ロシア軍制圧下で料理人の抵抗、パンを焼き苦境の市民へ分配 ウクライナ南部
ロシア軍がウクライナに砲撃を加え始めると、セルベトニックさんはパートナーと共にヘルソン郊外の村落にある両親の家に車で向かい、一緒の避難を促したことがあった。
しかし、混乱の時期も乗り越える人生を過ごしてきた両親は「どこに逃げるのか? そこで誰が待っている?」と笑って聞き流した。「ロシア人が間もなく来る。ここは今やロシアの土地であると言うだろう」とも続けたという。
この言葉を聞き、セルベトニックさんは地元に残り、ロシア軍への抵抗を決意した。多くのパン焼きの職人は退避するか身を隠していた。ピザレストランのパン屋への改造にも踏み切った。
ほかのパン屋も誘い、作ったものをより多くの市民に分配もした。セルベトニックさんは「我々は逃げなかったし、立ち去りもしなかった。住民を出来る限り助けることを始めた」と振り返った。
セルベトニックさんはロシア軍が侵攻してくる前はピザ料理店を営んでいた/Servetnyk Pavlo
大半のパンは同市郊外の孤児院や高齢者たちに無料で届ける。配達にはリスクが毎回伴う。しかし、提供しなければパンを待っている人々が空腹に襲われるかもしれない。パンの材料の在庫分は約2週間分しかないと考えている。使い切った後にどうなるかは知るよしもないと述べた。
セルベトニックさんはパンを焼くのに必要な燃料費などの経費を賄うため世界中の献金者から支えられてきた。
「ロシア人がウクライナの土地を奪ったとしても、ウクライナ人を奪うことは出来ないだろう」とも言い切った。何のためにウクライナ人は戦うのかと尋ねたが、「その質問はむしろロシア人に向けるべきだ」とし、「戦いは我々の土地と自由のためだ」と断じた。