセージは功を奏するのだろうか? 自身の再選に向け、トランプ氏に対抗する活動が重要な局面を迎える中、バイデン氏による演説はある種のストレステストであり、政治的緊張が制御不能となった時に大統領が何を成し遂げられるのかを試している。バイデン氏の訴えは周囲から孤立しているわけではない。ここまで多くの政治指導者が領域を越えてトランプ氏への襲撃を非難し、冷静になるよう求めている。ジョンソン下院議長は14日、CNNの取材に対してこう述べた。
「発言は影響をもたらす。熱を帯びた環境下で国内に政治的分断を抱える状況では、ソーシャルメディア時代の我々がそうであるように、あらゆる物事が増幅される。誰もがそれを続け、調節ダイヤルを回すことが出来る。だから我々はその目盛りを下げ、思慮深い討論と政策議論が可能になるように取り組まなくてはならない」
本人の職務のおかげで、バイデン氏は特に目立つ位置から米国をなだめようとする。だが悲しいかな、たとえ同氏が現状のように脆弱(ぜいじゃく)な政治的立場になかったとしても、情勢はバイデン氏にとって不利に働いたことだろう。それは歴史が示唆する通りだ。
米国民は1963年11月22日の身の毛もよだつ瞬間を体験している。銃撃犯のリー・ハーベイ・オズワルドが、当時のジョン・F・ケネディ大統領を射殺したあの時だ。事件はその後の破滅的な結果を受けて一段と重大なものになり、国全体に深い傷を残した。新たな時代への期待を体現した大統領が殺害されてしまったのだ。ダラスで起きたことについて、あらゆる種類の言説が渦巻いた。その大部分は、当時の意見を二分する問題に関連していた。公民権、反共産主義、右翼の過激主義などだ。
すぐに大統領職を引き継いだリンドン・ジョンソンもまた国民に訴え、よりよい道義心を取り戻すことを要求。ケネディの意志と共に米国民として前へ進み続けようと呼び掛け、それこそが凶弾にたおれた指導者への最高の追悼になるとした。彼は次のように述べた。「我々米国民の結束は、全員の合意に依存しない。我々には違いがある。それでも今、過去がそうだったように、我々がそれらの違いから引き出せるのは強さであって弱さではない。英知であって絶望ではない。人民及び政府として、我々は一つの計画を巡って結束できる。その計画は思慮深く、まさに賢明かつ建設的なものである」
しかし、ジョンソンもすぐに理解したことだが、大統領が抑制を求める声は往々にして不発に終わる。意見の分かれる問題によって生まれた巨大な断層はケネディ暗殺以前から存在しており、今や拡大する一方だった。公民権運動は激化し、立法を通じて人種間の平等を成し遂げようとする動きに拍車がかかった。一方、白人側からの反動はさらに悪化して、暴力性を増した。
米国の若者からは、性や流行といった問題に絡む従来の社会的、文化的価値を捨て去るよう求める圧力がかかった。強大化の一途をたどるそうした圧力を、若者たちは69年の野外コンサート、ウッドストック・フェスティバルでまざまざと見せつけた。同時に繰り広げられていた文化戦争も、一段と激しくなった。これは大学生と、ニクソン大統領が「サイレント・マジョリティー」と呼んだ人々との間で起きた対立だ。
ジョンソン自身も事態を一層悪化させた。自ら促進したベトナムでの戦争は、米国がこれまで直面した中で最も分裂を引き起こす問題の一つとなった。当該の軍事紛争を巡って米国民は激しく争い、多くの人々の間にさらなる分裂を生んだ。そんな中でジョンソンは、68年3月31日に大統領への再選を目指さない意向を発表。政界を驚愕(きょうがく)させた。
60年代を通じて、政治絡みの暴力は燃え上がった。ケネディ大統領の悲劇的な死は、和解に向けた土台とはならなかった。それどころか米国民はさらなる暗殺を目の当たりにし、衝撃と失望を味わうことになった。65年、黒人公民権運動指導者マルコムXが殺害された。68年にはさらなる恐怖が襲う。4月にマーチン・ルーサー・キング牧師が、6月にロバート・F・ケネディ上院議員が相次いで殺された。後者は大統領選挙に出馬しており、カリフォルニア州の民主党予備選挙を制した直後の暗殺だった。
この年の民主党全国大会に合わせ、シカゴの路上に繰り出したデモ隊に対し警察が加えた流血の弾圧は、国民の怒りがどれほど深まっていたかを象徴するものだった。同年の選挙活動で、ニクソンは「法と秩序」を訴えることにより分断をかき立てた。路上に繰り出した抗議デモ参加者に対し、非難の言葉も浴びせた。
当然ながら、60年代に続く数十年間は激しい分断と両極化、政治闘争によって特徴付けられている。米国民は63年以降分裂する一方となり、互いに歩み寄ることはなかった。
60年代の歴史を振り返って現在の我々が思い起こすのは、13日に発生したトランプ氏の命を狙う銃撃の後、バイデン氏が国民を落ち着かせるのは至難の業だということだ。党派を分断する問題は依然として根が深く、政治的なプロセスが引き続き対立を助長するだろう。多くの政治指導者は、近年で常態化した有害な言説に立ち戻る公算が大きい。
政治的暴力との戦いには、今後単なる言論以上のものが強く求められるはずだ。それは新しい世代の指導者らが、許容できる範囲を逸脱しない仕組みを進んで構築できるかどうかにかかっている。銃及び心理的な問題に対処する政策も必要になる。構造的な改革を通じ、政治制度の中に極端な施策から距離を置ける余地を作り出すことも求められるだろう。
国が積極的に大胆な措置を講じない限り、大統領が何を語っても状況の著しい改善は見込めそうにない。足下に迫る2024年現在の断崖から、我々を引き戻すことにはつながらないだろう。
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ジュリアン・ゼリザ-氏はCNNの政治担当アナリスト。プリンストン大学の教授として、歴史と公共問題を研究している。近刊書籍「Our Nation at Risk: Election Integrity as National Security Issue」の編集にも携わった。記事の内容は同氏個人の見解です。