再びイスラエル軍に住む場所を追われ――避難生活送る90代女性 ガザ地区
退去以外に選択肢なし
ガザ住民の大半は今日でもパレスチナ難民を自認しており、祖先が避難を余儀なくされた町や村こそが故郷だと語る。とはいえ、ガザ地区での暮らしは今や数世代に及んでいる。
イスラエルは1967年、エジプトやヨルダン、シリアとの第3次中東戦争でガザ地区を占領し、40年近く占領を続けた末、2005年に部隊や入植者を撤退させた。その2年後にハマスが域内で実権を握ると、海上ルートを含む出入り口を支配するイスラエルとエジプトはガザ地区を封鎖。ガザ地区は「世界最大の天井のない監獄」と批判される場所に変ぼうした。
タグフリッド・エビードさんは35歳という若さだが、やはりアルマジュダルに強い帰属意識を感じている。
「私たち一族は1948年にガザに避難した」とエビードさん。祖先がアルマジュダルを逃れた理由を疑問に思いながら育ち、なぜ家を離れてしまったのか、なぜそんな事態を許したのかと自分に問いかける日々が続いた。
「かつての私は、二度とそんなことはしないと言っていた。もう同じことは繰り返さない。家族や祖父のように逃れることはあり得ない、と」(エビードさん)
そこへ、イスラエル国防軍が避難を命じるビラを空から投下し始めた。空軍が作戦を強化する間、南部へ退去するよう促す内容だった。絶え間ない空爆にさらされたエビードさんは、ガザ市を離れる以外に選択肢はないと決意した。
7人の家族は徒歩で避難し、ガザ市の約32キロ南に位置するハンユニスにたどり着いた。
「困難なことばかりだった。どこもかしこも砲撃されていた」とエビードさん。「ハンユニスに来たものの、ここには何もない。初日は砂ぼこりにまみれて眠った。毛布もなかった。1週間が過ぎ、息子は体調を崩した。帰りたい。苦しみはたくさん味わった。耐えきれない」
祖先が家を逃れた理由が今ようやく分かったと、エビードさんは語る。
「子どもたちへの心配、それに破壊と死の恐怖が(私たちを)追いやった。子どもたちにとって、今回のことは歴史の一部にはならない。子どもたちは自らそれを体験し、その目で目の当たりにしているのだから」