なぜ性労働を強いられた脱北女性が中国から脱出できたのか
中国・吉林省(CNN) 脱北者のイ・ユミさん(仮名)は5年間にわたって数人の若い女性とともに中国北東部にある小さな共同住宅で監禁状態にあった。脱北する時に信頼していた仲介業者に裏切られ、ポルノサイトの運営者に売られたからだ。イさんが共同住宅から出ることを許されるのは6カ月に1度だけ。脱走を試みたこともあったが失敗した。
英ロンドンを拠点に北朝鮮の女性や子どもへの人権侵害を追及している団体「朝鮮未来イニシアチブ(KFI)」の報告書によれば、イさんのような状況に陥った北朝鮮の女性や少女たちは数千人に及ぶ。
KFIによれば、北朝鮮の女性たちはたいてい、売春宿で奴隷状態に置かれていたり、強制的な結婚のために売られたり、中朝国境に近い都市でウェブカメラの前で性的な行為を強要されたりする。中国当局に捕まれば、北朝鮮に送り返される。脱北者が北朝鮮で拷問を受けるのはよくあることだ。CNNはKFIの報告書の信ぴょう性について独自に確認できていない。
脱出した2人の女性(画像の一部を加工しています)/Julie Zaugg
人口約2500万人の北朝鮮の脱北者の人数について、公式の統計は存在しない。韓国によれば、1998年以降、3万2000人を超える脱北者を迎え入れた。昨年だけでも脱北者の数は1137人に上る。このうちの85%は女性だった。
ソウルに拠点を置く、北朝鮮の人権問題に取り組んでいる団体NKDBによれば、工場や国営企業に正式に籍を置いている場合は、いなくなればすぐに報告されるが、女性は在籍していることが少ないため、はるかに容易に脱走できるという。
イさんは、下位の党幹部の家庭で育った。
「家には十分な食べ物があった。米や小麦をガレージに貯蔵してもいた」と振り返る。しかし、両親は厳しく、日が落ちる前に帰宅しなくてはならず、医学の勉強も許してもらえなかった。
ある日、両親とけんかした後、イさんは中国へ渡ることを決めた。イさんによれば、越境を手伝ってくれる仲介業者を見つけ、レストランでの仕事も約束されたという。
しかし、その約束はうそだった。 NGOや脱北者によると、イさんのような女性は安全な越境のために500~1000ドルを支払う。
中国にわたるために、多くの脱北者は中朝国境の川、豆満江(トマンガン)を越える。
2011年に金正恩(キムジョンウン)氏が権力の座に就いて以降、脱北をめぐる悪い評判が立つのを避け、北朝鮮に関する情報が漏えいするのを防ぐため、国境の警備が強化されたという。
中国の大地にたどり着くと、脱北者は豆満江に面した図們市に向かうことになる。図們市からは北朝鮮の人々が年代物の耕運機を使って畑を耕す様子が見て取れる。
イさんは8人の少女のグループの1人として豆満江を渡った。
中国に到着すると、イさんは吉林省延吉市にある4階建ての共同住宅に連れていかれた。看板のほとんどが韓国語と中国語で書かれ、数十軒のレストランでビビンバやキムチが売られていた。人口の多くが朝鮮系だったためだ。
延吉市は朝鮮系の人口が多く、韓国語の看板も多い/Julie Zaugg
共同住宅で、イさんは、レストランの仕事は存在しないと悟った。
その代わり、イさんは仲介業者に、オンラインチャットのポルノサイトの運営者に3万元で売られていた。
韓国のNGOの試算によれば、中国へわたった北朝鮮女性のうち70~80%が人身売買され、年齢や容姿によって6000元から3万元の値が付くという。
イさんが連れてこられた寝室2つのアパートにはすでに2人の北朝鮮女性が住んでいた。1人は27歳で自分だけの部屋を持ち、ポルノサイトの運営者と近い関係にあるようだった。
もう1人の女性はクワン・ハユンさん(仮名)。19歳で、イさんが来た時にはすでに2年間、監禁状態が続いていた。
クワンさんは幼い時に両親が離婚し、母親と祖父母に育てられた。十分な食料を確保できない貧しい暮らしの中、脱北して家族に送金しようと決意。母親と祖母はがんになり治療が必要な状態だが、稼いだ金は全てサイト運営者の男に取られてしまったという。
イさんとクワンさんは1つの部屋を分け合うことになった。
「家具は2つのベッドと2つのテーブル、2つのコンピューターだけ」とクワンさんは振り返る。「毎朝、午前11時ごろに起床し、朝食を食べて、翌日の夜明けまで仕事をする」。4時間しか眠れないこともあった。文句を言えば殴られたという。
「仕事」は、韓国の男性が料金を支払って女性の性的な行為を見物するオンラインのチャットルームにログインすること。
ネット上で会話をするための最低料金は150ウォンだが、女性側で「入室料」を設定することもできる。人気のアカウントは入室料が高くなる。チップは最低300ウォンだが、女性にリクエストをかなえてもらう場合、チップの料金も高くなる。イさんとクワンさんは出来るだけ長く男性をオンラインにつなぎ留めておくよう指示された。
ポルノサイトなどで働く女性の多くは北朝鮮の脱北者だという/Julie Zaugg
