冷戦時代のリアル「トップガン」、30分でソ連のミグ4機撃墜も戦闘の事実を50年口外せず

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1951年、北朝鮮の興南港への攻撃任務を遂行する米軍の「F9Fパンサー」/Corbis/Getty Images

1951年、北朝鮮の興南港への攻撃任務を遂行する米軍の「F9Fパンサー」/Corbis/Getty Images

戦う以外の選択なし

ウィリアムズさんには、戦域から離脱しようとしても追いつかれて撃墜されることが分かっていた。ソ連のジェット機の方が速いからだ。

「あの当時、ミグは世界最高の戦闘機だった」。スピードで上回り、急上昇や急降下も米軍のジェット機より素早く行うことができたと、ウィリアムズさんは指摘する。

ウィリアムズさんの機体が得意としていたのは対地攻撃であり、ドッグファイト(戦闘機同士の空中戦)ではなかったという。

それでも戦闘は始まってしまった。しかも相手は1機ではなく6機だ。当初戦域を離脱した3機のミグが引き返していた。

その後30分以上続いた空中戦の中で、ウィリアムズさんは旋回を繰り返し、性能で優位に立つミグの機関砲の照準に収まるのを回避した。旋回は、F9Fでもミグに太刀打ちできる領域だった。

「体が勝手に動いた。訓練通りに」(ウィリアムズさん)

それはソ連のパイロットも同じだったが、ウィリアムズさんによると彼らは何度かミスを犯したという。

1機がこちらに向かってきたが、その後射撃を止め、自機の下へと落ちて行った。こちらの射撃でパイロットが絶命したのだと分かった。

正面に現れた別のミグにも機関砲を浴びせる。敵機はバラバラになり、ウィリアムズさんは俊敏な操縦で破片とパイロットをかわした。

米海軍記念館のウェブサイトの説明によると、この戦闘を通じて、ウィリアムズさんの機体は搭載していた20ミリ機関砲の弾丸760発を全て撃ち尽くした。

ただソ連側も弾丸を命中させている。ラダー(方向舵<ほうこうだ>)とエルロン(補助翼)が使用不能となったウィリアムズさんの機体は、後部のエレベーター(昇降舵<しょうこうだ>)を動かして上昇・下降することしかできなくなっていた。

幸運にもこの時点でウィリアムズさんの機体は、沖合にいる米軍の特別部隊の方角を向いていたという。しかし残る敵機のうちの1機が、なお後方に迫っていた。

ウィリアムズさんは上下動を繰り返し、敵機からの射撃をかわしながら飛行した。

ここで僚機が舞い戻り、敵機の後ろにぴたりと張り付いてこれを追い払った。

だがウィリアムズさんは依然として困難の伴う飛行を余儀なくされた。損傷した機体を空母へ無事に着艦させなくてはならなかったからだ。

ソ連軍機による攻撃への警戒感から防空を強化していた特別部隊は最初、ウィリアムズさんのF9Fをミグと認識。空母を護衛する駆逐艦がウィリアムズさん目がけて砲撃を行った。

ウィリアムズさんによると、司令官がすぐに砲撃を止めさせた。一つ目の危険がこれで消えた。

それでもまだ着艦が残っている。普段なら、着艦時の対気速度は105ノット(時速約194キロ)とするところだが、この時は170ノット以下に速度を落とせばストール(失速)すると分かっていた。その場合、機体は極寒の海に突っ込むことになる。

しかもウィリアムズさんには、旋回して空母と方向を合わせることができない。そこで空母の艦長は異例の措置を決断。空母の方で向きを変え、ウィリアムズさんの進入方向に合わせることにした。

この方法はうまくいった。ウィリアムズさんの機体は甲板に叩きつけられた後、アレスティングワイヤーに引っかかって止まった。

海軍記念館のウェブサイトによれば、甲板上で乗組員が確認したウィリアムズさんの機体は263個の穴が開き、非常に損傷が激しかった。機体は甲板から海に落とされたという。

ただ機体以外にも、波の下へと消し去ってしまわなくてはならないことがあった。米ソによる空中戦が起きたという事実だ。

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