パリ(CNN) 仏サッカー界のスーパースター、キリアン・エムバペ選手がこのほど、自国の選挙運動に向かって思い切った突破を仕掛けた。しかし、このストライカーが投票結果に影響を及ぼすと期待してはいけない。
アダム・プロ-ライト氏/Adam Plowright
「レ・ブルー(フランス代表の愛称)」のキャプテンであり、世界で最も有名なサッカー選手の一人が今週、自分が政治的に何を優先するのかを初めて明確にした。代表チームに参加し、欧州サッカー連盟(UEFA)主催の欧州選手権(ユーロ)が開かれているドイツからの発信だった。
「現在、我々全員が目の当たりにしているように、過激主義者たちはあとほんの少しで勝利の力を手にしようとしている」。エムバペ選手は16日にそうコメントした。チームメートのマルクス・テュラム選手も同様に警鐘を鳴らし、フランス国民に対して「日々の戦いを通じ」極右に勝利の力が渡るのを阻止するよう強く呼び掛けた。
「自分の価値観、自分たちの価値観と一致しない国を代表したくはない」とエムバペ選手は続け、国に「多様性と寛容」への支持を求めた。
パリ生まれの25歳。家族のルーツをカメルーンとアルジェリアに持つエムバペ選手は、フランスで最も愛される人物の一人だ。スペインリーグの強豪クラブ、レアル・マドリードへの大型移籍が最近決まったが、それ以前から世界最高水準の報酬を受け取るスポーツ選手でもあった。
上記のコメントを発したことで、エムバペ選手は前倒しされた仏総選挙の最大の論点となった。選挙はマクロン大統領が実施を表明。投票は今月30日と来月7日の2回行われる。
反移民を掲げるマリーヌ・ルペン氏の極右「国民連合(RN)」が、現在支持率でリードしている。ほとんどの専門家は、同氏のポピュリズム(大衆迎合主義)的な運動がこれほど権力の座に近づいたことはかつてなかったのではないかと考えている。
エムバペ選手の声明は人々の切迫感の表れだ。パニックとさえ言える。彼らはフランスにおいて、極右政権が第2次世界大戦以降初めて誕生するのではないかと恐れている。
しかし、サッカーの試合で流れを変える能力にかけては疑う余地がないものの、政治活動家としてのエムバペ選手の力量には、疑問を呈するだけの理由が複数存在するのが実情だ。
懐疑的にならざるを得ない最大の原因は、西側の民主主義国で起きている明確な潮流だ。それは米国からフランスまで共通に見られる現象となっている。
かつて若年層の国民は、自分たちの親世代よりも左派的な投票行動を取ることが確実視されていたが、ここへ来て彼らの支持は保守を謳(うた)う反移民の政党に流れ込む一方となっている。
今月行われた欧州議会選ではマクロン氏率いる与党が大敗し、仏議会での解散総選挙実施を余儀なくされた。一方でルペン氏の党は25歳未満の得票率が26%と、2019年の前回選挙から11ポイント増加した。調査会社イプソスによる世論調査で明らかになった。
同社によれば、22年の大統領選の最終投票で、ルペン氏は25~34歳が投じた票の半数近くを獲得している(実際の投票に関する公式の分析結果は存在しない)。
様々な理論がこうした変化を説明している。
そのうちの一つは、現状の世界が若年層にとってあまりにも不確かである点を挙げる。気候変動や大量の移民、テクノロジーがもたらす途方もない変化が渦巻く世界にあって、フランス第一を掲げるナショナリズムは安心感を与えてくれる。
欧州議会選前の集会で支持者の声援に応える国民連合(RN)のツートップ、マリーヌ・ルペン氏(中央左)とジョルダン・バルデラ氏(同右)/Gonzalo Fuentes/Reuters
資産を形成する余裕がなく、雇用の見通しにも不安を抱える中、一部の若者はグローバル化を否定する政策に引き寄せられていく。彼らは親世代の理念を信用ならないものとして既に切り捨てている。
また、ごく近い過去の記憶しかないため、今の極右政党の実態を知ってもそれによって支持を変える公算は小さい。これらの政党の関連をたどると、20世紀の欧州で公然と人種差別主義や反ユダヤ主義を唱えていた先達たちに行き着く。
