「米国の戦争」から20年、イラク人の心の傷は今も癒えず
アラブ首長国連邦ドバイ(CNN) サラー・サイフさんは2003年、米兵によって悪名高いイラクのアブグレイブ刑務所に収容された。32歳の時だった。
あれから20年。故国を離れ、妻と3人の子どもと共に遠く離れたスウェーデンに移住した今も、戦争の恐怖にさいなまれ続ける。
「私に起きたことはあまりにも苦痛だった。イラクを離れた当時の私的関係にも影響を及ぼした」。サラーさんはCNNにそう語り、自分を自らの心にとらわれた囚人のように感じると言い添えた。「自分の子どもにも、ほかの誰にも会いたくなくて、自分自身を閉ざした。悪夢を見なくなるまでには長い時間がかかった」
イラクで米軍率いる戦争が始まってから、20年がたった。長年の間に体の傷はある程度癒えたかもしれないが、あの紛争で心に負った傷と、その後遺症は今も続いているとイラクの人たちは言う。
03年3月20日、当時のジョージ・W・ブッシュ米大統領は、イラクが大量破壊兵器を保有していると主張して、イラク侵攻開始を発表した。この主張は後に誤りだったことが分かった。
イラク侵攻は8年間の占領へとつながり、米軍の基地や検問所、兵士が国内の至る所に配置された。続く内戦やイスラム過激派の台頭で、イラクは暴力と分断に打ちのめされた。
サラーさんと家族にとって、投獄の傷跡は、身体的にも精神的にも、今に至るまで癒えていない。
サラーさんは何度も着衣をはぎ取られて裸にされ、食べ物を奪われ、暴行を受け、犬をけしかけられ、独房に入れられたと振り返る。
アラブ諸国では社会的偏見のため、心の治療を受けることが欧米ほど一般的ではない。そうした理由からサラーさんは精神科医に相談せず、代わりに家族に癒やしを求めた。しかし必ずしもうまくいかなかった。
「医師や精神科医に相談しないのがイラクの文化だ。そんなことは考えもしない。私は恐怖と不安の連鎖から抜け出して前進する必要があった。最初の数年間、自宅で妻と一緒にいるのが難しく、私にとって妻はまるで宇宙人のような存在になった」
米軍に拘束された当時、サラーさんはイラク北東部ディヤラで、カタールの報道局アルジャジーラの記者として働いていた。
弁護士のキャサリン・ギャラガーさんによると、サラーさんが罪に問われることはなかった。ギャラガーさんは、アブグレイブ刑務所の尋問にかかわった米政府の軍事請負会社を相手取った08年の訴訟で、サラーさんの代理人を務めた米人権団体の弁護士。
アブグレイブ刑務所
米軍の侵攻とサダム・フセイン政権の崩壊に続く数年の間に、米軍によって拘束されたイラク人の戦争捕虜は2万人を超える。
公式統計や病院、非政府組織などの報告をもとにイラク戦争の犠牲者を集計しているオンラインデータベース「イラク・ボディー・カウント」によると、米軍の侵攻から撤退までの間に殺害された民間人は12万人近くに上る。
04年に明るみに出たアブグレイブ刑務所の虐待は、世界を揺るがした。裸でつながれ、胎児のような格好で折り重なる収容者の前で、米兵がカメラに向かってほほ笑む。その光景は、この戦争がイラク人にとってどれほど残忍かを物語っていた。
「彼らは私の頭に黒い袋をかぶせて無理やり服を脱がせた。私を監房で何日も裸のままにした」(サラーさん)
続く数年の間に「拷問メモ」と呼ばれる文書から、そうした行為が尋問強化のテクニックとしてブッシュ政権に承認されていたことが分かった。人権団体のヒューマン・ライツ・ウォッチによると、これは一般的に、拷問、性暴力、レイプを意味する。
アブグレイブ刑務所は当初、フセイン政権がイラク人の拘束に利用していたが、米軍が03年から06年まで接収し、イラク当局によって14年に閉鎖された。
サラーさん一家は17年にスウェーデンに移住して市民権を取得した。サラーさんが自身の味わった苦難について子どもたちと語り合うことはない。「子どもたちは私に起きたことを知っている。それが拷問だったことも。それでも詳しいことは決して話さない。ただ、グーグルで知っている」
心的外傷に詳しい英国の専門家アレクサンドラ・チェンさんによると、戦争で心に負った傷跡は、紛争終結から何十年もたっても、世代から世代へと受け継がれることがある。
サラーさんにとって、そうした記憶から逃れることは難しい。あれから20年たった今も、サラーさんは公正を求めている。
奪われた子ども時代
米軍がイラクから撤退した11年、イラク国民の多くは、恐ろしい戦争の傷跡が癒える新時代の始まりを期待した。
しかしその年の終わりまでに、狂信的な武装集団が再び台頭してイラクや周辺国を混乱状態に陥れる。過激派組織イラク・シリア・イスラム国(ISIS)は14年までにイラクとシリアで勢力を拡大し、過激なイスラム法で占領地を支配した。
アッバス・アル・ドゥリアミさんは、米軍がイラクを占領していた当時5歳だった。最初の数年はバグダッドに住み、家族と共に07年、シリアに避難した。まだ幼かった自分は子ども時代を奪われたとアッバスさんは訴える。
アッバスさん一家は11年、新しいスタートを期待してバグダッドに戻った。しかし新生活はISISに脅かされ、混乱は拡大し、一家は再び避難を強いられる。
アラブ首長国連邦(UAE)で学校を卒業したアッバスさんは、今も戦争の悪夢にとらわれ続けていると話す。
「そうした年月の中で育つのはつらかった。子どもだった私は、何年もの間、人が路上で拉致されたり殺されたりするのを目の当たりにした。それが自分から離れない」(アッバスさん)
避難できなかった人にとっては、心の傷が日常になった。
今もバグダッドに住むゴフラン・モハメドさん(28)は、米軍の侵攻当時8歳で、兵士が毎日のように人を逮捕するのを見ていたと振り返る。
戦争について精神衛生の専門家に話したことはない。「両親は私が心の傷を負っているのを見て、自分が見たことは忘れて生活と教育を続けなさいと言った」とモハメドさん。
チェンさんによると、子どもは自分が親の苦悩の原因になっていると思い込むと、その苦悩を吸収することができてしまう。それは恋愛関係や、自分の子どもとの関係にも影響を及ぼし得る。
治療は助けにはなっても、解決にはならないとチェンさんは言い、「解決策は心的外傷の予防に加え、戦争を止めることだ」と語った。