サイトの運営者は韓国系で、女性たちを見張るために居間で眠った。
「表のドアは常に外側から鍵がかけられていた。内側には取っ手がなかった。男は6カ月ごとに私たちを公園に連れ出した」(クワンさん)
イさんによれば、外出の際に誰とも会話をしないように、男は常にすぐそばにいたという。2015年に窓から金属の排水管を伝って脱出を試みたが、落下し、背中や脚を痛めてしまった。今でも少し足を引きずっている。
イさんとクワンさんとが連れ出された公園。男のそばを離れることは許されなかったという/Julie Zaugg
イさんが脱出の可能性を見出したのは2018年の夏だった。
イさんによれば、「客の1人が、私が北朝鮮人で捕らわれの身であることに気が付いた」。北朝鮮と韓国ではアクセントや方言が違うため、多くの男性は女性たちが韓国人ではないことをおそらくわかっているものの、たいていは見て見ぬふりをする。
ただ、この男性は違った。
サイトの運営者に気づかれないでメッセージを送信することができるよう手伝ってくれたという。そして、韓国のチョン・キウォン牧師の電話番号をイさんに教えた。
チョンさんは北朝鮮女性が中国から脱出する手伝いを専門に行っている。チョンさんが率いるキリスト教の支援団体「ドゥリハナ」は1999年以来、1000人を超える脱北者を支援してきた。
2018年9月、イさんはチョンさんとメッセージアプリ「カカオトーク」を通じて連絡を取った。
その後、イさんはチョンさんにどうして現在の状況に陥ったのか説明した。チョンさんは共同住宅のレイアウトやサイト運営者の出入りについて尋ねた。
10月半ばまでに脱出計画が出来上がっていた。チョンさんは、イさんとクワンさんを救出するため、延吉市にチームを送り込んだ。
10月26日、サイトの運営者が1日外出している際、ドゥリハナのメンバーが建物に到着した。イさんとクワンさんはベッドシーツをつなぎ合わせて窓から外に下した。シーツにロープが結び付けられるとイさんとクワンさんはロープを引っ張り上げ、ロープを伝って安全に地面に降り立った。
脱出時の様子/Julie Zaugg
2人が小さなバックパックに入れて持ち出せたものはウェットティッシュとくしというわずかな生活必需品だけだった。2人が飛び乗ると、車は走り去った。
わずか数分の脱出劇だった。
韓国の牧師たちは中国国内に移動網と隠れ家を用意している。これは1700年代後半から南北戦争にかけて米国で奴隷の黒人を逃がすために作られた奴隷亡命組織「地下鉄道」に触発されたものだ。
1998年以前、脱北者は瀋陽市にある韓国総領事館の扉をたたくだけでよかった。
しかし、1998年から2008年にかけての「太陽政策」によって韓国政府と北朝鮮政府の関係が改善に向かうと、一部の難民が北朝鮮へと送り返されるようになった。脱北者はその後、ゴビ砂漠を抜けてモンゴルの韓国大使館を目指すようになる。しかし、モンゴル政府と北朝鮮政府が外交関係を強化したため、このルートも2010年には閉鎖された。
残った選択肢は中国を通って南に向かい、北朝鮮へ送り返さない国へとたどり着くことだ。
延吉市を逃げ出した後、イさんとクワンさんはバスや電車を乗り継ぎ、偽の韓国のパスポートを使って中国国内を移動した。最終目的地は昆明市だ。そこから多くの脱北者は違法に国境を越えてラオスやミャンマーに出て、韓国大使館を目指す。あるいはタイ・バンコクまで移動する方法もある。
イさんとクワンさんは山を越えて隣国へと彼らを送り届ける中国人男性と出会った。
クワンさんによれば、ジャングルの中を5時間歩いて、自分たちを待つ車のある道路までたどり着いた。その後、チョンさんが真夜中に道路わきで彼らと合流した。「彼を見てすぐに涙があふれ出た。長い時間の中で初めて、安全だと感じた」(クワンさん)
さらに2日、車とバスで移動した。昆明市から50時間にわたって移動したことになる。
中国の隣国へたどり着いたイさんとクワンさん。移動には約50時間かかった/Julie Zaugg
午前5時30分、イさんとクワンさんとチョンさんは韓国大使館の入り口へと歩いて行った。呼び鈴を鳴らす前に黒いシャツの男性が扉を開け、笑顔とともに3人を中に招き入れた。
数分後、チョンさんが1人で出てきた。
当局者によれば、大使館は毎月約10人の脱北者を受けて入れている。女性は事情聴取のために10日間ほどとどめ置かれる。事情聴取に問題がなければ、自由の身となり飛行機で韓国へ渡る。
韓国に到着すると、脱北者は研修センターに送られ、地下鉄に乗ったり、現金自動出入機(ATM)から現金を引き出したり、スーパーマーケットで食料品を買ったりといった現代生活の送り方を学ぶ。
大使館に入る前、イさんは新しい人生について、思いを巡らせた。「英語と中国語を学びたい。そして、もしかしたら、教師になれるかも」
12歳で学校を離れたクワンさんは大学を卒業したいという。「これまで一度も、どんな人生を送ろうかなんて考えるぜいたくは持てなかった」