エムバペ選手がスター性を備え、膨大な数のファンを擁しているのは確かだが、ルペン氏にもまた独自の強みがある。同氏が次期首相候補に推すジョルダン・バルデラ氏は28歳と若く、その独特な魅力でミレニアル世代(1980~90年代生まれ)の有権者を引きつけているように見える。
テレビ映りが良く、自信に満ちたバルデラ氏は移民の家庭に育った。「TikTok(ティックトック)」や「ユーチューブ」といった今時の動画投稿ツールに慣れ親しんだ世代とも、見栄えのいい動画でつながる。動画には演説前に「ハリボー」のグミを食べる、あるいはテレビを見ながらビールを飲む同氏の姿が映っている。
「こうしたスポーツ選手を見ると、少々恥ずかしい気持ちになる。(中略)彼らが講釈を垂れている相手は、もはや家計のやりくりもままならず、安全に暮らせないと感じている人々だ。このような人々には、警備員で過剰に守られた地域に住める見込みもない」。エムバペ選手のコメントに対し、バルデラ氏は辛辣(しんらつ)にそう語った。
エムバペ、テュラム両選手のコメントには、フランス国民と代表チームとの長きにわたる緊張関係をかき立てるリスクもある(後者の父親のリリアン氏はカリブ海のグアドループで生まれ、1998年ワールドカップでのフランス優勝に貢献した)。過去にはそれが人種とアイデンティティーを巡る問題に発展したこともあった。
決勝でブラジルを下し、1998年W杯の王者となったフランス代表/Eric Renard/Icon Sport/Getty Images
地元開催の98年ワールドカップを制したフランス代表チームは、同国が持つ多様性の象徴ともてはやされた。「ブラック・ブラン・ブール(黒人・白人・北アフリカ系)」と呼ばれた当時のメンバーにはマルセル・デサイー、ジネディーヌ・ジダン、そして現代表監督のディディエ・デシャンらが名を連ねた。
しかし、それは常に押しつけられたストーリーのように感じられていた。フランス国内において、多文化主義の理念は依然として英米からの輸入物と見なされ、広範囲にわたって拒絶されていた。
2006年、ルペン氏の父親でRNの前身となる極右政党を創始したジャンマリ・ルペン氏は、「有色人種の選手」が代表チームに多すぎるとの考えを示唆した。
娘のマリーヌ氏も様々な人種的、民族的背景を持つ選手たちの愛国心に疑問を呈し、13年にはチームを「良からぬ教育を受けた子どもの集まり」と呼んだ。
現行の代表チームは非白人が大半を占める。エムバペを始めとする中心選手は大都市の郊外出身だ。これらの地域は、保守派から犯罪とイスラム教の温床として忌み嫌われている。
ユーロの試合では数百万人が選手たちに声援を送るだろうが、彼らが担うことになるのは変わりゆく国の人口動態をはっきりと思い起こさせる役割に他ならない。そうした問題で活気づく有権者たちは、他のどの党よりも断然RNを支持する。
エムバペ選手は確かに一部の若い有権者を説得し、6月30日に投票所へと向かわせるかもしれない。欧州議会選や22年の直近の議会選は過半数の有権者が棄権した。とはいえ彼らが投票先を変え、それによって次の議会のバランスが決定する公算は小さい。
ピッチ上で同選手は鼻骨骨折に見舞われた。ユーロ初戦での負傷だった。ピッチ外では自身の政治的見解を表明したが、これでフランスでの人気も痛手を被ることになるのだろう。
それでも国が岐路に立つ瞬間を迎える中、度胸が足りないと言って彼を責めることは誰にもできないはずだ。
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アダム・プローライト氏はジャーナリストで「The French Exception: Emmanuel Macron ― The Extraordinary Rise and Risk」の著者。記事の内容は同氏個人の見解です。